表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

8~10

          8


「何か今日は、普通ですね」

 緑は隣に座った京平にそう声をかけた。二人は今、赤羽行きの電車に乗っていた。今はあの駅で京平が乗り込んできたところだった。電車は静かに停車し、誰も降りる客がいない中京平は堂々とやってきて緑を探した。その姿を緑は、まるで知らない人に向ける視線で眺めていた。

「普通ってどういう意味よ」

 京平はいつものやる気のない服装ではなく割りかしちゃんとした服を着ていた。帽子までかぶっている。

「そのままの意味ですよ」

 そう言って緑は笑う。笑おうと思ったわけではなく、気づいたら笑っていたのだ。

 ふと周りの客を見てみる。緑は電車に乗るとき、周りの客が何をしているのか気になった。というか、自分がどんな風に見られているか気になったのだ。自意識過剰であるのは分かっているが、自分が他人としてどういった印象を与えるかを考えると、また時間がかかってしまう。解決などしたことがないのに。

「もう七月も半ばやねぇ、緑ちゃん夏休みとか?」

「えぇ、明後日からです」

 夏休み。高校に入ったらこんな人間になりたいといろいろ考えていたことはことごとくかなわず夏休みまで来てしまった。そんな風に思ってしまう。そのことはよく考えることだった。

「何か分かるかな」

 京平が話題を変えた。というか最初からその話をしようとしていたことはもちろん知っている。

「どうでしょうね」

 今日、緑と京平は赤羽の現場に行くことにした。できることは少ないが、京平を見ているとこういった行動が正しいように思えたのだった。どうして警察に相談するという手段を選ばないのか、それは誰も口にしないことだった。

「尾道さんね……」

 京平が前を見ながら話しだす。

「ぼくとの付き合いは十年くらいになるんや。でもなんて言うかな、あの人はぼくの分からんことをする時がある。あの人がどう行動するのかは分かる。でも何でそんなことするんかは分からん。でもいつも、正しい方向に向かっているような気がするんや。ぼくがばかなだけかもしれん」

 京平は真面目な顔をして話す。緑は聞きながら、京平の気持ちを理解しようとした。

「信じているんですよね」

「ああ、うん。そんな風に言葉で考えたことはないんやけどね」

「大丈夫ですよ。尾道さんは間違ったことはしていないと思います」

 それは緑が本当に思っていることだった。

 すると京平は緑を見、小さく頷いた。その表情はいつもとまるで違う。服装も雰囲気もいつもと違う京平を見て、何だか全然知らない人と話をしているような気分になった。


 木村和也の働いていたコンビニエンスストアは駅からそう遠くはなかった。新聞とニュースの映像、そして道端の人に聞いたりして二人はそこに行きついた。その辺りは特に都会な雰囲気でもなく、夜中事件が起きても目撃者が一人しかいなかったのもよく分かる。

 緑と京平はそのコンビニの前の道にいた。

「どうする?」

 京平が緑にそう聞いた。どうするって言われても……。

「行きましょうよ」

 そのとき、ちょうどコンビニの中から店員が出てきて外のごみ箱のごみを回収しだした。今が行くタイミングだろう。緑は京平をちらっと見、足を一歩出す。

「あの、ちょっといいですか?」

 緑が店員に話しかける。京平は横に並んでいる。

「はい、何でしょう」

 まだ若い女店員はごみ袋から手を放し、緑たちを特にいぶかしむこともなく言った。これがいつもの京平の姿なら間違いなくおかしい連中だと思われていただろう。とりあえずそのことに安心して緑は続ける。

「先日、ここで働く木村和也さんが亡くなられましたよね。私たち彼のことを知っている者で、ちょっと事情を聞かせてもらえたらと思ってやってきました」

 素人がこんな勝手な真似をしてもいいのだろうかという気持ちはもちろんあったが、それを抑えて緑は言いきった。京平も実に真面目な顔をしていた。

 すると店員は顔を曇らせ、控え目に答える。

「私、詳しいこと知らないですよ」

 それは嘘を言っているような感じではなかった。すぐに京平が口を開く。

「ぼくは正確には木村さんの友人と仲がいいんですが、その彼がとても悲しんでいて何かぼくにできることがないかと思ってきたんです」

 標準語だった。

「木村さんにそんな友人がいるんですね。それは驚きました」

 控え目だった店員だが、少しきつい口調になる。

「どういうことですか?」緑が聞く。

「死んだ人のことを悪く言うのは嫌なんですけどね、あの男は最低の人間でした。人のお金を盗んだり、平気でひどいことをしてましたから。バイトだって、親族である店長が無理やり続けさせていただけでとても真面目にやっていたとは言えません」

