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日の輪  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第二部
10/15

5.日の輪


 蝙蝠が城壁に手を触れようとしたその時、急に輝かしい金色の光が月の城の敷地内を覆い、蝙蝠とあたしの行く手を阻んだ。

 それは一瞬、蜘蛛の糸のように見え、あたしは絡新婦が来たのだと思った。

 けれど、次の瞬間、光は真っ直ぐ伸びていき、この月の城全体を鳥かごのように覆っていくのが見えたのだった。

 蝙蝠がその光に目を奪われる。

 何が起こったのか理解は出来なかった。ただし、大きすぎる力があたし達の行く手を阻んだのだと言う事だけは分かった。


 城は鳥かごのような光に覆われたまま。

 蝙蝠は黙って城壁に触れようとしていた手を退けると、恐る恐る振り返った。あたしも釣られて振り返る。

 目に見えたのは、先程まではいなかった二人の女だった。

 一人は月。そして、もう一人は客人。

 月の顔は青ざめている。対して、客人は仄かに笑みを浮かべ、凛とした態度で蝙蝠だけを見つめていた。


「残念でした。もう少しで貴方の株が上がったのにね」


 そう言ったのは客人。

 蝙蝠はその姿を見つめると、あたしの手を強く掴んだまま固まってしまった。震えているのは闘志のためか、それとも。

 ともかく、蝙蝠は客人のみを見つめ、唸るように言った。


「まさか……」


 客人が目を細める。

 陽だまりのような笑みが、あたしへと向いた。


「もう逃げ場はないわ、蝙蝠さん。焼け死にたくなかったら、その子を月に返してやってくださらない?」


 柔らかな声色には優しげな心がちっとも込められてはいなかった。もしも蝙蝠が意に沿わない行動を起こせば、迷いなく言葉通りに動くだろう。

 それは、確かに月とは違う威圧的な態度だった。

 蝙蝠がじっと客人を見つめる。彼の手はあたしの腕から未だ離れてはいない。もしも蝙蝠が焼け焦げるのならば、あたしはどうなるのだろう。


 新たな不安が生じ、あたしもまた客人を見つめた。

 優しげにあたしを探り、月のもとに来た理由を知ると言う女神。

 けれど、何故だろう。

 彼女にとって大事なのは月だけであって、あたし等居ても居なくてもいいと思っているように感じられた。やむを得ない事情があれば切り捨てるべき存在として、あたしを見捨ててしまうのではないかという恐れがあった。

 客人の表情からは何も窺えない。

 それがまた恐ろしかった。


「蝙蝠さん。そろそろ決断なさい」


 客人の澄みきった声が庭中に響き渡る。途端に彼女の周囲で光が浮かび上がった。眩い金色の光。この城にはいささか強すぎる明かりが、蝙蝠とあたしを圧倒する。真横にいる月もまた、警戒心を強めた。

 月は、あたしを心配してくれているらしい。

 けれど、彼女はここに駆け寄れない。客人に阻まれているせいだ。月が動こうとすれば、透かさずその手が月を捕えるだろう。

 客人は知っている。月が何に狙われ、どんな状況に置かれているのかをよく知っている。

 ただ知っているだけではない。

 知った上でどうするべきかという事もまた決めており、全てを把握した上で彼女なりの対策を練っているらしい。

 それは、月の元に不思議な手紙が来た時、他ならぬ月より教えてもらった話だ。


 客人の両目が輝き、その周囲で光が強まる。月の城全体を覆う金色の光が同調し、熱気が強まっていくのが分かった。

 熱くて気持ち悪い。

 だが、あたし達以上に、蝙蝠は汗を浮かべ震え始めた。彼に異変が起ころうとしているのだ。月には出来ない芸当。魔女はもちろん、生き神と呼ばれる者の中でも、このような恐ろしい魔術を使えるのはこの客人くらいのものなのかもしれない。

 金色の光に包まれ、客人の姿が輝く。見る者の身体の全てを温め、時の焼き尽くさんと照りつける。

 その姿はまさに、彼女の真の名にふさわしい。


 ――太陽。


 以前、月に聞かされたその名を、あたしは心の中で呟いた。



 生き神と呼ばれる者ならば、誰だって殺される可能性がある。

 広い大地の何処かに枯れ果てた土地があったならば、そこは主人となる生き神を失った死の大地かもしれない。

 生き神の種類は様々だ。

 男であったり、女であったり、性別なんて存在しなかったり、寿命があったり、なかったり、人間に似たものであったり、他の動物や植物、虫であったり。

 我らが大地の主人である月は女であり、三十年に一度、子を生み落とすことでその存在を連鎖させる生き神であるけれど、他所の大地には人間等の女より花嫁を選び、その腹を借りて子を残す男神や、子を残さず年を取らぬ神もいるらしい。


