乙女ゲームの世界は救えますか(2)
私は暗記が苦手だ。
まず、覚えられない。次に、覚えられない。その次に、覚えられない。
そんなわけで、社会科は私にとって鬼門だ。
年号? 人名? 地名? 事件名?
勘弁してほしい。クラスメートの名前さえ覚えられなくて苦労する私が会ったこともない人の名前を覚えられるはずがない。
そんなわけで、転生してまでも歴史の授業を受けなくてはならないと知った時の私の絶望は計り知れなかった。
「……このように、選ばれし開拓者たちによってティラミス王国は建国され、今に至っているわけであります」
教科書を読み上げる先生の声はまさに子守唄。
国の建国の歴史って別にどうでもいいじゃんと思うんだけど、大人って好きだよね、こういうの。独立の歴史なんかも教科書に大きく書いてあった気がするし、人は過去の栄光にすがりたい物なのかな。
退屈しのぎに教科書をめくっていくと、「魔王」という文字が見える。
章立ては現代史、70年ほど前のことらしい。
『魔王による第五東区の襲撃により、第五東区は壊滅状態に陥った。市民のほとんどを嬲り殺した魔王は略奪を行い家々に火を放った。前国王はこれに遺憾の意を表明し魔王城に使節団を送るも、使節団は魔王城に到着したことを伝えて以降音信が取れず、魔王によって処刑されたと考えられている。第五東区には追悼の碑が建てられ、今でも祈りを捧げる者が訪れている』
市民を嬲り殺し、略奪、火を放つ。
その記載は短かったけれど、シルバーブロンドのお姉さんに見せられた幻を彷彿とさせる内容でどきりとする。お姉さんは言っていた。あれは記憶なのだと。
転生したはずなのに、ちょこちょこ前世の世界のものがまざってくる。無効化の魔法も、魔力の存在も、魔王が存在することも。ゲームの中にはなかった言葉が、私の周りでだけ溢れ出す。それは私がレイではなくアシュレイだから?
聞きたくても、聞ける相手はいない。
……いや、いるには、いる。しかし話し相手になってもらうだけに呼び出していいものか。
考えているうちに授業は終わり、みんなが次の授業へと移動しはじめる。
次の授業は……魔法射撃演習。指示された的に魔法を放ち、当たれば得点。要するに妖精に正確に指示を出す練習をする授業だった。あ、これゼノ呼び出す口実になるじゃん。
私はいそいそと演習場に向かった。
魔法射撃演習場にはダーツの的が何枚かと、犬のような魔物にダーツの的がつけられた動く的が用意されている。色とりどりで姿かたちも様々な透き通った妖精たちが縦横無尽に飛び回っていて、いかにもファンタジーな世界だ。
授業開始前の時間は妖精の協力を仰ぐ時間。周りの生徒たちが妖精を呼びよせているのを見て、ふとゼノの言っていた瞬発力を試してみようかと思い立つ。
「妖精さん、私に攻撃してみない?」
そう言って手を差し出してみれば、妖精たちはざわついた。
「イイノー?」「人間怪我させると、ゴホウビなくなるー?」「ヤダー」
「私だけに攻撃してくれたらゴホウビあげる、おいで」
そう言ってすぐさま『キャッチボール』と唱えれば、水鉄砲で攻撃されたような水が飛んできた。もちろんそれは肌の直前で吸収される。妖精たちがさらにざわついて、火の玉や風が飛んできた。
「キカナイー」「新しい道具ナノー?」
わいわいきゃーきゃーと攻撃を連打する妖精たちは私に興味を持ってくれたようだった。
「じゃあね、私の指に一瞬だけ触れて、すぐに離れることはできる? 一瞬よ」
そう言って更に手を伸ばせば、好奇心旺盛な妖精たちは一瞬だけ触れて頭上に戻っていく。
「ヘンナノー」「なんかカラダ減ったー?」「ふわふわー」
一瞬だったおかげか妖精たちは消えなかった。もしかしたらうまくいくだろうか。
「ゴホウビに美味しい魔力をあげる。もう一回おいで」
すぐさま『魔力だけ少しリリース』と呟くのと、妖精たちが手の上に乗りに来るのは同時だった。妖精たちは奇声を上げてはしゃいで、もう一回、もう一回、と触れに来ようとする。
「もう駄目だよ、リリースした魔力がなくなる気がする」
少しだけリリースした魔力が尽きたら、今度は妖精たちから吸い取るだけになってしまう。そう思ってとめるも、妖精たちは交互に私の手の上でぴょんぴょんはね飛ぶ。
