下校ルートは危険がいっぱい(2)
雪子が帰ってこないのよ。
メイド長の困ったような声が魔王城をかけめぐる。
あの子ったらまた何かやらかしてどこかでいじけてるのかしら、出てらっしゃい雪子、なんて言葉が何度も繰り返されて一時間。
さすがに異変に気付いたメイド長が魔王アベルの執務室に赴いたのは、既に夜8時になろうとしているときだった。
「魔王様、雪子が」
「知ってる。っていうか全部聞こえてたよライラ。君の独り言、大きすぎるんじゃない」
ペンをくるくると玩ぶアベル。机の上に書類はなく、縮尺を変えた世界地図が漫然と広がっている。
「ねずみが入ったみたいだね」
「ねずみ?」
「そう、それもかなり大きいやつ」
魔王城への侵入者を告げる魔王に、ライラは申し訳ございません、と頭を下げる。
アベルは「気にしないで」と答えるも、堅い顔を崩すことなく胸ポケットに手をやった。
「これ、研修施設と城の間の道に落ちてた」
アベルの胸ポケットから取り出された白いもの。手元で確かめなくてもわかる。雪子の手袋だ。
「あの子、あんだけ釘を刺したのにまた……!」
ライラの言外に「帰ってきたらお説教」という言葉がにじむ。
「それより、雪子ったらどこをほっつき歩いてるのかしら。もう夕飯の時間だって言うのに」
アベルから受け取った手袋をエプロンのポケットにしまいながら言えば、アベルは「ほっつき歩けてるなら良いけどね」と回していたペンをとめた。
目線の先には小瓶。
およそ執務机にはふさわしくないその小瓶の中では、てんとう虫がちまちまと歩いていた。
「六時過ぎにこれが飛んできてね。羽が発光してるもんだから捕まえてみたら、数秒で光るのをやめちゃったんだ」
でも魔王様、それ、てんとう虫ですもの、光るわけがないじゃないの。
ライラは疑問を口に出そうとして、でもどこか気になって小瓶を持ち上げてみる。
「まだ、かすかに光ってる」
よく見ればてんとう虫の赤く輝くハネが、反射光ではない光を放っている。
ごく初級の光の魔法か何かだろうか。
「六時過ぎにはかなり強く光っていて、その後光らなくなったと思ったらついさっきから弱く光り始めた。どう思う?」
強く光ったものが消えて、また戻る。
たとえばそれは、魔法を使った者が魔法を終了させる前に何らかの理由で意識を失って、目覚めて再度魔法が継続しはじめた時に魔力不足の状態であるとか。
それか、目覚めた時点で、魔力を十分届けられないほど遠くへ移動した場合であるとか。
まあ、どちらにせよ。
「ねずみはもう城にはいないってことね?」
「そうだね」
なぜねずみは魔法を終了させずに城を後にしたのかしら。
考え込むライラに、アベルは「何を悩んでるの」と心底不思議そうに言う。
「なんにせよ、早くねずみを見つけないと。雪子を誘拐するなんてよっぽどの物好きだから、一筋縄じゃいかないかもしれないね」
「誘拐?」
「ライラがさっき推理したでしょ。ねずみはもう城にはいない。雪子の意識を失わせて、魔力が届かないくらい遠くへ運んだってことは、誘拐でしょ」
このてんとう虫を光らせている主はねずみではなく雪子だったのね。でも、それなら魔力を追跡していけばすぐ見つかるはず。それなのにアベルは目的が定まらないまま地図を眺めているだけで。
何かがおかしい。
「追跡してみると面白いよ。最初は城下町。そこから移動して隣町。次が人間界。次が竜の自治国で、妖精の村も経由してる。そこから移動するとき、多分古い魔法を使ったんだろうね。確かに魔力は届いているのに、出所が全く分からない」
「なら、私が妖精の村へ行ってみるわ。手掛かりくらいあるんじゃないかしら」
ライラの申し出にアベルは「それはいまシェムシュがやってる」と返す。
「雪子はどこでも生き延びそうだけど、魔法を使いっぱなしの状態だと魔力が枯渇しちゃうんじゃないかなぁ」
魔族は魔力が枯渇すると消滅する場合があるが、人間はどうなるのだろう。
肌寒さを感じ、腕をさする。冷気のもとは間違いなくアベルだ。
「魔王様、手詰まりのうちに夕食にしない? 腹が減っては戦は出来ぬと言うじゃない」
持ってくるわね、と言って部屋を出れば、廊下はかなり暖かかった。
季節が変わりつつあるのか、ここ数日の昼は汗ばむような陽気が続いている。その空気がまだ城の中に残っているのだろう。
いそいそと歩みを進めながら、あの子は今頃お腹をすかせているんじゃないかしらと、雪子のことを思った。




