海の家の男
「次の本は情熱を持った男の物語」
「海とは雄大でございます」
「それでは心逝くまでお楽しみください」
男は迷っていた。
海の家で働いていた男は、この冬になってお客様が来ないことに危機感を覚えたのだ。
確かに冬にわざわざ海に来る物好きはいないだろう。
だが男は心の底から海を愛する『海の男』なのだ。
彼自身は泳げないため海の家で働いているが、それでも冬でも海に来てほしい男は切に願っていた。
夏の海の家は至福の時間だった。
暑い中食べる焼きそばやラーメン、キンキンに冷えたビールやかき氷、貸浮き輪やイルカの浮き輪などが飛ぶように売れた。
あの至福の夏の日をもう一度……。
男は夏が終わってからそればかり考えていた。
そしてあるとき男の頭に電撃が走るような考えが浮かんだ。
のちに徹夜で考えていたせいのナチュラルハイ状態だと知ったが。
その考えとは、深夜番組のコントでやっていた映像をヒントに生まれた考え、寒中水泳大会だった。
今の社会、賞金を出せばいくらでも挑戦者も現れるだろうし、そんな光景を見に観客も来る。そうすれば夏のような賑わいが一日だけでも取り戻せるはずだ。
市長にも、体を鍛えるためとか何とかでっち上げの企画書を提示すれば平気だ。
男と市長は海をこよなく愛する同士なのだから。
考えがまとまるとすぐに、市役所に向かおうと海の家を出る。
そして、気合を入れるために海に向かって大声で自らの心情を叫ぶ。
「カムバッーーーク、水着の女性達!!!」
そう男は、海が好きな以上に水着姿で遊ぶ女性が好きなのだ。
結して下心あふれるどこかの男達とは違う、男はただ純粋に、それこそ子供のような澄んだ心で水着姿の女性が素晴らしいと思っているのだ。
気合を入れた所で、いざ市役所と思い振り向かうとしたときに、後頭部に激しい打撃を喰らう。
激痛が走る後頭部を押さえながら振り返ると、フライパンを持った妻がそこに仁王立ちしていた。
「何海に向かって馬鹿なこと叫んでるの、早く家に帰ってきなさい」
男の野望も妻の叱責にはかなわない。
肩を落としながらドボトボと妻の背後を続きながら歩く。
そんな寂しそうに歩く男に向かって、前を歩く妻が肩越しにつぶやく。
「家に帰ったら、水着にエプロンでご飯作ってあげるから」
顔を赤くしながらつぶやいたその言葉に、男のテンションは一気に上がる。
海で出会い、恋に落ちた男と妻は意外にいい夫婦なのかもしれない。
「いかがでしたか?」
「お気に召しましたか?」
「よろしければ次の本もお読みください」