 緑は息を飲んだ。木村和也の人間像が浮かび上がる。死んだ人間、木村和也。想像してみる。

「私の友達でも、彼にお金を盗まれた人がいるんです」

 店員は本当に木村が憎いと言った感じで言った。そして緑たちを見て、声を小さくして言った。

「通り魔じゃないんじゃないかと思うんです。だってお金を持っているようには見えないし、それにあの男のことです、恨んでいる人は数限りない」

 緑と京平は答えを返すのも忘れて店員の話を聞いていた。事件のことを実際に関係者に聞くことでこうも印象が変わるということを実感していたのだ。宮城が言っていたから木村の悪事は知っていた。けれど宮城の表現が控え目だったことをいやでも感じたのだった。


「宮城さんが彼女ほどきつい言葉で木村さんのことを言わなかったのは、自分が殺したという気持ちからなんですかね」

 緑は駅までの帰り道、京平に言った。結局二人はコンビニの店員の話だけで退散することにしたのだった。伊藤千草のことを調べることもできたのだが、もし誰かに何か分かってしまったらと思うと、そうできなかった。そして何より、木村が悪い人間だと知り、宮城の犯罪の正当性が揺らいでいるのかもしれない。

 今日まで新聞などで調べてたが、千草を死なせたのが木村だという確証は一つも得られなかった。しかし今日、二人の心にはその可能性がどんどん大きくなり、もはや真実であるような気がしていたのだ。

 そしてそれは真実であることが明らかになる。それは数日後のニュースで知ったことだった。千草を殺したのはやはり、木村和也だったのだ。


          9


 山崎幸祐は自宅で桜田司と飲んでいた。山崎は料理が好きで、特技と言うほどではないが、割りとうまい方ではないかと思っている。職業柄簡単な食事をとることもあったが、時間があれば自炊していた。

「うまいね、これ」司が言う。

「これね、実は本見て作ったんだよ」山崎は近くに置いてあったその本を示す。「アイデア料理がいっぱいのってて、読んでておもしろいんだ」

「本? お前本なんかみるのか」

 司はそう言ってその本を山崎から奪いぺらぺらめくりだす。

「いいや、いつもは見ないんだけどそれが面白くてな」

 司と山崎は高校の同級生だった。何時間も話を続けられるほど話が合うわけではないが、一緒にいて楽だったからか二人の付き合いはいまだに続いていた。お互い働くようになってからはあまり会えなくなったが、たまにこうして一緒に夕食をとり、仕事の愚痴などをこぼしあっていた。二人とも結婚はしておらず、アパートに一人暮らしをしている。