やがて妖精たちは「アレー?」「なんかフワフワー?」と言いながら小さくなり始めて、あわてて手を引いたのは妖精が消える寸前だった。
「おしまいヤダー」と言い出す妖精たちに「このままだと命がおしまいになっちゃうよ?」と返すも伝わらない。仲良くなれたっぽいのは良いけれど、消滅の恐怖をわかっていないらしいこの妖精たちの扱い、けっこう困る。
「ゼノ、来て」
妖精たちが鈴を鳴らすような声で「遊んで」と魔法をぶつけはじめたのに耐えかねれば、ゼノは数秒の間に壁を通り抜けて現れた。やっぱり幽霊に見える。
「アシュレイ数日ぶりー。妖精たちと仲良くなったんだね」
「あ、うん、なんとか……ってあれ?」
さっきまで私の周りを囲んでいた妖精たちが霧が晴れたかのようにいなくなっている。上も右も左も後ろも、どこにも妖精はいない。
「精霊は捕食者だからね。さあ、今日は何するの?」
要するにゼノを見て逃げ出したんだろう。今の状態はシマウマの群れの中にライオンが飛び込んできたのと同じようなものなのだと理解して、体に残っている魔力をゼノに渡す。
「的に魔法を当てる授業なんだけど、ゼノってこういうの得意?」
「できるっちゃできるけど。でも俺、ここにあるの全部消し飛ばす方が楽で好き」
「無差別射撃は点数が入らないからやめて」
楽しげに指先に光る玉を浮かばせるゼノを止めれば、ゼノは首をこてりと傾げる。
「しかたないなー。……おっと、後ろ」
「カプチーノ君、きみ、それはなんだね?」
後ろにいたのは赤銅色の髪に白衣姿。ジーク先生だ。泣きぼくろの色っぽい目を細めている姿は優し……くない。お叱りモードだ。
「この授業は魔法射撃演習。妖精への指示の出し方を学ぶ授業であったはずだが、それは妖精か?」
「超大型の妖精です」
とりあえず言ってみれば、ジーク先生の目はさらに冷たくなる。
「マキアート君、こちらへ来なさい」
なぜか呼ばれるキャラメルに、ジーク先生は私へよりも優しい目で言う。
「きみは妖精に愛される能力を持っていたね。どうかい、これは妖精かどうか、使ってみせてくれないか」
「はい、先生」
優等生そのもののキャラメルの返事。明るくて可愛らしい声はまさにヒロインとしか言いようがなくて、それを更に甘くしてキャラメルはゼノに声をかける。
「大きな妖精さん、私に力を貸してくれるかしら」
うるうるとした瞳に、胸の前で組まれた両手。可愛らしいお願いポーズにゼノは当然のように頷いて。
「断る」
断った。え、断った?! いやいや、こんな顔で見つめられたら普通はハイハイ頷いて手を貸すでしょうよ! あんたそれでも男かゼノ!
「俺の契約者はアシュレイだけだ。ここいらの妖精と同じにしてもらっちゃ困る」
あ。ちょっと嬉しい。
ゼノがこちらを見たような気がして顔を上げると、透き通った顔が微笑んだような気がした。
「アシュレイ・カプチーノ。授業秩序を乱した罰としてこの演習場から出て行きなさい」
「でも先生。この授業は魔法射撃演習ですよね、ゼノは魔法で射撃できます」
「この授業は精霊を使役する授業ではない。出て行けと言っている。二度言わせるな」
教師としては冷たすぎる口調。視線さえ合わせようとしないジーク先生にこれ以上取り付く島はなく、私は走って演習場を出た。
走って走って、薔薇園までたどり着いて、中央部の芝生にどさりと腰を下ろす。赤い薔薇がぽつぽつと咲くここには誰もいなくて、ゲームのようにアイン王子とおしゃべりすることはできない。
「追い出されちゃった」
そう呟けば。
「そうだな」
ゼノの答えが返ってきた。風がそよそよと肌を撫でるけれど、ゼノの体は風でぶれたりしない。アイン王子はいないけれどここにはゼノがいて、ゲームとは違う世界が広がっている。ゲームの世界であって、でも、前世と似ているこの世界。
「あのね、ゼノに聞きたいことがあったの。私、この世界に生まれ変わってきたみたいなんだけど、なんていうか、私が前世で知っていた世界とここがちょっとずつ違って、前世の世界が混ざってて、変で」
「それで?」
何が聞きたいというわけでもなくて、むしろ聞いてほしかっただけなのかもしれないけど。何か答えが欲しいっていうのをどうすれば伝えられるだろうか。
「えっと……生まれ変わりってあるのかな」
結局良い質問は浮かばなかった。けれど、ゼノは私の横に腰を下ろすような恰好をして言う。
