嵐の夜に
その日は、朝から天気が悪かった。
(数日前から嵐が来るとか言ってたっけ)
その嵐がついに雛姫らが暮らすあたりにまで到達してしまったものらしい。
嵐が近づいてくるという第一報があって以来、ちまちまと嵐に備えていろいろ準備はしていたわけだが……。
(念のためもう一度家の中に何があるのかをしっかりチェックして……、足りないものがあったら今のうちに買いに行こう)
チェック項目は、食べ物に始まり日用品、そして緊急時のためのアイテムなどだ。
万が一停電などが発生した場合に備えて、ろうそくなどもあるかどうか確認しておいた方が良いだろう。
天気は崩れ始めているものの、まだ本格的な嵐と言った感じではない。
今ならまだ、買い出しに出かけられる。
「よし、やっちゃおう」
ぐ、と拳を固めて雛姫はぱたぱたと忙しく家の中を見て回り始めた。
★☆★
一通り、必要になりそうなものをリストアップ、その後、リストを元に家の中を見てまわって雛姫はキッチンへと戻った。
さすがに万全の備えがあるとは言い切れないが、今日明日の二日程度買い物にいけなかったくらいでは困らないだけの準備はある。
保存のきく缶詰のストックもいくらかあるし、冷蔵庫の中には昨日の食材の
残りもある。
「これだけあれば十分嵐を乗り切れそう、かな」
呟き、ちょろ、と窓から雛姫は外の様子をうかがってみる。
空には黒々と雨雲が渦を巻き、昼間だというのに異様なほどに暗い。
まさに嵐といった風情がびんびんと伝わってくる。
さらに、本格的に天気が荒れ始めたのか、窓枠が風にがたりと音をたてた。
「……うわぁ」
そう簡単に窓が外れるような創りはしていないだろうが、それでも不安を煽られる。
今ではもう笑い話だが、小さい頃雛姫が住んでいた家は嵐の夜に屋根が飛んだことがある。
家の中で寝ていたはずなのに、びしばしと体に叩きつけられる冷たい大粒の雨の感触に、幼い雛姫は何が起こったのかもわからずに呆然としたものだ。
隣で寝ていた姉と二人で、母親が寝室に駆けつけるまでの間、抱き合って震えていた。
「漏らしたかと思ったもんなあ」
一瞬でぐっしょりと濡れて目を覚ました雛姫は、最初自分がおもらししてしまったのではないかと心底焦った。
「……って懐かしんでる場合じゃなくて」
(思っていたよりも、風が強くなりそうだなあ)
それならば、庭に出している諸々も、室内に運び込んでしまった方が良いかもしれない。
最近少しずつ、庭をいじり始めていた矢先にこの嵐である。
こまごまとした道具は日々きちんと片づけるようにしているが、リヤカーや、鉢など大きなものは出しっぱなしにして庭の隅に寄せているだけだったりもする。
(さすがに飛ぶ……、ってことはないと思いたいけど)
強風にあおられて、どこかに転がっていってしまうぐらいはありそうだ。
もしくは、それで何かにぶつかって壊れてしまう、だとか。
「ありそうだな……。
よし、今のうちに片づけておくか」
風で動く心配のあるものは、少々見苦しくはなってしまうが、緊急避難ということで玄関先に入れさせてもらおう。
「……よし」
そう決めると、雛姫はぐいと腕まくりをして庭へと出ることにした。
★☆★
それは、雛姫の作業が三分の二ほどまで終了した頃のことだった。
「うあ」
ぱた、と落ちてきた大粒の雨が、雛姫の肌を叩く。
やばい、と思って見上げた額にも、ぱたりと大粒の雨が落ちた。
「……げ」
雛姫が呻くのと、雨が本格的に降り出すのはほぼ同時だった。
ざああああああっっとバケツをひっくり返したような大雨が、雛姫へと降り注ぐ。
「ぎゃー!」
可愛げのかけらもない悲鳴をあげながら、雛姫は庭からの撤収作業の手を速めた。
雨に濡れたらマズイものはすでにしまってあるし、雛姫自身にしても濡れたら困るというわけではない。
家はすぐそこにあって、作業が終わればすぐにでも着替えられるし、お風呂にだって入ることが出来る。
だがどうしても、本能的に雨に降られて服ごとびちょびちょに濡れそぼることに対しての忌避感はある。
「こうなったらもう開き直るしかないけどな!」
すでに雨は、少々雨宿りしていれば止む、というレベルを超えてざあざあと降っている。
作戦としては、雨の中少しでも早く撤収作業を終わらせて、さっさと着替える、というのが一番だ。
雛姫は雨でぬかるみ始めた庭と玄関とをせわしなく往復し……。
