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乙女ゲームの世界は救えますか(5)

「アシュレイお嬢様」


 呼ばれて振り向けば、私服姿のメアリーさんだった。


「誰にも言わないで、内緒にできるとお約束いただけますか」


 小声で言うメアリーさんに頷けば、メアリーさんは私の手を取る。ルシアンと同じようにひるむことなく私の右手を開かせて、そこに何かを押し込んで握り直させる。


「処分するようにと申しつけられていたものでした。ですが、あなたにとって大事なものだろうと思ったのです。一昨日、あなたが探し物があるとおっしゃったとき、すぐにわかりました。これしかできない私をお許しください」


 早口でそう言って私の手をもう一度握る。


「さあ、早くお部屋にお戻りください。誰にも見つからないように、お早く」


 メアリーさんは瞳を揺らしながらそう言って自室らしき部屋に消えていく。私は手を握りしめたまま早足で自分の部屋に戻って、隠れるようにベッドの中に入った。手の中にあるのは、石と紐のような感触。ゆっくりと開けば、それはワインレッドの石。魔王様にもらったヘアゴムだった。ゴムと石を接着している金具の部分には、小さな文字で魔界語が彫られている。


「知らない人に話しかけられたら 答えない」


 読み上げれば、メイド長の吊り上ったまなじりが浮かんでくるようで。どうしてこれがこの世界にあるのか、どうして処分されそうになっていたのか、どうしてメアリーさんはあんなにも……おびえていたのか。その理由はわからないけれど、寝ている間に誰かに取られるような気がして下着の肩紐に結びつける。さすがに取られそうになったら起きる、はず。

 一息ついて、私はそのままどっぷりと眠気の中に沈んでいった。



 魔王が来た。

 魔族を操り、私たちを殺しに来た。

 死んでいった者たちの叫びを忘れるな。

 極悪非道な魔族らを倒せ。

 魔王を倒せ。倒せ。倒せ。


 広場を覆い尽くす声。

 雄叫びが、ささやきが、むせび泣く声が、悲鳴のような声が、縦横無尽にこだまする。


「お姉ちゃんは魔族に連れて行かれたの」


 悲しみを押し殺すような女性の声。泣き叫ぶ少年の声。


 魔族を許すな。

 魔王を許すな。

 この世界を取り戻せ。


 低く強く響く声が胸を打ち続ける。



 どん、と体に響く痛みに飛び起きる。

 どうやらベッドから落ちたらしい。カーテンから漏れる薄い光に夜明けを感じ、耳をすます。夜明けを告げる灰色の鳥の声は聞こえない。

 胸元に手をやれば下着の肩紐に結びつけたヘアゴムの感触があった。立ち上がってカーテンを開けると、扉をノックする音がした。


「おはようございますお嬢様。お荷物とお召し物のご用意をさせていただきました」


 相変わらずスパイのように目覚めをはかってやってきた爺やが服とリュックサックを渡してくる。


「おそらく数日もあればお戻りになられるかと思いますが、足りないものがあれば出先でご用意くださいませ」

 

 数日あれば魔王討伐して帰ってこれちゃうの? すごいね異世界。RPGもびっくりのインスタント討伐、お手軽すぎて実感わかないよ。


「ありがとう、爺や」


 受け取った服はくるぶし丈のワンピースと長靴下だった。まさかのお洒落着で魔王討伐。


「ズボンとか履かなくていいの? 今日は魔王とは会わないにしても、途中で魔物を倒したりとかするんだよね? 山登ったり、川渡ったりするよね?」


 一応聞いてみると、爺やは「ご心配には及びません。そのような野蛮な経路は使用しませんので」とほほ笑む。いやいや、ファンタジーっぽさないじゃんそれ。苦労はしたくないけど世界観とか大事だよ、爺や。

 ともあれ着替えて荷物をチェックすると、着替えが数着にタオルとブラシ類、水筒と干し肉と乾燥フルーツというシンプルな中身だった。内ポケットに財布が入っていたけれど、見たことのないお札とコインのせいでどれくらいの価値があるのかはわからない。