「ところでさ」司が改まった声で言う。山崎は正面から司を見た。何度も見たことのある顔。それは山崎だけではなかった。

「好きな人ができたんだよね」

 司はそう言うといきなり笑い出す。

「可笑しいよな。こんな話」

 声に出して笑っていた。

 確かに司とはそういう話をあまりしたことがなかった。だからいきなり話し出したことで山崎は驚いたのも確かだ。

「何でかな。うまく行く気がしないんだ。ちょっと聞いてくれる?」

「珍しいな。お前、なんか変わった女好きなったのか?」

 驚きを隠せないまま山崎は言った。きっとそういうことなんじゃないだろうか。

「そうだよ。流石だな」

「ははっ、そうだな、アイドルとか?」

 山崎がそう言うと司は「違う!」と叫んだ。どうやら少し酒がまわってきているらしい。

「違うんだ。そうじゃない。でも、近いかもしれない……」

 司は視線を落として言った。

「なんだよ」

「相手がね、高校生なんだ」

「は?」山崎は耳を疑う。

「高校生なんだ」司は繰り返す。

「お前、お前だったらいくらでも周りに相手がいるだろうになんでまた」

 山崎は箸を置いて、酒を一口飲む。司の話は何だか非日常で面白かった。

「非日常でおもしろいな」

「お前が言うな。お互い様だろ」司は笑って言う。司は酔うとよく笑うのだった。へらへらしている。

「初めて見た時に、ずきゅんなんだよ。ずきゅんってなったんだ」

「ずきゅんねぇ……」

 山崎は微笑んで司を見る。こんな話をしている司を見たことは過去にあっただろうか。

「お前がどんな女を好きになるか興味があるなぁ。友人として」

 司は酒をつかみ、自分のコップに注ぐ。まだ飲むのか、と山崎は思ったが明日は仕事が休みなのだろう、それではまぁ仕方ないかとも思う。

「どんな娘なんだよ」山崎が聞くと司は照れて言う。

「いいよ、すごくいい娘だよ。ってまぁまだ数回しか会ってないんだけどな」

 司はそれからその高校生と初めて会った時のことから話しだした。司の顔は本当に嬉しそうに笑っていて、山崎まで幸せな気分になった。話の内容はそれこそ女子高生の恋愛話のようであったが、だからこそ司が変にいつもと調子が違うのが分かった。高校生を好きになったことに司自身戸惑っていて、どうすればいいか分からないようだった。

 内容は少なかったが、司の話は三十分くらい続いた。その間、話を聞いていた山崎は適当に料理を食べたり酒を飲んでいたりしていた。そして話が終わりそうかという頃に司が出した言葉に山崎は反応した。

「通り魔事件の記事?」

「ああ。その記事をな、鞄の中に入れてた。なんか、新聞記事とかの切り抜きを集めて事件についてまとめるのが趣味なんだってさ」

「ふーん。変わってんな。新聞が好きなのか?」答えながら、酒をさらに飲む。「その事件、今捜査中」

 そして、酒に酔えない山崎は司を見て嘆息する。

「え、でも赤羽だろ?」

「ああ、うん、ぼくらが直接捜査してるわけじゃないけど。でも、犯人がどうもこの辺に逃げてきたらしいのよ。あ、この辺っていうのは噂だけどね。って、これテレビで言ってるけど、知らなかった?」

「知らない」

「まぁそうだろうね。赤羽で目撃された犯人らしき人物とよく似た男がこの辺の駅で目撃されてる」

 山崎はそこまで言ってから話を変えようとした。しかし、司がまだ話を続けたのでそれができなかった。

「幸祐、何か協力できないの?」司はぼそぼそと小さな声で言った。そんな声であるのに聞き取りやすいのは職業病だろうか、よく聞こえたのだった。

「何かって?」

「緑ちゃんにだよ」

 緑ちゃん、というのは先ほどから何度も司の話に出てきている高校生の名前だった。

「は?」うっすらと司の言っていることが分かったが、分からないふりをして言う。

「事件の話をさ、ちょっと」

「何言ってんだよお前」山崎は本当に軽く笑って言った。「それにぼくは何にも知らないって」

 すると司は「そうだよな……」と言ってまた視線を落とす。何故か山崎が何かひどいことを言ったような空気になっていた。そんな司を友人として手助けしてやりたかったが、実際何にも知らないし、それにその娘にとってもそれが望ましいかどうかは疑わしかった。しかしそうは思いながらも、司の好きになった高校生を一目見てみたいという気持ちはどこかにあったのだろう。いつか会わせてもらおうかと山崎は思ったのだった。


          10


 青木緑はかつてないスピードでみどりのいえに向かっていた。いや実際走っているとかそういうことではない。気持ちが、急いでいるのだった。というのも、緑は体力だけは人より分かりやすいほどになかったのだ。

 夏休みに入って最近の緑は、宿題もそこそこにかなり頻繁にみどりのいえにやってきていた。駅一個分の距離なのでそう遠くないので、今では道を覚えて自転車でやってきていた。

「こっ、こんにちは……」

 緑は勢いよく喫茶店のドアを開けた。

 そこにいたのはいつもの面々で、京平、尾道、美喜の三人だった。

「いらっしゃい」

 尾道が優しい声で言う。その声に癒されつつも緑は鞄に手を突っ込んでさっき買ってきたばかりの本を出す。そしてそれをその場の人間に見せつける。

 それを見たときの京平の顔。恥ずかしくて消えてしまいたいというような感じ。

 京平は実際、両手で顔を隠し席を立って奥のテーブル席に行ってしまう。

「おお、見つけましたね」尾道が言う。

「私もそれ持ってるのよ」美喜も笑っている。

 緑が手に持っている本、その表紙には見慣れた顔が印刷されていた。他でもない、京平の顔だった。それにそこにはしっかりと「鈴村京平」と書かれていたのだった。

 そう、これは京平が出した本なのだ。

「京平さん、料理研究家だったなんて!」

 緑は大きな声で言う。

 京平が書いた本は小説でもエッセイでもなく、料理本だったのだ。その中にはいろいろなアイデアの料理がたくさん載っている。緑が言った本屋のそれはそれはど真ん中に並べられていたのだった。