何度目かに玄関前にやってきたところで、ちょうど玄関から顔を出した築と目があった。
「…………」
「…………」
別に悪いことをしていたわけではないのに、何となく固まってしまうのはどうしてだろうか。
(……旦那様の眉間に皺が寄っている)
なんとなく。
怒られるフラグのような気がしてしまう。
「おい」
「はい」
「……お前は雨が降ると外で泥だらけになって駆けずりまわる習性でもあるのか」
「ええと別にそういうわけでは」
呆れたようなトーンで吐き出された質問に、雛姫はうろりと視線を彷徨わせながらも答えた。
その間に、築の視線が雛姫の髪の先から、つま先までをさっと撫でる。
「お前、濡れると貧相だな」
「…………」
とんでもなく酷いことを言われたような気がする。
「で、何をしてたんだ」
「えっとその。庭に出しっぱなしにしてしまっていた道具がいくつかありまして。万が一、風で飛ばされたりなんかしたら大変なので、一時的に玄関先に運んでたんです。少々玄関先が見苦しくなってしまいますが、嵐の間だけのことなので、見逃していただけると助かります」
「…………」
築の視線が、天候の具合を見るかのように一度雛姫の背後へと移った。
「……なるほどな。
それで、玄関先に運びこまないといけないのは後どれくらい残ってるんだ」
「あと……、1、2往復ってところでしょうか。ちょっと玄関先で騒がしいとは思いますが……」
「一往復で終わらせるぞ」
「え?」
雛姫が築の言葉の意味を理解するよりも早く、築は雛姫の脇を通り抜けて外へと歩み出ていた。
「ちょっと……!
旦那様、濡れますよ!?」
「もう遅い!
ほら、お前もさっさと動け!」
「は、はい……!」
ざあざあと降りしきる雨の音がうるさくて、自然と二人のやりとりも大声になる。
雛姫は築が持ち上げた格子状になっている板の反対側を持ち上げた。
これは西日が差しこむ窓辺に、蔓薔薇でも這わせようと思って準備していたものだ。
「俺一人でも、大丈夫ですよ?」
「お前一人でやるよりも、俺も手伝った方が早く終わるだろうが」
「そりゃそうですけど……」
こんな悪天候の中、外での仕事を旦那様に手伝わせてしまう使用人というのはいかがなものなのか。
淡々と荷物を運ぶ築の顔には、それを嫌がるような色はない。
むしろ、なんだか少し楽しそうですらある。
(何考えてるんだろう)
築の考えていることはわからない。
★☆★
「……はあ」
「これで全部か?」
「はい、これで全部です。
すみません、手伝ってもらってしまって」
「……フン」
二人がかりで最後の荷物を玄関先へと運び込んだあと。
雛姫は築へと改めて頭を下げる。
……が、築はそれに対して面倒くさそうに手をひらりと一度振って応じただけだった。
そんな横顔に、思わず目が行く。
(……水も滴るイイ男、っていうのは、きっとこういうことを言うんだろうな)
濡れた黒髪が、はらりと落ちて額にかかっている様など、いつもと違う髪型にどきりとさせられる。
大人の男の色気とはかくあるべし、という見本として展示しておきたい。
「おい」
「あ、はい」
「さっさと着替えて来い、風邪引くぞ」
「あ、そうですね。
旦那様も着替えてきてください。
お風呂に入るならその準備を致しますが」
「ああいい。
俺も着替えだけすませるから、お前もさっさと着替えて来い」
「わかりました」
こうして話している間にも、ぽたぽたと二人の体から落ちた雫が床に水たまりを作っている。
「…………」
「…………」
お互い、相手が動くのを待つような沈黙。
「……おい」
「……はい」
「なんで行かないんだ」
「いえ、ちょっと旦那様が行ったら、軽く玄関先を拭いてから部屋にあがろうと思ってまして」
「…………」
ぴきり、と築の眉間に皺が寄るのが見えた。
「――…お前に、選択肢をやろう」
「……っ」
「俺が無理矢理ひんむいて着替えさせるのと」
「ひ」
「今すぐ自分で着替えに行くのと、どっちがいい?」
「じ、自分で着替えてきまっす!」
即答で答えて、雛姫は脱兎の勢いで自室へと向かって駆け出した。
★☆★
「……っ、やられた!」
予備の仕事着に着替え、再び玄関先に戻ってきた雛姫は思わずそう呟いていた。
何故なら。
先程まで泥や雨で汚れていた玄関が、すっかり綺麗になっていたのだ。
玄関脇に、汚れたタオルが無造作に何枚か重ねてある。
(旦那様め……!)