 不老であり、圧倒的な力を持つような神は、死ぬ可能性など考えることもない。

 それこそ、この世界の広域を見渡せるような神であれば尚更だ。


 太陽はそんな圧倒的な女神の一人であるらしい。

 年も取らず、老いとは無縁の女神。子を生むこともなく、たった一人だけで女神として永遠に存在し続ける。

 広域を移動しているはずなのに、この大地に縛られる月の事は何でも知っているし、己の城を長く空けたこともないらしい。

 何処にでも現れ、何処からでも姿を消すのが太陽。

 月とは比べることも出来ない異質な存在。

 同じように生き神と呼ばれていても、月は太陽のことを何一つ捉えられないらしかった。逆に、太陽は月の事を生まれた時からずっと知っている。


「この城が安全なのは太陽のお陰なんだ」


 手紙が来た日、月は力なくそう言った。


「母の時代はそこまでしなかったらしいけれど、幼かった頃の私が食虫花に攫われそうになり、その上、人工花が犠牲になった事を受けて、太陽が『日の輪』と呼ばれる呪いでこの城を覆った」

「それで食虫花は忍びこめなくなるの?」


 訊ねてみて、あたしは思い出した。

 二年ほど前からの事しか分からないけれど、これまで食虫花が直接忍びこもうとしているのを見た事はない。勿論、その理由は月にやられた傷のせいだと思っていた。聖剣による深手を負った身体では戦えないと判断しての事だと。

 しかし、そうではなく、単に食虫花が忍びこめないだけならば、女中頭や執事が月を幽閉する理由もよく分かった。

 此処にさえいれば安全なのならば。


「それから数年置きに太陽は現れ、『日の輪』を強めて去っていく。この呪いは時間と共に弱まっていくらしいから。そのついでに私の成長も確認しているようだ」


 ――成長の確認。


 その言葉には嫌な印象を覚えた。年を取らぬ女神が、年を取って将来子を生む事になる月の成長を見守るのは何故か。

 世の中は不公平だ。

 別に太陽でなくたって年を取らない神はいる。月と同じ程度の生き神であっても、子を介して存在し続ける種類ではない者はいるのだ。

 それなのに、どうして月は違うのだろう。

 子を生めば高確率で死んでしまうという現実が、こんなにも迫ってきているなんて思いたくない事実だった。


「太陽はきっと何か知っているんだろうね。これまでの月が子を孕み、生んで、死んでいく所を何度も見てきたはずだから」

「……月」


 呼びかけたまま、あたしは黙した。

 目を逸らしてはいけない。

 その内に、嫌でも目を逸らせなくなる日が訪れるのだから。


「十六歳になった頃だったかな。いつものように太陽が訪問して来て、私の身体を確認するようになった。時折、正常に成長しない事があると言って。勿論、たとえそうであったとしても、太陽にはそれを正す力があるらしい。私が順調に育ち、子を産むまで導くことが、太陽の仕事の一つなのだとその時に知った」


 淡々と語る月に、あたしはそっと寄り添った。

 先代の女神、月の母がどんな人だったのかは知らない。人間達は、生まれる娘は月の生まれ変わりなのだと主張するけれど、そんな事は信じられなかった。

 月の産む子供は、きっと月であって月ではない。

 正当な大地の主人となったとしても、あたしの知る月とは、今、こうやって温かみを感じている月とは、全く違う者であるだろう。


 ――月の姫が生まれてきて欲しい。


 そう願うあたしを、太陽はどう見るだろう。

 恐ろしく多くの月を見てきただろう太陽ならば、きっとあたしの気持ちなんて砂粒よりも小さなものに感じることだろう。

 同時に、あたしは知っていた。

 かつて、今のあたしと同じ事を願った人が今もこの城で働いていることを。執事と女中頭だ。彼らは月が生まれるより前、月の姫を熱望していたらしい。そのくらい、先代の月を崇拝しており、敬愛していた。


 きっと肖像画にしか残っていない人工花もそうだったのだろう。

 今のあたしや華のように、彼女も月の姫の誕生を願ったに違いない。

 そして、現実は違ったのだ。

 月の母は息絶え、月は姫ではなく月そのものとして誕生した。

 それが現実だった。滅多にいない月の姫の誕生など夢のまた夢。文献に残る時代など、本当に恵まれた時代であったに過ぎないのだ。

 そう思ってみても、やはりあたしは願ってしまう。


 ――月の姫が生まれてきてくれれば……。


「蝶……」


 優しげな声があたしの耳をくすぐった直後、うっとりとする月の香りがあたしの全身を包みこんだ。こうやって抱きしめられるのは、いつものことだ。でも、今は、いつもとは違ってとても切ないものを感じた。


