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魔族の世界は危険がいっぱい(3)

 きらびやかな広間に戻ってすぐ、ルシアンが渡してくれたのはローストビーフらしきものやサンドイッチ、可愛らしいミニケーキが盛られた大きめのお皿だった。人間の味覚に合うものは魔界では少なく、人間と交流があるという料理人が人間用にと用意してくれたものを取り分けてくれたらしい。

 飲み物は食べ物に比べれば口に合うものが多いらしいが、飲む前から発火していたり口に入れた途端体温と反応して爆発するものもあるらしく、あまり冒険をしない方が身のためだとルシアンがため息まじりに言う。もしかしたらうっかり当たっちゃったのかもしれない。

 それでも、ルシアンやトムに教えてもらいながら食べる食事は美味しくて、なんだかお酒が恋しくなる。燃えるワインは勘弁だけど、とろりとした蜜のようなウィスキーとか、むんわり香る焼酎なんかあると最高なんだけどなー、なんて。

 参加者の人たちに手が当たらないようにうろうろと歩いていると、ナイスバディなバニーガールさんが飲み物をトレイに乗せて練り歩いているのに遭遇した。うーん、魔族ってバニーガールが好きなのかな?

 整った顔立ちのバニーガールさんに刺激皆無なお酒を教えてもらって口に含めば、なんだか懐かしい味がした。香りの奥にカラい感じが残って、喉を通る熱が胸を焦がしていく。これに合うのは白身魚のリエット。塩味の控えめなクラッカーに、なめらかなクリームチーズ。

 もう帰れないのに、いや、帰れないからこそ、懐かしい。

 料理長のおやつ、食べたいなぁ。


「アシュレイ様、ご入浴の準備ができましたので、よろしければお使いくださいっ」


 目を閉じてお酒を味わっていたせいか、かなり遠慮気味に声をかけられる。目を開ければ、白いカチューシャに黒のミニスカワンピに白いエプロンの女の子が立っていた。この制服、お屋敷のメイドさんというよりはメイド喫茶のメイドさんだし、見た目的に高校生くらいだけど大丈夫なんだろうか。


「ありがとうございます。案内してもらってもいいですか」


「かしこまりました! こちらへどうぞ」


 ぴょこりとお辞儀をするメイドさん、スカートの中が見えそうです! というか一瞬見えました! あのカボチャパンツみたいなドロワーズを履くべきだと思います。じゃないとこんな酔いどれオヤジの集まる場所でセクハラ祭りになっちゃったりして、パンチラパーティー的な、うわあけしからん、逮捕! みんな逮捕だ!


「アシュレイ様? わわ、申し訳ございませんっ。グラスをお預かりいたします」


 メイドさんを凝視して固まっていただけなのにグラスの扱いに困っているのだとうまく勘違いしてくれたらしく、メイドさんは私の手からグラスを取って近くのテーブルに置くと案内をしてくれる。

 はぐれないようについていけば、お風呂場は広間から出てしばらく先の突き当たりを曲がったところだった。

 温泉旅館の宴会場と大浴場の位置関係に似ているな、とお風呂場を覗けば、意外にもお風呂は一人用だった。でも、シャワーがあるし、浴槽わきの壁にあるパネルを見た感じ、追い炊き機能もついていそう。カプチーノ家よりハイテク! やった!

 わくわくと観察している私にメイドさんはシャワーの使い方や温度調整の仕方、シャンプーやリンスの使い方に加えてパックの使い方まで丁寧に教えてくれた。このお屋敷って制服のセンスやメイドさんの口調はアレだけどおもてなしの教育はきちんとしているみたい。ちょっと安心。

 そんなわけで、私はいったん部屋に戻って爺やが用意してくれたお部屋着っぽいロングワンピースと下着を抱えてお風呂場に行き、久々の贅沢なヘアパック&顔パックを楽しんだのであった。うん。やっぱり自分の手入れをすると女子力が上がった感じがしていいね。



 うかつだった。

 お風呂を出たは良いもののドライヤーが見つからないのである。

 メイドさんに確認しておけばよかったと後悔したり、こんなことならゼノを外に出さずにおいて風の魔法で乾かしてもらえばよかったと後悔したり。

 あきらめて濡れ髪を前世の魔王様からもらったヘアゴムでまとめて、昼に着ていた服やらはタオルに包んで抱える。

 お風呂場を出て人を探しながら歩いていると、迷いのない足取りで歩いてくる青年が目に入った。スーツに青色のネクタイを締めた彼は綺麗に磨かれた革靴を鳴らして歩いてくる。