築が、雛姫を着替えに行かせた後に、自ら片づけたのだろう。
全部、雛姫が築が着替えに行ったあとにやろうと思っていたことだ。
それどころか……。
「……!!」
ふわり、と鼻先を掠めた甘い香りに、雛姫の顔はますます険しくなる。
「ああもう……!」
呻いて、雛姫はキッチンへと駆けだす。
「旦那様……!!」
「お、早かったな」
「早かったな、じゃないです……!」
駆けこんだ先、キッチンにてニヤリ、と意地悪く笑ってみせる築の手には、暖かな湯気を漂わせるマグカップが二つ。
「ちょうど紅茶が入ったところだ。
お前も飲むだろう?」
「……ッ!」
(先を越された……!!)
築より先に戻って、玄関先を清掃して、温かい飲み物を淹れて待つ。
それはまさに、雛姫が築のためにしてやりたかったことだ。
このロクでもない旦那様は、明らかに雛姫がそう考えていることをわかった上で、意地悪く先を越してしまったのだ。
雨の中妙に楽しそうだったのは、あの時すでにこのことを企んでいたからなのだろう。
悔しそうに黙り込む雛姫に、築は心底楽しそうである。
「……旦那様」
「なんだ」
「それ、新手のイジメですよね?」
「さあな」
「答える声が笑ってますから……!」
「ふはははははは」
まるで悪役である。
「ほら、飲め」
「……ありがたく、いただきますけど。
あんまり俺の仕事、取らないでくださいよ」
「取られるお前が悪い」
「そうですけど!」
確かに出遅れたのは雛姫である。
だが、だからといって嫌がらせのためにいそいそと使用人に尽くす主人というのはどうなのだろう。
(……ったくこの人は)
心の中でぼやきながらも、築に淹れてもらった紅茶を口に運ぶ。
ふわりと、優しい甘味が口の中が広がった。
(……あったかい)
雨に冷えた体に染み渡るようなぬくもりに、表情も緩んでしまう。
「……フン」
何やら、築が非常に満足げに鼻を鳴らすの聞こえた。
「おい、お前まだ頭濡れてるだろ」
「え? あ、まあ、はい」
急いで着替えて降りてきたので、そのあたりがおざなりになってしまっていた自覚はある。
見苦しい点でもあっただろうか、と慌てて濡れ髪を抑えた雛姫に、築がにんまりと口角を持ち上げる。
「頭を寄越せ」
「えええええ!?」
(寄越せと言われても……!)
取り外してはいどうぞ、というわけにはいかない。
びし、と硬直した雛姫に面倒くさそうに築は息を吐き、手を伸ばすと雛姫の襟首をひっつかんでぐいと引き寄せる。
そして。
ばさりと雛姫の頭から乾いたタオルを被せてきた。
そのまままるで犬の仔にでもするように、濡れた黒髪をタオルでわしわしと拭われる。
「わ、ぷ……!
だ、だから旦那様……!」
(そういうのは旦那様のすることじゃないってば……!!)
「俺がしたくてしてるんだ。させておけ。
お前は濡れてると貧相なんだ」
「貧相ってなんですか貧相って……!!」
(もしかして、髪のことを言っているのか……?)
雛姫はわりと癖っ毛だ。
それが濡れると水の重みでぺたりと潰れるので、築の言っているのはそのことなのかもしれない。
「じっとしてろ、命令だ。
お前は主人の命令に逆らうような悪い執事じゃあないよな?」
「えええええ!」
逃げようとする雛姫の動きをそんな言葉で完全に封じて、築は楽しそうに口元を笑みに歪ませて雛姫を撫でたくる。
時折雛姫の髪をつまんで、光に透かして眺めてみたりと非常に満喫している。
「色落ちはなしか。残念だ」
「何がですか」
「お前の元の髪色が見てみたかった」
「……なるほど」
好奇心故、でもあったらしい
外は、嵐。
強風が吹きすさび、大雨が降りしきる中、築宅の中では世にも幸せな嫌がらせが展開されていた。