「こうやって蝶と触れあえるのもあと数年しかない。泣いても、笑っても、太陽はこれまでと同じく正確に時を告げに来るだろう」


 だから、と月の声がくぐもる。

 鼓動が伝わり、仄かに振動する。混ざり合う温もりを感じると、花たちと蜜吸いをしている時よりも通じ合っているような気持ちになる。

 あたしは月の背をそっと撫でた。

 怯えるあたしを月はいつだって慰めてくれたけれど、こうやってあたしの方が月を慰めることはあまりなかったような気がする。

 あたしは月に寄りかかり過ぎているのかもしれない。


「蝶や華と一緒にいられる時間が有難い。私と一緒に居て欲しいんだ……」


 その声がすんなりと身体に沁み込んできて、不思議と心地よかった。三年なんてあっという間だろう。でも、積み重ねれば積み重ねるだけ大きなものであることも確かだ。

 月の胸元に顔を埋め、あたしもまた月に言った。


「あたしも、一緒にいたい。月と、ずっと……」


 泣き出しそうになって、それ以上続けられなかった。

 太陽が来るのを嫌がっていた月の心がやっと分かった。

 嫌がっていたのではなく、怖がっていたのだ。女神として命を落とすだろう日が着実に近づいて来ているのだと証明する太陽の姿が怖くて仕方なかったのだ。

 絶対的な存在。

 そして、どこまでも情に流されないのであろう存在。

 まだ会った事は無くとも、あたしもまた恐ろしさを感じてしまった。



 蝙蝠が身体を力ませる。

 太陽の力が解き放たれれば解き放たれるほど、決断までの時間は狭まっていく。やがて、彼は太陽が本気である事を悟ったのだろう。

 あっさりとあたしの手を放した。

 月の表情が変わる。けれど、動き出そうとした彼女はやはり、太陽に止められた。蝙蝠がいる以上、月を自由にするわけにはいかないのだろう。


 ――いや、それだけではない気がした……。


 太陽の表情が厳しいものになる。

 光を抑え、彼女は城全体を覆う黄金の光で出来た網を見渡した。強い力が行き渡り、悪意ある者が通ることのできないような壁となっているはずの呪い。

 けれど、あたしはふと気付いた。

 先程から何処からともなく漂ってきていた甘ったるい嫌な香りが、若干ではあるが近づいているということに。

 太陽の視線が動き、ふと一点で止まる。

 そこは、あたしの突っ立っている場所の背後だった。蝙蝠ではない。何故なら彼は、すぐ隣にいるのだから。


「なるほど」


 太陽が冷静に呟いた瞬間、背後より滑らかな手が伸びてきた。逃げようとしたあたしをしっかりと捉え、甘い吐息が首筋にかかる。

 蝙蝠なんかよりもずっと恐ろしい者。

 ここに入れないと言われていたはずの者が、すぐ後ろにいた。


「私の力を掻い潜り、いつの間にか網目の隙間から忍びこんで来るまでになったのね。そんな事が出来た貴女は、きっともう魔女なんかではないわ」


 淡々と言う太陽を、あたしの背後にいる人物が睨みつけているのが分かった。


「そうかもね」


 ややあって聞こえてきた声が、あたしの身体を震わせる。

 その震えを感じてか、彼女はその手をあたしの腹部で這わせ、やがて胸へと伸びていった。服の上から確実に古傷の一つ一つを触られているのが分かる。

 忘れもしない味の蜜が、指先から服を介してあたしの肌へと沁み込んできた。


 ――食虫花。


 意識が混濁しそうな味を覚えながら、あたしは必死に自我を保った。


「でも、どうだっていいわ。大切なのは、私が今こうして月の妾の命を手にしていることですもの」


 食虫花はやや笑いながら、あたしの首筋に息を吹きかけてきた。

 華のものとは違う蜜の香り。二年ぶりに伝わってくるこの感覚に、あたしの脳髄は溶けだしてしまいそうだった。


「さあ、月。貴女はどうしたい?」


 食虫花の優しげな声が庭に響く。

 華や日精、少年や蚕の目が月へと向いた。太陽に阻まれたまま、月はじっとあたしと食虫花とを見比べている。

 あたしは、どうするべきだろう。

 死にたくない。殺されたくない。食べられたくない。あんな痛い思いはもう嫌だ。どんなに時間を重ねても、恐怖は薄らいだりしない。

 あたしはもっと月と一緒にいたいだけなのに。


「このまま蝶を見殺しにするの?」


 食虫花の怪しげな声。太陽の鋭い眼差し。

 月がどう動こうと、太陽は阻み続けるだろう。月を失うくらいなら、あたしを切り捨てるに決まっている。それは何度考えても変わらない予想だった。

 食虫花だってそうだ。

 月がどう動き、どう答えたとしても、彼女はあたしを解放してはくれないだろう。そのつもりでいることが肌で伝わってくる。

 だって、彼女にとってあたしは、腹を満たすための食物でしかないのだから。

 残された未来が、凍りつきそうなほどの光景にしか思えない中で、あたしはただただ時に身を任せていた。

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