おつかいには危険がいっぱい(3)
外に出るときは、手袋を外さないこと。
それはレディのたしなみだからと、魔王様は言っていた。
でも、こんな場面では。
「外さずにいようか、いや、いられまい!」
肉汁あふれる特大肉まん。ほろりほぐれる角煮まん。
手袋を汚すくらいなら、レディのたしなみは後回し。
それに、そもそもレディは屋台で買い食いなんかしないだろうしね。
それにしてもこの肉まん、空腹に染み渡る美味しさだわ。
一心不乱に口を動かす雪子。
「ドラゴンなんか楽勝っしょ」
ふいに耳に入ってきた声。その声は横を通り過ぎる剣士らしき三人組の誰かから発せられたもののようで、雪子は思わず耳を澄ます。
「まじ燃えてきた」「金はいったら何買う?」「まず肉食いに行こう肉」
遠ざかる会話に、気づいたら声をかけていた。
「あの、ドラゴン倒しに行くんですか」
剣士たちは足を止め、「そうだよ」と律義に返す。
かっこいいだろ? という空気を出す三人組に、雪子は勢いづいた。
「私もつれてってください!」
「は? ねえちゃんドラゴンなめすぎだろ」
即答する剣士その1。でも雪子は諦めない。
「私、魔王城のメイドです! ドラゴンの卵を持ち帰らないといけないんです」
「魔王城のメイド……?!」
目配せしあい、小声で話し合う剣士たち。「魔王城だって」「あの魔王城」「でもメイドだぜ」「いやいやいや、あそこの面接って」「ああ、はいはい」
「いいぜ、連れてってやるよ」
答えが出るまでに時間はかからなかった。
ありがとう魔王様。わたし、初めて職場の名前に感謝しました。
「……大きい、ですね」
上半身を起こし、赤い目を光らせるドラゴンを前に、雪子はぽつりとつぶやいた。
蛍光石で一面緑色に光る洞窟の中で、大型トラックのほどの大きさのドラゴンは威嚇するように低い声を上げている。
昼ドラで見たドラゴンはもっとこう、人型サイズだったのに!
「じゃ、ちゃっちゃとやるか」
剣士の一人が剣に手をかけ、残りの二人もそれに続く。
彼らの目的はドラゴンの目と鱗と皮らしい。宝飾品や武具の材料として高く売れるのだと教えてくれた。卵については全部雪子にくれるそうなので、まさに願ったりかなったりである。
走り出す剣士たち。
威嚇するドラゴン。
切りかかった剣士は赤い光に包まれ、その瞬間どさりと倒れこんだ。
声を上げて挑む他の剣士も、また、赤い光に包まれて倒れこむ。
何が起こっているのかと目を凝らしてもわからない。
残った剣士が雪子のもとまで下がる。
「ねえちゃん、あんた魔法使えるか」
「いいえ……」
残念そうな剣士。
「武道は?」
「いえ……」
「剣術は?」
「……いいえ」
剣士が「ウソだろ」と雪子を見る。
「じゃあ、あんた、何ができるんだ」
「お茶くみ……ですかね……」
剣士の顔が絶望に染まる。
「逃げるぞ」
「はい」
さようなら犠牲になった剣士さんたち。ごめんなさい。
全力疾走で逃げようとしたときだった。
ドラゴンの口と剣士が赤い光の筋で繋がれ、目の前の剣士が赤く光る。
どさり。
地面に倒れこむ剣士は、前の二人と同じようにピクリとも動かない。
眠っているのか、それとも死んでいるのか。それすらもわからない中でドラゴンを見る。
きらめく赤い目。
口を開けるドラゴン。
「ま、待って、待って!」
思わず両手をドラゴンに向け、「待って」と繰り返すも、ドラゴンの口の中が赤く光る。
両手に感じる衝撃。
死んだ。ぜったい死んだ。
ぐっと目を閉じると、三途の川が……あれ、見えてこない。
目を開けてみる。
ドラゴンの口の中はもう光っていない。
そのかわり、両手が赤く光っている。
こ、これは……どうすれば……?
とりあえず両手を握ってみれば、赤い光は少しおさまり、代わりに体がたき火の前にいるときのように熱くなる。どくどくと血流の音がきこえる。頭の中まで、熱い。まるでインフルエンザみたいだ。なんか、もう、立っていられない。
「やめろ!」
急に聞こえた声は、どこか遠く、でも、すぐ近くから聞こえたものだった。
聞きなれた声。
「魔王、様……」
「その手、絶対に開かないで」
「え?」
「だから、握った手! そのまま握ってて」
気づけば真横に立つ魔王様に腰をつかまれる。
「せ、セクハラ」
「そんなこと言ってる場合か」
雪子と魔王様の周りの地面から、白い光の筋が吹き出す。光の筋に完全に包まれた瞬間少しだけ体が軽くなって、すぐにまた重くなった。光の筋が消え去ると、目の前に広がる、海。
ここは確か、岬のはじっこ。
前にみんなで火サスごっこしたっけ。
「魔王様、あの、何も告白することないし、体めっちゃ熱いんですけど」
腰を抱いたままの魔王様に言えば、海に向かって腕を伸ばすように言われる。
言われるがままに手を伸ばせば、まるでロボットの飛行体制のよう。なんて。
「手、開いて」
手を開いた瞬間、どんっと、誰かに強く胸を押されたような衝撃を感じ、なんとか踏みとどまる。
海から白いしぶきが上がり、しぶきが落ち着くと、魚が数匹、水面に浮いた。
さきほどまではあんなに熱かった体が今は嘘のようで、耳元でうるさかった血流の音もすっかりなくなっている。
思わず両手を握ったり開いたりしていると、魔王様は雪子の腰を抱いていた手を背中までずらし、雪子を抱きしめた。
「心配かけないで」
耳元で吐息交じりにささやかれ、どきっとする。
「ごめんなさい」
「手袋は? 外では外さないように言ったよね」
手袋?
ああ、そういえば肉まん食べるときに外して……ポケットの中だ。
「帰ったらお仕置きだからね」
「……いやです」
「一人で帰りたい? ここからだと歩いて数日かかると思うけど」
「ごめんなさい」
魔王様が雪子をはなす。魔王様の顔をうかがえば、怒ってはいないようだった。
「帰るよ」
「あの、まだ仕立て屋さんにお手紙が渡せてなくて」
「それなら済んでる」
なんと。私は今日、いったい何をしに来たのでしょう。
紅茶は買ったけど、おつかいのうち半分以上がこなせていないとか、メイド失格なのでは。というか、おつかいできないなんてこども未満?
ぐるぐる考えていたせいか、油断していたらしい。
足が地面から浮く感覚と膝裏の圧力、気づけば視界が高く、雪子は魔王様にお姫様抱っこされていた。すぐ斜め上に魔王様の顔。
「今日は飛んで帰ろうかな」
「魔王様、顔が近いです。あと膝の裏が痛いです」
「落ちたくないなら黙ろうか」
ぐん、と重力を感じて、あっという間に岬が遠くなり、村や森が小さく足元を動いていく。
ちょっぴり恐怖を感じて、魔王様のジャケットをぎゅっと掴んだ。