「見たことはないけど、あるって信じたいかな」
「信じたい?」
「ああ。もう一度会いたいやつがいるんだ」
その人はもうこの世にはいないんだろう。「ごめんなさい」と言えば、謝る必要はないと言われた。
「俺の出身はこの大陸のもっと中心部で、そこには魔族たちがたくさんいた。中心部は魔素が多くて人間は住めないから、必然的にそうなる。でも、俺は人間に会ったんだよ」
ティラミス王国がこの大陸の西岸部の端に位置し、それ以外の土地は全て妖精をはじめとする魔物と魔族の住む場所。大陸中心部には魔王城があって、城下町から少し離れた湖でゼノは生まれた。精霊は魔素だまりや魔力だまりから突然生まれるのが常で、ゼノもそうだったから、目覚めた時に周りには誰もいなかった。
ただ自分の名前だけを抱き、湖から魔力を取り込んで生きているだけの数日、もしくは数週間。このまま日々が続いていくかと思った時、彼女に出会った。
オレンジっぽい赤毛に、そばかすの浮かぶ色素の薄い肌。華奢な体をした少女は苦しそうな息を吐いて湖の側で座り込んだ。
二人は初めて見る存在にお互い戦々恐々とし、ためらいながらも言葉を交わした。
赤毛の少女はライラと名乗り、ほんの数日前、家の近くの川沿いを歩いていたらこの世界に来てしまったと言った。戻り方もわからず、言葉もわからない中で、初めて意思疎通ができたのがゼノなのだと、彼女は涙目で言った。
「ライラが人間で、この世界の魔素に体が耐えられないのが本能的にわかった。だから俺はあいつをくるむようにして、魔素を吸い取ってやった。そのまま近くの町へ行って、俺は初めて魔族を見て、意思疎通が取れることを知ったんだ。あとは、あいつのために通訳してやったり、あいつの引き取り手が出来たりして、数年くらい、俺はあいつと一緒に町にいた」
ある日、勇者軍と名乗る人間たちが妖精の村や魔族の住む村を襲い始め、生活は変わった。町に流れ込む難民に、魔王、と言っても当時だから今でいう前魔王が挙兵したことでなだれこむ魔王軍に町は物資不足に陥った。配給制度も整わない中、誰からそしりを受けたのか、ライラは自分が人間であることを恥じ、この町の人たちが自分を嫌いになるのが怖いと言って町を出る決意をした。魔王軍の中にいた魔法がやたら得意な魔族に捨て身で話をしに行って、その日の内には、魔王軍と一緒に勇者軍を倒しに行く流れになった。
「俺はついていった。一年たち、二年たって、あいつは俺と行動を共にしないようになった。定期的に体調が悪くなるようになったあいつをどうすればいいかわからなくて、俺もあいつから距離を取るようになった」
ライラは魔王軍にいるうちに、その体を疎ましく思うようになった。この体のせいで強い魔法が使えない、長く生きられない、そう言って嘆く彼女に、ゼノはオレンジがかった赤毛に手を伸ばした。この髪の色は美しいし、その白い肌も綺麗だと。
でも、ライラは納得しなかった。
「出会って十年だったか。さよならと告げられて、その瞬間、契約が切れたのを感じた。強制的に契約を切るなんて無茶しやがったせいで俺はしばらく冬眠状態になって、起きたらあいつはもういなかった」
それから、彼女を探す旅に出た。人間は魔素に弱い。だから、魔素の薄い場所に行けば会えるのではないかと思って、いくつもの町や村を転々とし、人間の地も巡った。
「でも、見つけられなかった。冬眠から覚めた時に五十年たってたからな。人間の命は短い。もう死んじまったんだろうって思った」
ゼノは腕の中に顔をうずめて、もう何も言わなかった。
もしゼノの顔が見えたなら、そこには悲しみを浮かべているのだろう。見えない顔に、その震えそうな肩に触れたくて、でもこの手で触れて傷つけることが怖くてためらって。『取らない。取ってもすぐリリース』と両手に向かって呟いてからゼノを抱きしめる。
感触はなくてもほんのり温かいそこを包むように抱けば、ゼノはほう、と息を吐いた。
「私、前世で同じ名前の人と知り合いだったの。その人はいつもこうやって抱きしめてくれて。迷子になったときも、知らない人に連れて行かれたときも、帰ったら必ず抱きしめてくれた。……その人、男性だって最近知ったんだけどね」
「……そうか」
風がそよぐ。校舎で授業終了の鐘の音が鳴るまで、私たちはそのままでいた。




