誘拐
評価がついに100pt超え! 非常に嬉しいです! ありがとうございます!物語も佳境、あと何回かで終わりは見えていますが、最後までよろしくお願い致します。
築の家を出る。
そう決めた雛姫の決意は固かった。
万が一、築がユーゲロイドを飼ってるだとかそんな悪評が流れたとしても、その本人が屋敷にいないんじゃどうにもならないだろう。
そもそも実際築は何も知らないのだ。
口さがない雑誌は騒ぎ、センセーショナルに書き立てるかもしれないが、それ以上の燃料がなければ直に鎮火するだろう。
(……旦那様は、きっと自分が何者だったのかってことも知ってしまうんだろうな)
築のことだ。
姿を消した雛姫のことを調べ、時間はかかろうとも真実に辿り着くだろう。
(……怒る、よな)
それだけが、雛姫の気がかりだった。
四海堂に命じられてこの家にやってきたのは本当だが、それ以降の行動は全部雛姫の独断によるものだ。
決して、四海堂に築を陥落しろだとか命じられた結果ではない。
雛姫が好きで、築のために働いてきた。
(でも……、旦那様はそう思う)
雛姫が築に対してしたことの全てが、スパイ活動を目的として罠だったのだと思ってしまうだろう。
それが報いだとわかっていても、少しだけ辛かった。
「……はあ」
雛姫は深いため息をつく。
そして視線を手元のノートへと落とす。
今までは自分のためのメモとして書いてきていたノートだったが、今書いているのは引継ぎのためのメモだ。
掃除の仕方、庭の世話の方向性、築の生活スタイルや、食事についてなど、
書き残しておくことは多い。
(これで自分がいなくなっても……、旦那様は困らない)
このノートが、ある程度の指針として築と新しいメイド、もしくは使用人との間を取り持ってくれるだろう。
「…………。
……はあ。駄目だなあ、俺」
自分の都合で築の前から姿を消さなければいけないからこそ、せめて築の今度の生活に問題がないようにと思っているはずなのに。
築が困ればいいのに、とも思ってしまっている。
(旦那様が、自分じゃなきゃ嫌だと思って欲しいって思ってる)
「……どうしようもないな」
身勝手な感傷だ。
せめて四海堂に連絡がつけば良かったのだが、こんな時に限って捕まらなかったのだ。
築の目を盗んで屋敷まで行ってみたのだが、いくら呼び鈴を押しても誰も出てくることはなかった。
おそらくまだ使用人たちを屋敷に呼び戻していないのだろう。
(まあ屋敷にいない、ってことは四海堂も風邪が治って元気に出掛けてるってことなんだろうけど)
四海堂に連絡が取れなかったのは痛いが、その点に関しては雛姫としても安堵を覚えてしまう。
最後に会ったときの四海堂の顔色の悪さは、尋常じゃなかった。
「とは言っても四海堂の話を聞かないと状況が読めないんだよなァ……」
ぼやいて、何度めかのため息。
「……って、こうしてても気分が滅入るだけだし。ちょっと買い物にでも行って気分転換するかな」
(あんまりへこんでると、何かあるって旦那様にバレるし)
最初の頃は雛姫にほとんど関心を見せていなかった築だが、最近は雛姫のことを同居人としてきちんと認めている節がある。
そんな雛姫が浮かない顔をしていれば、何かあったのだとすぐに気取られてしまうだろう。
(……問い詰められたら怖すぎる)
むっつりと眉間に皺を寄せて、人でも殺せそうな人相で恫喝されるのは想像するだけで肝が冷える。
そんな築相手に隠し事をし通すなんて、考えるだけで恐ろしい。
「さて、そろそろ補充しないといけないのは何があったかなー……」
気分を切り替えるべく、雛姫はごそごそと買い物の準備を始めた。
★☆★
(買い物したら少し遅くなったな)
あれもこれも、いつ自分がいなくなっても大丈夫なようにと買い揃えていたら、思った以上に時間がかかってしまった。
ずっしりと重くなった荷物を抱え直して、雛姫は家へと向かって歩き出す。
(早く夕飯の準備しないとな)
「……って、あれ?」
ふと見覚えのある人物が視界の端をチラついた。
(シオン……?)
そういえば、しばらくはこの辺りにいると言っていたはずだ。
「シオン!」
「……?」
名前を呼ばれたのに気づいたのか、いぶかしげにきょろきょろとしたシオンが、雛姫を振り返る。
「エンジュ!