「すみません! このお屋敷の方ですか」


 声をかけると20代らしき彼は立ち止まって「はい、そうです」と答えてくれて、まさに渡りに船だ。


「申し訳ないのですが、ドライヤーってありますか? 自分で髪を乾かせないんです」


 できるだけ人好きのしそうな笑顔をつくって聞いてみれば、彼は口元に笑みを浮かべた。


「そういうことでしたら、こちらへ。ご案内します」


 左手を開いて行き先を示す彼に寄っていけば、彼はすたすたと廊下を歩いていき、いくつかあるドアのうちの一つの前で止まった。


「こちらです。先に入ってください、いま灯りをつけます」


 開かれたドアの先は真っ暗な部屋で、廊下の灯りに照らされぼんやりとシーツの束が見える。リネン室だろうか、と足を進めて部屋に入ると、ドアが音を立てて閉まった。途端に視界が真っ暗に染まり、いや、カーテンの引かれていない窓から漏れる街灯の灯りがうっすらと部屋の中を照らしている。たくさんの棚にシーツの束。


「あの、灯りを」


 灯りをつけてください、と頼もうとした瞬間、口に何かあてられる。なんだろうと口を開けてふごふごすればそれは布で、まるで猿ぐつわのように口に食い込む。うめき声を上げるも猿ぐつわは頭の後ろで固定されてしまったらしく、ほどこうとすれば両手が後ろにひねりあげられた。タオルや着替えが床に落ちる音と共に運動不足の肩がぱきっと鳴る。痛い。けっこう痛い。

 なんなんですかやめてください、と言ったつもりでも猿ぐつわのせいでふがふごとまともな言葉にならない。腕を振り回そうとしても両手はひとまとめに縛られてしまったらしく自由が利かなくなっていた。

 これ知ってる! 拉致とか監禁とか言うやつ! あれでしょ、このままどうにかしちゃうんでしょエロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!!

 混乱しているのか頭の中がギャグ思考だけど仕方がない、犯人を見るべく回れ右をし……ようとしたはずがロングワンピースの裾を踏んだ。そのまま体が傾いて、これだからお嬢生活に慣れていない女は! と自分を恨んでもどうしようもない。ずべりと左半身を下にこけてなんとか体を仰向けに戻せば、暗い中で金色の目玉が二つ光っていた。


「じたばたして、まるで芋虫みたいだ」


 冷たい声はここまで案内してくれた声とはまるで別人で、くくっと喉の奥で鳴らされた笑い声は獣の声のように聞こえる。


「こんなのがあの方のペットだなんてなぁ」


 金色に輝く目玉が近づいてきて、それと同時に白く発行する鋭い鉤爪が四本こちらに伸ばされる。鉤爪の一つがワンピースの首元にかかる。丸襟のそこは鉤爪にひっかけられて少し伸びて、金色の目玉の主の静かな笑い声と共に、ビィィイイイイイっと音を立てて縦に裂かれた。

 お腹まで前開きになったワンピースがくったりとして中に着ていたキャミソールを露わにする。

 何を、まさか、本当に。

 尻持ちをついたまま硬直した右肩に鉤爪が食い込む。


「おい、どんなふうにあの方を楽しませてるかやってみろよ」


 肩に食い込んでいるのとは別の鉤爪がキャミソールをひっかけ、ついでに鎖骨の下あたりの肌を一緒に削り取っていく。じりじりとした痛みが胸の表皮に広がって、白い鉤爪の先に赤い血がついているのが見えた。

 瞳孔が縦に開いた金色の目が近づいて、どす黒い長い舌が伸びてくる。それが胸元の引っ掻き傷に触れた瞬間だった。

 生温かくざらりとした感触があったのかかったのか、目の前を赤紫の光が包んで、「ぎゃおう」と猫の叫び声のような音が響いた。なんだか懐かしいその光は次の瞬間には白色の光に変わり、金色の目玉も鉤爪もそれに包まれるようにして消えてしまった。