「料理研究家やなんてそんなたいそうなものやないよ……」

 その言葉はやっと聞き取れるほどの大きさで部屋の端っこから聞こえてきた。

「でもこの本、売れてますよ。私の前にレジに並んでいた人も買ってましたもん」

 緑がそう言うと今度は美喜が嬉しそうな顔をする。

「やった、印税が印税が」

 場はすごく楽しげな雰囲気になっていた。緑自身、京平が本を出したことが何だか嬉しかったし、料理研究家だったのと言うのも驚きはしたがいいんじゃないかと思えた。

「食べてみたいな。京平さんの料理」緑はやっとカウンターに腰をおろしてから京平の方を見て言った。

「今度な」それに答えて京平は言う。

「私は毎日食べてるよ」美喜は緑に言った。その笑顔は、全く持って美しい。

 緑は何だか嬉しかった。自分がこんな気持ちになっていることもそうだった。まるで、家族か仲の良い友人のように思っているのだ。それは不思議だけど、気持ちがよかった。

 ふと周りを見て、宮城がいないことに気づく。今日は店の手伝いはしていないのだろうか。

「お客さんが少ないからね」そう言って尾道は笑った。

 宮城の話題が出たことで、美喜が今だとばかりに緑に言う。

「京平がね、毎日言うのよ。あの人が犯罪者だったら放っておいていいのかって」

 京平はそれを聞くと奥の席からのっそりと現れ美喜の隣に座る。

「私もね、もし本当なら、今のままでどうかなぁていうのは思う」

 今日の美喜さんはよくしゃべるなと緑は思った。それは京平の本の話題が関係したのではないかとも思う。

「美喜さん」緑は美喜を見ずに、今しがた目の前に置かれたコーヒーを見ながら言う。そして、尾道に視線を移す。

「尾道さんが何でこのままにしていると思いますか?」

「何でって……」

「私はお二人ほど付き合いが長くないですが、尾道さんが考えたこと少し分かってるんじゃないかと思ってます」

 そう言って緑はまたコーヒーに視線を落とし、一口口に含む。それはいつ飲んでも最高においしいコーヒーだった。

「犯罪は犯罪ですからいけないですよね。そしてこの場合警察に訴えなくても自分の保身を考えたら少なくともここから追い出すでしょう」

 京平は緑の方を見て、「そうやな」と相槌を打つ。

「でも尾道さんはそうしていない」

「ええ」

「じゃあ京平さん、京平さんは何であの人が人を殺したと思うんですか?」

 緑はここで尾道の方を見る。しかしその表情からは何を考えているのかは分からなかった。

「何でって、本人が言うたから」

 京平は自信のなさそうな声で言った。

「じゃあ、人を殺した宮城さんは何でここにいるのでしょう」

「それはだから、ばれないかもしれないから離れたくないって」

「京平さんはニュースを見ないから知らないかもしれないですけど、あの事件の犯人がこの辺りに逃げたというニュースがやっていました。そして、私が思うに、警察はもう宮城さんが犯人ではないかと思っていると思うんですよ」

「うん」

 京平は緑が何を話そうとしているのか分からないという顔だった。

「では、実際にそうだとして、警察は何故宮城さんに目を付けたか」

「目撃情報があったんやろ? 今そう言うたやんか」

「はい、でも犯人がはっきりと宮城さんだという確信があれば、警察は指名手配すると思います。しかし、それはされていない」

「そうなん?」

「そうなんです。でも、今私が言いたいのはそういうことじゃなくて、宮城さんが目を付けられたのは、宮城さんが今ここにいるということ、つまり赤羽の家から姿を消していることが大きくかかわっているんじゃないかと思うのです。もちろん、目撃情報から宮城さんを特定しているのかもしれません。でも、それに加えて今現在宮城さんは自宅におらず姿を消している。仕事にも出てきていない。これ、とてもあやしいですよね」

 そのとき、がたっという音がして奥から宮城が現れた。店の手伝いをしようとしてやってきたのだろうが、どうやら話は聞こえていたらしい。難しい顔をしていた。緑はそんな宮城に一瞬視線を移し、またすぐに戻す。