 本当に軽く旅行へ行く感じなんだと思うと自分のものになったこの部屋に名残を惜しむ気持ちもあまり浮かんでこなくて、私はいつも通りに部屋を出た。



 待ち合わせは王都の真ん中にある広場。

 朝食後、父さんと母さんにあっさりした挨拶を済ませて爺やに送ってもらえば、広場には人がわさわさと集まっていた。


「アシュレイ! こっちだ。みんなもう来てる」


 馬車から降りた私にルシアンはそう言って私の手を引いた。

 向かう先は広場のオブジェ。

 そこには消防車のような赤い髪の男の子とトパーズのような温かい黄色の髪をした男の子がリュックサックを背負って立っていた。

 うーん、なんかアニメコスプレした人を前にしている気分。あれ地毛なのかな。


「おはよう、アシュレイ。俺はギムレット。勇者だ」


 赤髪の男の子がそう言って笑う。自称勇者って、見た目は高校生だけど中身は小学生なんじゃないだろうか。せっかく整った顔してるのにもったいない。


「僕はトム。王国軍所属。ルシアンも軍属だけど、ルシアンは魔術師団だから所属が違うんだ。よろしくね」


 黄髪の男の子は赤髪の子より若そう。笑うと柴犬っぽくてカワイイ。髪色変だけど。


「私はアシュレイです。学生です。あと、転生者です。」


 勇者よりはマシな自己紹介だろうと思って言えば、目の前の二人はなるほどーと納得しているようだった。


「伝説の剣を抜いた稀代の勇者である俺に、魔術師団の愛し子ルシアン、ムードメーカートムに転生者アシュレイか! こりゃあ勝ったな!」


 ギムレットはからからと笑う。


「じゃあ、みなさん、行ってきます」


 ルシアンが周りにいた人たちに声をかければ、周りの大人たちや小さい子たちが「いってらっしゃい」と拍手する。

 ルシアンはオブジェの前に紫色の風呂敷を広げた。


「爺やさん、回収お願いします」


 そう言って風呂敷の上に乗って、消えた。


「みなさん、俺らは必ず魔王を倒してきます! 安心して待っててください!」


 ギムレットがそう声を張って風呂敷の上に消える。


「僕らも行くよ」


 黄色い髪をふわりとゆらして、トムが私の手首をつかむ。そして引きずられるように風呂敷の上に乗って、目の前が揺らいだかと思えば薄暗い廃屋らしきところに出た。

 先に到着していたルシアンとギムレットに促されて足を踏み出せば、石の床の上にモザイクタイルで作られた魔法陣が書かれているのがわかり、自分たちはこの魔法陣から出てきたのだと知る。

 廃屋の外は道路が舗装されておらず、建物の数も少ない。


「アシュレイ、ここは第五東区だ。70年前、魔王に襲われた場所だっていえばわかるか?昔から大陸の中心部へ探索へ行くときの準備場所になっていて、中心部の魔素に抗うためのアイテムが取引されている」


 ここはまだ王国の中らしい。

 人通りのすくない砂利道を歩いていくと、道具屋と言う看板があちこちに掲げられていた。ここにある建物は道具屋と宿屋しかないのだろうかと思ってしまうくらい、建物の数も店の種類も少ない。


「魔素対策はギムレットが全員分手に入れてくれるらしいからあまりうろつかない方がいい。ここは王国の一番端だけあって治安も悪いんだ」


「物盗りとかが出るってこと?」


「まあ、それもあるけど……闇競りも盛んだから」


 闇競りって闇オークションだよね。まさか人身売買や臓器売買もあるんだろうか。この世界、最近ブラックな香りがするよ?

 ともかくはぐれないようにルシアンの横を離れないようにする。やがてギムレットが古民家のような建物に入って行き、残った三人は古民家の前で佇んだ。


「魔王討伐ってこんなに少人数でいいの? しかも数日で帰れるって聞いたんだけど」


 沈黙に耐えられずに口を開けば、トムが答えてくれた。


「人数が多けりゃ良いってもんでもないし、魔王城の手前まで魔法陣でルートが組んであるから大丈夫。魔法陣もあんまり人数多いと劣化するしね」


「え、魔族が襲ってきたり大変な状況なのに魔王城の手前まで魔法陣があるの?」


「先人たちや人間に味方してくれる魔族のおかげでね。味方してくれる魔族はお友達とか隣人さんって呼ぶといい」


 お手軽魔王討伐のかげには先人たちの努力があったらしい。そんなにお手軽に魔王城に行けるのにいまだに魔王が倒されていないのってそれはそれで魔王の難攻不落さを示しているような気がするけれど大丈夫なんだろうか。

 若干の不安を覚えたころ、ギムレットが古民家から出てきた。一人一人に渡された紙袋の中にはビタミン剤くらいの大きさの黒い丸薬が10粒入っている。

お腹を下した時にのむあの臭い薬に似ているな、と見ていると、魔素用の薬だと教えてくれる。この大陸は中心部に行くほど魔素が濃くなり、人間は動けなくなる。それを防いだり治したりするための薬で、いま一粒呑んでおくと向こうについてからも体が楽でいられるらしい。中心部にある魔王城に行くには必須のアイテムだとルシアンは言った。