買い物帰りか?」
たたっと軽やかな足音を響かせ、シオンが雛姫の元へとやってきた。
「だから何回も言ってるけど、俺はエンジュじゃないっての。
雛姫。ひーなーき」
「オレだって何回も言ってるけど、オレにとっちゃお前はエンジュ以外の何者でもないっつーの」
「…………」
「…………」
もはや出会い頭の、挨拶めいたそんな会話を交わして。
それから気を取り直したように、二人はお互いにひょいと肩をすくめあった。
「なんかすげー荷物なのな。手伝おっか?」
「あ、本当に?」
「ん。ほら、荷物貸せよ」
「ありがと、助かる」
両手にぶら下げていた荷物のうちの一つを、シオンへと渡す。
前回二人で野犬狩りをやりとげたこともあり、長いこと互いの間にあったわだかまりがなくなったように感じられる。
そして二人ならんで歩き始めたところで――……、いきなり二人の行先を塞ぐようにして黒塗りの車が止まった。
「……ん?」
「…………」
(……なんだ、この車)
よく手入れされた艶光りのするボディ。
それは構わないのだが……、中が見えないように、ガラスが全面的にスモークガラスになっている。
「……エンジュ」
「……わかってる」
これはヤバいぞ、というシオンの声に応えて、雛姫は素早く向きを変える。
ひとけのない裏路地とはいえ、ここは表通りからそれほど離れているわけではない。
急いで人通りの多い商店街の方に出てしまえば、さすがに手出しはできない
はずだ。
が。
少し離れたところで、車の止まる音がする。
「反対側も……!」
「挟み撃ちってことかよ!」
反対側に抜けようとした二人の目の前にも、黒塗りの車が横付けに止められる。
先の車と同じように、黒く艶々とした中の見えない車だ。
(……まずいな。この車のせいで、自分たちの様子が商店街側からは見えない……!)
どうやらこの車は、雛姫たちの足止めをするだけでなく、目隠しの意味合いもあるようだ。
前後の車から、それぞれ体格の良い男たちが降りてくる。
それぞれ、三人ずつ。
運転手は中に残っているようだ。
(四人チームが二組で八人。実働それぞれ三人か)
前後をそれぞれ三人の男に挟まれる。
「……悪い、荷物は諦めろ」
「うう」
確かにこの状況では荷物にこだわってはいられない。
命あってのものだねだ。
「……どうする?」
「乗り越える」
「了解」
ちら、と雛姫はシオンと視線を交わす。
シオンが微かに顎を引くように頷いて、視線だけで方向を示す。
雛姫もそれに軽く頷いて。
二人は同時に走りだした。
シオンはもともと抜けようとしていた方向へ。
雛姫はその逆へと。
「……!?」
「捕まえろ! 両方だ……!!」
ここでいきなりシオンと雛姫が別行動に出るとは思っていなかったのだろう。
慌てた男たちの声が飛び交う。
(伊達にレアな生き物やってないっつーの!)
幼い頃より、幾度となく狙われてきているのだ。
逃げるときには散り散りに。
『いいか? もしも密猟者に襲われるようなことがあったら、ちりぢりになって逃げるんだぞ。まとめて囲まれたら誰も助からないからな。追っ手を分散させることができれば……、まだ可能性がある』
シオンも雛姫も、ずっとそう言い聞かされて育って来たのだ。
ぐっと身を低くして駆け抜ける様は、まさしく野生の獣のよう。
男たちの手を強引にすり抜け、雛姫は一息に飛び上がって車のボンネットに
駆け上がる。
そのままの勢いで商店街へと抜けようとして……。
「……ッ!?」
その足首をぎりぎりのところで捕らえられてしまった。
力づくで足首を引き寄せられて、ボンネットの上に雛姫の体が落ちる。
「離せ……っ!!」
掴まれていないほうの足で、足首を掴む男の手を蹴って自由の身になろうと
試みる。
が、その足まで捕まえられてしまった。
「あっぶね、逃げられると思ったぜ」
「さすがユーゲロイド。マジすばしっこい」
「早く押さえ込めって」
口々にいいながら、男たちが雛姫の上にのしかかってくる。
「やだ……っ、離せ……! 離せ!!」
全身で抵抗するものの、雛姫の体を抑え込む男たちの腕はびくともしない。
「あんまり騒がれても困る。早く黙らせようぜ」
「そうだな」
(その前に……)
「誰か……っ!」
叫びかける。
その口元に、何か不思議なにおいのする布をぐいと押し当てられた。
「……っ!?」
(薬……!?)
吸い込まないように、と息を止めるものの、中途半端に叫びかけたせいで、肺に酸素が残っていない。
押さえ込まれる中で暴れ、身をよじり、なんとか顔を抑える布を引き剥がそうとするが、それより先に限界が来てしまった。
(くる、し……!)
はく、と喉をそらして息苦しさに喘いだ瞬間、どろりと甘ったるい匂いが
体の中にしみこんでくる。
「……っ、……!」
ぐたりと体が重くなる。
意識が白む。
霞行く視界の端っこ、無事車を飛び越えて駆け去るシオンの背中が見えたような気がした。
(よか、った)
そして、雛姫の意識は途絶えた。