 耳を澄ましても誰かがいる気配はなくて、窓から漏れてくるほのかな光をたよりに部屋の中を見渡しても、ただシーツの山があるだけ。

 助かった……のかな。

 じくじくと熱く痛み出した胸元を見やれば血こそ垂れていないもののミミズ腫れになっていて、その上にかさぶたができている。

 とりあえず外に出なきゃ、と重心を前に倒して立ち上がった時だった。


「誰かいるの?」


 声と共にドアが開いて光が差し込む。

 逆光の中に立っているその人の背はそれほど高くなくて、まぶしさに目を細めれば、黄色い髪の毛が見えた。


「アシュレイ? いったいどうし……」


 近づいてきた声はトムのもので、一応知った人であることに安心する。

 でも、今の私はワンピースがお腹まで前開き状態で薄いキャミソールが丸見えで、おまけに胸元には血がついていて。それに、両手を縛られて猿ぐつわまでされていて。

 まるで、たった今まで事件の犠牲者になっていましたと言わんばかりの格好で。

 こないで、と出した声は猿ぐつわの中でくぐもって言葉にならない。

 視界が滲んで、廊下からの光が散漫に揺れる。


「これ、着て」


 さらに近づいてきたトムはハーフコートのようなマントを脱ぐと私にかけて、首元の紐をきゅっと結んだ。そして胸元の紐も結ぶ。完全に上半身が覆い隠されてからトムは私の後ろに回って猿ぐつわと両手を縛っていた紐らしきものをほどいてくれた。


「部屋に戻ろう。……何も言わなくていいから」


 静かにそう言って視線を合わせないようにしてトムが離れる。足元に転がっていたタオルや着替えを拾い上げ、トムの先導で部屋を出て、誰もいない廊下を進んで階段を上り、トムが鍵を開けるのを待って私たちにあてがわれた部屋に入る。

 トムは何も言わずにカーテンをしめて、窓際の布団の上に座った。


「痛いところはある? 必要ならメイドさん呼んでくるけど」


 私の方を見ないようにしているのか、トムは鞄をごそごそと漁っている。

 トムに着せられたマントの中を見れば、部屋が明るい分さっきの部屋で確認したときよりも傷はひどくて、胸元には縦に四本引かれたかさぶたに周囲を囲むようなミミズ腫れ、キャミソールで擦れたらしい血の跡といった散々な状況だった。じくじくひりひりとした痛みはすぐにひきそうもなくて、「かさぶたが痛い」とだけ答える。

 トムは「じゃあ、これかな。傷に塗ると痛み止めと回復になるよ」とハンドクリームのようなボトルを下手投げでよこした。


「第五東区で買った水、残ってるよね? それで傷を洗ってからの方がいいかも。僕はもうちょっとパーティーを楽しんでくるから、先に寝ちゃってて。みんなもどうせ今頃大騒ぎしてるだろうし」


 トムはやっぱり私に目を向けないまま立ち上がる。


「戻ってくるときはノックするよ」


 そう言ってトムは黄色い髪を揺らして出ていった。何も聞かずに下手に探りを入れようとしない優しさにほっとする。

 トムに着せられたマントを脱いで傷を確認するとやっぱりひどくて、リュックサックから出した水とハンカチで血をぬぐっていくたびにヒリヒリとしみて痛い。

 魔王城にいた時は怪我してもすぐに治ったから、頭痛や胃痛以外でこんなふうに痛いのは久しぶりだ、とため息をつく。魔王城では転んで膝をすりむいたらすぐにメイド長がやってきて「もう、ほんとに雪子はドジねえ」と言って透明の保護ベールのような軟膏を塗ってくれたし、切り傷なんかは魔法でさくっと直してくれた。階段を落っこちた時だって、悲鳴を聞きつけた魔王様が「今のカエルを踏んづけたみたいな音は何?」なんて言いながら私の足に触れてすぐに痛みなんかなくなってしまったし。

 それに比べると、トムにもらった薬は薄い緑色で、ぬるぬるとべたつくせいで塗り心地は良いとはいえない。それに塗ってもすぐに傷が消えていくわけでもないし、キャミソールにくっついて気持ちが悪い。おまけに、痛みは全然引いてくれない。

 破れてしまったワンピースを脱いで他の部屋着っぽいワンピースに着替えて布団に入る。濡れたままの髪からゴムを取れば、ワインレッドの石が光を反射していた。


「魔王様、私、さっき魔王様の魔法の光を見たんですよ。あの葡萄酒やベリー酒のような赤紫色の光。しかも、守ってくれたみたいなんです。私はもう生まれ変わって魔王様に会うことなんてできないのに。不思議ですよね」


 ワインレッドの石を握りしめれば体温が移ったのかほんのり温かい。ゼノが伝言してくれた「それ」とはこのヘアゴムのことなんじゃないだろうか。それがある限り、周りを疑え。確かに、親切な人だと信じたらこんな目にあってしまったし。もう少し、人を疑った方が良いのかもしれないな。

 知らない人に話しかけられたら 答えない。

 石の裏の留め具に刻まれた言葉を指でなぞる。

 それでも、この世界で誰にも答えずに生活することは難しすぎると思うんだ。

 目を閉じればメイド長の困ったような怒り顔が瞼の裏に浮かぶ。まるで吸い込まれるように、私は眠りの中へと落ちていった。

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