学校生活はスパルタでいっぱい(1)
魔界での学校生活初日は、意外と普通にやってきた。
魔王軍の研修施設を利用した教室は、公民館のように机や椅子が並んでいて、前の壁にはスライド式のホワイトボードが設置されていた。
右隣に座っている人は華奢に見えるけれど筋肉質なお姉さん。左隣に座っているのは小学生くらいの男の子だった。
採用試験のせいか、初日のせいか、会話を交わすものはほぼ皆無。そんな緊張した中、きぃ、とドアを開けて入ってきたのは30代くらいのショートカットの人だった。軍の偉い人が着ているジャケットとパンツ。合わせからすると女性なのだろうか。
「みなさん、おはようございます。今日から一か月間指導をするデボラです。各々よく学びよく成長していただきたい。どうぞよろしく」
デボラ先生は中性的な声で挨拶し、出席を取り始める。
改めて周りを見回せば、見た感じの年齢も種族も様々。ただ、どちらかというとゴツめな人が多いようにみえる。
そういえば、一次試験で重量挙げとか反復横跳びさせられたっけ。息切れしている状態でやるのは拷問かと思ったけど。筋肉のなさそうな人はたぶん、雪子のように神経衰弱ゲームやパズルや包帯巻きあたりで一次を通過しているんだろう。
「ユキコ・アッベール! いないのか?」
「あ、はい!すみません!」
名前を呼ばれていることに気づいて慌てて返事をすると、教室のどこかでちょっと笑われた気がした。
だって、昨日つけたばかりの苗字で呼ばれたってすぐには反応できないよ……。と誰かに言うこともできずに下を向く。
学校行くなら苗字いるよね? とは魔王様の言葉で。本当の苗字は日本の人間っぽすぎるからと魔王様がつけてくれたのだけど、その苗字を聞いた瞬間メイド長もシェムさんも大爆笑していて、なんだかいたたまれない。理由を聞いても教えてくれないし。
前を見ればデボラ先生がホワイトボードに何か書いている。周りに倣ってノートをとってみるけれど、そもそも何語かもわからない文字で、うまく書けない。
途方に暮れてぼーっとし始めたころ、先生はペンを置いた。
「これが読める者と読めない者がいて、それがみなさんの知っているように種族の壁などと呼ばれているものです。そして、魔法とは」
先生による魔法の詠唱。
ホワイトボードの前に淡い霧がかかって消えれば、そこには「座学と実習 物の移動」という文字が現れた。
「こうして、目の前にいる相手と意思疎通をはかるなど、まず一番に、他者との交流を目的として発展してきた技術です」
先生、すごい。
つかみのトークに引き込まれていると、あれよあれよという間に話が難しくなってくる。まあ、そうよね。魔界の人にとって魔法は日常的なものすぎて今さら「魔法とは何か」なんてやる必要ないもんね。
「……というわけで、以上が物の移動の原理です。では、やってみましょう。みなさん、起立」
言われるがままに立ってみたものの、何をすればいいかわからない。
周りを見ればみんな自信ありげだし。どうしよう。
「各自詠唱、目の前の任意の物を好きな場所へ移動させなさい。他者をあえて傷つけることは禁止。その場合は減点です」
先生の指示が出てすぐ、ホワイトボードに立てかけられたペンが空を飛ぶ。
「5点。他の者も、各自自由に。」
待って先生。詠唱が何かもわからないし、しかも動かした順に点がつくとしたら私最下位になっちゃう。
とりあえず右隣の人を観察すると、ああ、早すぎて何言ってるか聞き取れなかった……。でもすごい、ペンがひとりでにハナマル描いてる。
「ユーモアボーナス、7点。他の者は?」
先生の採点が早い。それにしてもよく見えるなぁ。ってそんな場合じゃないんだった。
「あの、物を移動させるための魔法ってどうやるんですか」
右隣のお姉さんに聞いてみると、その人はちょっと唖然とした顔で、「もしかして、本当の初心者?」と聞いてきた。
即座に頷くと、お姉さんは「なんでもいいから、動けって思いながら、好きな言葉を言えばいいの。気の持ちようみたいな。教科書に載ってるみたいな呪文覚えてたら頭パンクしちゃうもの」と小声で教えてくれる。
「他者を助けた者、3点追加」
先生の声に周りがざわつく。
不公平だ、とか色々聞こえてくるけれど、先生は手を二度叩くとみんなの集中を集めた。
「共同生活の基本は助け合いです。そして、魔王様が目指すのは平和な世界です。魔王様にお仕えしようと思う者は常に協調と助け合いを意識するように」
へぇ、魔王様の目指す世界って、平和な世界だったんだ。知らなかった。魔王様のことだから、散歩といたずらの蔓延する世界とか望んでそうなのに意外と普通なのね。
「3点、5点、4点。まだの者、集中するように」
いけない、どべになっちゃう。
あわてて目の前のペンを見つめて語りかける。
動け、動け。駄目か。転がれ、転がれ。ああもうちょっとでいいから動こうよ、ほら、ローリング。頼むよ、ペーン。
隣のお姉さんが噴き出すのが聞こえる。
左隣の男の子が「指差してみたら? こう、君に話してるんだよって伝わるように」と声をかけてくる。
言われるがまま人差し指を向けてペンに「動け、ほら、できるよ、君ならできる、そうだ、がんばれ、やればできる、気合いだ」と語りかけてみるも、1ミリもペンは動かない。
ああ、神様。どうして動いてくれないんでしょうか。助けて。助けて神様。
「ユキコ・アッベール」
どきり。
これ絶対怒られるやつだ、と思いながら顔を上げると、デボラ先生は「君を現時点での成長可能性1位と判定します。着席しなさい」と告げて教壇に戻って行った。
これって、褒められ……てないね。うん。
先生がホワイトボードを「水の発生と消滅」に書き替える。ああ、物の移動をできるようになる前に次の科目へ行ってしまった……。
魔王様、この学校、かなりスパルタです。




