ようこそ魔界へ(2)
赤レンガのバルコニーは芝生からそれなりの距離を保っていた。おそらくビルの6階くらいの高さだろう。
空に雲はないが、まるで曇っているかのようにぼんやりとした色をしている。
遠くを鳥が飛ぶのを見ながら、雪子は紅茶を飲んでいた。
正確に言えば、紅茶の香りと色をしているがとても紅茶の味のしない、甘い液体を。
「もう一ついかがですか」
クッキーをすすめる青年に首を横に振って、雪子はしばし考える。
朝の飲み屋街が一瞬で赤レンガの塔に変わったこと。欠けていく途中だった太陽がどこにも見当たらないこと。目の前の青年。髪の色は外国人のようだが、赤い目はおそらくカラーコンタクトだろうし、自称イケてる系ホストだろう。ただ、アイドルとまではいかないが、整った顔にすらりとした腕、指。もう少し日に焼けている方が好みだ、あと、眼鏡もあればよかった。惜しいなぁ。
「見損ねてしまいましたね、金環日食」
青年が指からクッキーの粉を払う。
「見損ねた?」
そんな一瞬で日食が終わるものだろうか? 欠け始めてからしばらくしないと影と重ならないと聞いた気がしたのに。
「太陽ないですからね、この世界」
なるほど。
雪子は深く納得する。
どうやら、日食を期待しすぎて夢にまでみてしまったらしい。
突然の場面転換も、見知らぬ人と平然とお茶を飲んでいるのも、万事解決。
それなら、覚めるまで身を任せてみよう。
「先に言っておきますが、夢ではないんですね、残念ながら」
青年の細い目。笑っているのだろうか、それとも。
「死んだわけでもないですよ、まあ社会的に死んだかとかそういうのはよくわからないですが」
社会的に死ぬというと、黒歴史としかいえないポエム日記や自作の小説なんかをばらまかれたりすることだろうか。あとは、リベンジポルノ的なサムシング。
でもそれはありえないことだった。
黒歴史といえるような日記なんかはもうないし、リベンジもなにもそんな浮いた話はこれまで一度もなかった。
清廉潔白な中学2年生。
教師たちはきっと口をそろえて言うだろう、「雪子さんは真面目な生徒です」「成績については本人の頑張りがあれば」と。
「じゃあ、妄想?」
鼻から息を吐くように笑う。
ばかばかしい、と態度であらわすように。
「まかいです」
「まかい」
まかい。マカイ。MAKAI。ハワイ? 鳥取にハワイがあるって聞いたことがあるし、まあ、そうか、うん。マカオのパクりみたいな。
「……今日からマのつ…こほん」
?
「……まじまじる…こほん」
話しかけては咳払いをする青年。風邪でも引いたか。
「そろそろ現実をみましょう。魔界です、魔界」
「はい」
「ようこそ魔界へ」
「いやいやいや」
「なんでもいいから納得しましょう」
「いやそれはいくらなんでも」
「はい、改めまして、ようこそ魔界へ」
拍手、と言って手を叩く青年。
それはまるで、地下のすたれた劇場でピエロがおどけるような胡散臭さだった。