さがしもの(1)
灰色の雑居ビルとシャッター。薄汚れた黄色い看板。薄い青色の空。
雪子は朝の飲み屋街を歩いていた。
やけに強い風がシャッターをがたがたと鳴らす。
まるでこの世界に私しかいないみたいだ。
そんなはずはないけど、でも、今だけは世界をひとりじめしているようで。
この世界でなら普通に生きられただろうか、と自嘲気味に笑う。
長い夢を見ていた気がする。
魔法があふれる世界と、いじめっこな魔王と、優しくて頼れる仕事仲間と、美味しいごはん。
「夢、だよなぁ」
ワンピースのポケットをさぐる。厚みのある紙の感触が右手に伝わる。そう、これがあるから、私はここにいる。
ひとつの雑居ビルの前で足を止める。何度も足を運んだこのビルは非常階段の入り口をいつも解放している。まあ、実際はただの不用心か、鍵が壊れているだけなのかもしれないけれど。
カツン、カツン、と足音が響いて、できるだけ音をさせないように屋上まで上がる。6階建てのビルの屋上までは、遠い。
コツン、コツン、コツン、コツン。
息を切らしながら上がりきる。
屋上の扉もまた解放されていて、コンクリートの広がるそこは道路にいた時よりも風を強く感じる。
もう、空をひとりじめする必要はなかった。
そんなこと考えなくたって、ここには誰もいなくて、空も、眼下の道路も、全部雪子のものみたいに整然と存在している。
目を閉じて深呼吸。
悲しいくらいに優しい気持ちがする。
この世界のすべて、みんな、ほんとうにほんとうに、ありがとう、だいすき。直接言えなくて、ごめんなさい。
靴を脱ぐ。
ポケットの中から封筒を取り出して、靴の中に差し込む。
コンクリートの冷たさが靴下越しに伝わる。その感覚さえ、愛おしい。
世界はとっても素敵だ。綺麗で、綺麗すぎて、こんなにも悲しい。
「ありがとう、みんな」
目を閉じて呟く。
誰かとか何かとか、そんな具体性はまったくないけれど、ありがとう。
腰かけるへりからお尻に伝わる冷たさが心地良くて、でも、だからこそ、お尻となじみすぎる前に離れないと。
「どういたしまして」
ふいに聞こえた男性の声。
目を開ければ、目の前に金髪黒尽くめの青年。
「夢、の、」
魔王様、と言おうとして、声がかすれた。
魔王様は目を細めて首を横に振る。
「探し物は見つかりましたか」
その言葉に、記憶が交錯する。
確かに、聞いたことのある言葉。
私はそれに、見つかったと答えた。でも、それは夢の始まりだったのではなかったのか。
それとも。
……どれが夢で、どれが現実?