「あとは魔素よけを含んだ食料を買って飛ぶぞ。次に出る先は少し距離がある上に国外だ。ルシアンは妖精と一緒に飛ぶんだろ?」


「うん。そこの森でお願いして集めてくるよ。アシュレイはあの精霊を呼ぶといい」


 そう言って森へと向かうルシアンと分かれ、ギムレットとトムと一緒に宿屋へ行く。宿屋の一階が食堂になっていて、そこで食べ物を買うらしい。

 ルシアンを森へ一人で行かせて大丈夫かと聞けば、ルシアンは森を挟んだ隣の地区の出身で彼にとっては馴染みの場所なのだとトムが教えてくれる。


「トムとルシアンは昔からの知り合いなの?」


「ここ二年くらいかなー。ほら、あいつ無表情だしいつも怒ってるみたいな顔してるじゃん? だからそんなに関わることはなかったんだけどね」


 ギムレットから渡される堅焼きパンやサラミ、味噌っぽいペーストの入った小瓶、水の入った瓶を渡される。これって昼ごはんかな。でも量が多いし夜ご飯もこれだったらどうしよう。不安げにギムレットを見ると、「夜は魔族のお友達に頼んであるから安心しろよ。ただ、途中で何かあるといけないからな」と言われる。夕飯は困らずに済みそうだ。

 宿屋の外に出てぞろぞろと森に向かいつつゼノを呼ぶ。

 たぶん聞こえているんだろうけど、学園から離れた場所にいるせいかゼノは現れない。ゼノを待ちながら森に着くと、ルシアンが妖精たちに囲まれていた。時折妖精の耳元で何かささやいているのは悪意のこもった言葉なのだろうか。


「せっかくこんなに妖精がいるのに俺の力不足で全員連れていけないんだよね。せっかくだしアシュレイも連れてったら?」


 ルシアンはそう言うけれど、私がゼノを連れて歩いたら妖精さん逃げちゃうしなあ。可哀想だけれど妖精さんにはゼノのごはんになってもらおう。


『キャッチボール』


「残っている妖精さん、私にいたずらしてみない? 打撃でもいいよ」


 いたずら好きな顔をする妖精たちにそう言えば、みんな思い思いに魔法をぶつけてきて、ついでに私の体を通り抜けようとしたのか背中に当たってくる。背中がほんわりあったかいのは妖精さんが背中で吸収されたせいだろう。ちょっと心が痛む。


「おまえは相変わらずの妖精殺しだな……」


「妖精殺しっていうんだね。すごい、初めて見た」


「俺はその妖精自体が見えてないんだが」


「仕方ないよ、伝説の剣持ってると色々鈍感になるらしいし」


 赤青黄がわいわいと話しているうちに妖精たちは飽きたのか、それともようやく消滅の恐怖を認識したのか去って行く。あたたかい気配を感じて振り返ればゼノがいた。


「意外と時間かかったね」


 そう言って『魔力のみでリリース』をしてキャッチボールを解除すると、ゼノは「ごちそうさま」と言って肩を回した。


「途中で妨害されたのさ。でも、ちゃんと来たでしょ?」


 ゼノはそう言って残りの三人に目を走らせたようだった。


「えっと、こちらが私の契約している精霊のゼノ。で、左からギムレット、ルシアン、トム。魔王討伐隊のメンバーなの」


 そう紹介するとゼノは「ふうん」と興味なさげな様子で私の斜め後ろに立つ。


「俺、あんたのこと見えてないけどよろしくな、ゼノ!」


 ギムレットがあらぬ場所を見て挨拶して、ゼノは「ああ、よろしくな、勇者サマ」と小馬鹿にしたように返す。ギムレットはゼノの反応にいらだった様子もなく、私たちは次の魔法陣へ移動することにした。

 一番後ろを歩く私にゼノが私だけに聞こえるように言う。


「この場所は早く離れた方が良い。ほんの数十年前まで、力の弱くて見た目のいい魔族や希少種の魔物を売買していた闇取引の町だ。今の魔王が粛清として焼き払って以降は魔族には手を出さなくなったが、魔物と人間の売買は続いてる。前を歩いてる坊ちゃんたちは知らないかもしれないが」


 なんの看板も出ていない古びた木造家屋の中に入っていく三人に続いて入り、ルシアンが本棚を動かすのを見る。ルシアンが本棚の下から現れた細い階段から地下に降りて行くのに続いて私が先に行かされ、後ろからギムレットとトムが下りてくる。階段を下りきったその瞬間、ルシアンが消えた。


「階段の入り口は閉めとくから、アシュレイ、行って」


 トムの言葉に最後の一歩を踏み出せば、階段の終わりは次の場所の入り口で。

 ルシアンに手を引かれて前のめりに飛び出せば、私は誰かのお宅にいた。振り返れば暖炉から出てくるギムレット、それにぶつかるようにして出てくるトム。


「なんでこんなところに繋がってるんだろう……。っ! 走って!」


無声音のひくつきと共に焦ったように指示される。ルシアンに手を引かれて絨毯の敷かれた居間らしい場所を出ると、左右に広い廊下が伸びている。ルシアンについていくように妖精たちも右に曲がり、廊下を走り抜けていくと行き止まりに小さな扉がある。ルシアンがそれを開けると、庭らしきものに出た。どうやら裏口だったらしい。

 建物と庭を囲むように低木がぐるりと植えられている中でギムレットが人がようやく通れるかどうかといった隙間を見つける。ギムレットに続いてほふく前進で通れば、そこは道路だった。

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