乙女ゲームの世界は救えますか(3)
魔物と魔族が一緒になって人を襲い始めた。
そんな噂を聞いた翌朝、教室がなんだかさみしい感じがして、その違和感は出欠の時にわかった。クラスの5人に1人が休み。まるでインフルエンザの流行の始まりを感じさせるような欠席の多さに、ジーク先生は言う。
「魔族は忌むべきものです」
ただそれだけ言って去って行く。休み時間中もささやかれるのは魔族と魔物の話ばかり。誰それの故郷が襲われたとか、誰それが呼び戻されたとか、王国軍に臨時徴兵されたとか、そういったきな臭い会話は、あまりにも急すぎてついていけない。
そんな中でも、アイン王子とキャラメルは普段通りに仲良くいちゃいちゃしていて、ゲームの設定では騎士団所属だったはずの黒髪メガネのたぶん腹黒なイケメンや歌って踊れそうな赤毛のベビーフェイス君もいっしょに幸せな空間を築き上げている。ここまでくるといっそ清々しい。
これに対して私はあいかわらず友達ができず、授業を追い出されたせいでよりいっそう同級生が近寄ってこなくなったのもあって、今日もルシアンと昼ご飯を食べていた。
「魔族って人を襲うんだね。人間が何かしたの?」
そう聞けば、「あいつらは快楽のために人を襲うんだ。ちょっと知恵がついたからって小賢しい」と返ってきて、ゼノから聞いた魔族のイメージと違うな、と感じる。
「もし、いきなりここに魔族が来て、おまえの親とか爺やとかを殺戮してったら、おまえはどうする?」
「とりあえず……逃げる」
ごめん、丸腰で立ち向かうとか無理だわ。だって魔族強そうだし。この前森で出てきた魔物一匹でも怖かったのに、それがさらに強くなって頭よくなったらかなり無理。
「逃げ切れたとして、帰る家もなくなって、でも、あいつらを倒しに行こうって手を差し伸べられたらどうする。手を取るか?」
帰る家がなくなったら。
友達みたいな母さん。ちょっとメタボリックな父さん。スパイもびっくりな立ち居振る舞いの爺や。あれこれ世話を焼いてくれるメアリーさん。
私にやっとできた家族がいなくなったら。嫌だな。
「手を取ると思う。でも、できたら、みんながいなくなっちゃう前にどうにかしたいって思う」
「そうか」
ルシアンはそのままスープを飲み干して立ち上がる。
「あいつらは強い。でも、魔王さえ倒せば俺らは助かるんだ」
そう言ってルシアンは食器を返しに行ってしまう。一人残された私は、ルシアンが妙に張りつめていた顔の意味を問いただすことは出来なかった。
だから昼休みの終わりに単品のアイン王子とうっかり遭遇した時、思わず声をかけてしまったのは仕方がなかったんだと思う。
「アイン王子、あなたは何もしなくて良いんですか」
学園の廊下は後者の規模のわりに生徒数が少ないせいか誰もいない。その中でアイン王子は綺麗に微笑みを作って答える。
「魔族の対応については高度な政治的問題でもあるから、国王陛下のお考えに従うことこそが僕たちに求められていることだ。そして、なんら指示がない以上、この状況で僕ができることは普段通りに生活して周りに不安を与えないことだと考えている」
あんなに憧れたアイン王子の微笑みはゲーム画面のそれとそっくりで、キャラメルに向けるようなほころんだ笑みとは全く違う。王子なのに何もせずに学園生活を楽しんでるなんて、と続ける勇気は私にはなく、「授業が始まる。失礼」と去っていく王子を見送ることしかできなかった。
学校に通い始めて一週間たつのに、相変わらずルシアンが帰りの馬車を呼んでくれていて、爺やの操縦する馬車で家に帰れば父さんや母さんが家にいる。今日はどんなことをしてきたの、という問いにこの国の歴史だと答えれば、母さんは「選ばれし開拓者たちのお話はロマンよね」と返してくる。
選ばれし開拓者たちは遠い場所からこの地に来て、この地を人のものとして取り戻すために活動し始めた人たちなのだという。そして、その開拓者たちはこの大陸に渡り、取り返し運動の最前線として戦ってきたことでこの国が出来たのだと先生は言っていた。この世界は人の世界なのに気を抜くと魔の生き物が侵略してくるから、いかに自分たちの土地を守り増やしていくかが今日でも重要な課題らしい。魔族と人は共存できないんですか、とは誰も聞かなかった。ただ、人間の地を取り戻すことこそが至上命題であり正義なのだと先生は繰り返していた。
「メアリーさんは、ご実家ってこの近くなんですか」
夕飯の支度を手伝いながら聞けば、お手伝いのメアリーさんは首を横に振る。
「うちはもっと東の方でね。最近物騒だから心配だけど……この家のこともあるしねぇ」
「でも、家族がいるんですよね」
帰らなくていいんですか、と言おうとしたのに、メアリーさんは私の唇に人差し指を当てた。
「ここが私たちの家ですからね」
そう言ってメアリーさんは私にサラダボウルを手渡してくる。なんとなく話を続けられないまま、食事が終わり、お風呂も終わって、私は部屋に戻っていた。
メアリーさんは今年27才だと言っていた。年の割に大人っぽいのはきっと家から出てきちんと仕事をしているからなんだろう。一人であれこれ取り仕切って、水色の髪を後ろでひっつめて笑う。メイド長より優しいけれど、友達と言う感じは全然しない。仕事人なのだということは家のことを聞いた時の話の逸らし方から明らかだった。