「目撃情報から宮城さんを特定、さらに姿を消したとなったらそりゃあ、あやしいなぁ」

 京平が相槌を打つ。

「そうです。でもここで考えるのが、宮城さんがばれてないんじゃないかと思っていると言ったこと」

「うん」

 そして緑は宮城に向けて言う。

「もし、本当にばれていないと思うなら赤羽から離れるはずがないんです。仮にもあなたは関係者なのに変に姿を消したら警察に怪しまれるに決まってる。なのにあなたはここにくることを選んだ。そして、ここからは私の推測なんですが、あなたはわざと自分が逃亡したことを人に伝わるようにしたんじゃないんでしょうか。つまり、目撃証言が出るように自分からしたのです。事件後、わざと犯人らしい格好をして姿を見せ、またここでも同じ格好で誰かに見せる」

 緑の言葉に宮城は反応を見せず、カウンターの中へ入り尾道の横に立つ。他の三人はそんな宮城に視線を送るが、それに返そうとはしていなかった。宮城は緑を見ていたのだった。

「つまり、それはどういうことなんですか?」

 宮城が緑に向けて言う。

「つまりは」緑はそれに答えて言う。「あなたは犯人ではないということです」

 京平が驚いたような顔をしているが、それ以外はあまり場に変化がなかった。

「もしあなたが犯人ならば、もっと遠くに逃げるか、それとも逃げないか。そしてここに逃げてくるにしても自分の罪を吐いたりするのは行動としておかしい。だからあなたは犯人ではないのです。にも関わらず犯人のように見せかけわざとらしく足跡を残してここにやってきた」

 緑も、自分が絶対に正しいという確信はなかった。しかし、そう考えると何だか物事が分かりやすくなったのだ。きっと尾道も同じように考えたのだろう。

「違いますか?」

 緑はまた宮城に向けてたずねる。宮城には四人の注目が集まる形となった。

 そして宮城は徐に笑い、言った。

「違います」その声は、迷いのないしっかりとした意思を持った声だった。初めて会った時のつらそうな声とは、少し違う。

「君はよく分かっていないだろう。世の中には言葉で説明できないことが山ほどあるんだ。そんな風に言葉を並べてうまく行くことはそう多くないと私は思っている」

「……そうですね」緑は言われたことを反芻し、少し暗い気持ちになる。分からないことは分からない。はっきりしないことは嫌いだし、言葉にできないものは苦手だった。だから人付き合いがうまくいかないのだと思っている。そういったことは、自分でも分かっていた。

「ちょっと」京平が声を上げる。

「宮城さんがもし犯人じゃないとしたら、何でそないなことを?」

 京平は宮城と言うより、緑に向かって聞いた。緑は答える。

「宮城さんは事件の詳しい内容を知っていた。被害者が犯した罪のことまで知っています。ここで、宮城さんが話した被害者との関係が正しいものなのかということを考えなければならない。でも、もし本当なのだとしたら、何で私たちにそれを話したのか。どうして自分を犯人にしたいのか」

 緑がそれを言い終えると、場が少しの間静まり返る。そして一番に発言したのは尾道だった。

「誰かをかばっているのでしょう」

 尾道のその言葉に宮城は目を閉じて、辛そうな顔を一瞬だけ見せた。

「本当に……」宮城が四人に向かって語りかける。「本当に申し訳ないと思っています。ここに居させていただいていることも、とても感謝しています。でも、私は犯罪者なのです。誰かをかばっているわけでもない。ただ、頭の回らないばかな犯罪者なのです」

 宮城はまた否定する。その瞬間、緑の中で何かが崩れ落ちる。宮城の突き刺すような視線に緑はうろたえる。

「ひっ……」

突然、自分の中で何かが消えた。宮城の考えていることが分からなくなった。言葉にできない。本当に緑の思っている通り、宮城は誰かをかばっているため、自分を犯人だと言うのか。それとも本当に犯人で、宮城にしか分からない理由で行動しているのか。人の行動は、緑の考えるほど簡単ではない。不安になる。分からない。

「……ごめんなさい」

 緑は宮城に向かって言う。

「私……、ごめんなさい」

 そして緑は自分のことを考える。さっきまでの余裕をもった自分は何だったのだろう。分かる。分からない。他人なんて、やっぱり理解するための存在ではないのだ。どうしても分からないのなら、分からなければいい。そう繰り返し、生きてきたはずだった。なのに今、どうしてまたこんなことになっているのだろう。

「いや、君は悪くない。君の考えが間違っていると否定することだけが今の私にできることなんだ」

 宮城の言う言葉は、どこから緑の耳に入ってきているのだろう。意味を理解する前にその言葉は緑から遠ざかっていく。

 緑は、周りを見ずに、ただ考えた。

 話していた自分は、とうに過去の自分。


そして、気づけば見えたのは自分の部屋の天井だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