そんなメアリーさんだって、実家には家族がいて。そこには今にも魔族が襲ってきそうな状況で。そんな状況で家にも帰らずに働いている。
いたたまれない気持ちで目を閉じれば、ルシアンの「魔王さえ倒せば俺らは助かるんだ」という言葉が頭をよぎった。教科書の挿絵にあった、大きな甲冑に牛の角を生やした化け物の姿を思い出す。黒く塗りつぶされた世界で、魔王は魔族を使って人を殺していく。赤く燃えた世界と、黒く濡れた地面。誰かの記憶。あれは本当に魔王様なのか。
「やっと来たね」
声と共に目を開ければ、そこは赤レンガの塔のバルコニーだった。水色の空に遠くまで続く青々とした芝生。
私は呆然と立ち尽くしていて、ウッドテーブルの上には紅茶とクッキー。透き通るような金髪の魔王様は白いシャツに茶色のスラックスを履いて椅子にゆったり座っている。
「座りなよ。今日の紅茶はライラが淹れたんだけどね、どうも甘さが足りないんだよね」
「魔王様は砂糖山盛り5杯とシロップです」
「ああ、そういえばシロップ入れてなかったな」
反射的に答えると、魔王様はなるほど言った様子で私に紅茶をついでくれた。
「夢を見ていました。私は死んで、シェムさんがくれた乙女ゲームの世界へ生まれ変わるんです。そこで家族が出来ました。友達も」
甘すぎる、紅茶の味のしない液体。
初めてこの世界に来た時と同じ甘さに眉をしかめ、差し出されるクッキーを断る。
「雪子、修了祝いのヘアゴムはどうしたの」
慌てて髪に手をやるも髪は結ばれておらず、ロール状の黒髪がふぁさりと視界に落ちる。そういえばここしばらく髪を結んでいなかった気がする。
「ごめんなさい……どこかにあるとは思うんですが」
魔王様は目を閉じる。さくさくと咀嚼されるクッキー。
「必ず雪子の近くにある。探して。そっちの世界での家族以外の人間、家族っぽくない人間に聞いて」
魔王様?
「必ずだよ。探して。これだけ言って忘れたら馬鹿どころじゃなくて大馬鹿だからね。ボーナス減らすよ」
「ボーナス減額ってひど……あれ、魔王様、私、門限守れましたっけ?」
ふいに思い出して聞けば、魔王様は目を見開いて私を見た。
「守れてない」
「じゃあ私のボーナス既にゼロに近いじゃないですか! 次のボーナスで東方特撰利き酒つまみセット買うつもりだったのに!」
思わず立ち上がると、魔王様は見慣れた顔で目を細めた。
「早く帰っておいで。そしたらゼロにはしないであげる」
魔王様が紅茶を飲み干す。いそいそと注ぎ足せば、魔王様は「ぬるい」と文句を言う。今からあっためたくても給湯室まで遠いから無理ですよ。転生したら魔法使えなくなっちゃったし。……あれ?
「魔王様、私って生まれ変わって……夢? 私なんでここにいるんですか」
魔王様の姿が消える。ティーポットをテーブルに置こうとしたのにテーブルもない。持っていたはずのポットもない。そもそも赤レンガの塔じゃなくて、ここは……
「これは、記憶。ある人の記憶」
囁くような声と共に、目の前は死屍累々と言った様子で倒れ伏す人々。赤黒く燃え上がる炎と、熱気。吐き気を催すような臭いに思わず鼻をつまめば、足元を何かに掴まれた。
右足首に絡まる人の指。
それをたどれば、赤色と泥で汚れた中年男性の顔がこちらを向いていて。
「魔王を……倒せば……」
ごぼり、と吐き出される赤黒い塊から逃げようとすれば、背中が何かに当たる。
振り返れば、そこにいたのは黒いマントの人。
顔を見ようとしたその時、ぱちりと、自分の目が開いた。
白い天井、ピンク色のカーテン。ガーリーでロマンティックな装飾のクローゼット。ふわふわで可愛らしい掛布団。横を向けば、ベッドのスプリングが静かにきしむ。
「……夢」
私はアシュレイ。アシュレイ・カプチーノ。それなのに、私は雪子だった。早く帰っておいでと魔王様は言っていて。帰るも何も私はもう死んでしまって新しい人生をここで送っているのに。
それでも、必ず探してと魔王様は言ったから。生まれ変わったこの世界にあるはずがないヘアゴムを探してみようかとベッドの下を覗き込む。
「おはようございます、アシュレイお嬢様。何をお探しですか」
音もなく開いた扉を見れば、爺やがいぶかしげにこちらをみている。
「えっと」
家族以外の人間、家族っぽくない人間に聞いて。そう魔王様は言っていて、爺やは……家族?
「ねえ、爺やは私の家族?」
そう聞いた私に、爺やは近づいてきて背中をとんとんと撫でる。
「爺やはいつだって、お嬢様の家族でございますよ」
「……ありがとう」
じゃあきっと、私のヘアゴムの行方は知らない。とんとんと安心するリズムで撫でられる背中に眠気が襲う。
「探し物は見つかりましたかな」
「探し物……いえ、見つかったので」
「そうでしたか。それはよろしゅうございました」
すぅっと眠りに入りそうになったとき、爺やは私の肩をがちりと掴んだ。
「いけませんお嬢様。遅刻なさいます」
慌てて目を開ければ爺やは鋭い目力で私を見ていて、すっと頭が冴える。そう言えば今日小テストだっけ。歴史と魔法射撃演習……ああ、だめだ、歴史は授業ろくに聞いてないし魔法射撃演習は前回演習場から追い出されてるし……休んでいいかな。
「カプチーノ家の令嬢らしく腹をおくくり下さいませ」
何かを察したのだろう。爺やはそう言って去っていた。
恐るべし爺や。あのおじいちゃん、絶対スパイかなんかだと思う。間違いない。




