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コンフリクト  作者: 小岩井豊
本編
27/65

chapter26 二つの痕、一つの決裂

 屋上へと続く階段を上がっていく。

 薄暗い階段の先、質素な扉の一枚向こうで、訳あり兄妹の昼ドラ展開が為されているのかと思うと、部外者の俺が我がもの顔で仲裁に入るのはお門違いじゃないか、とふと思った。

 二人が喧嘩でもおっぱじめていようものなら、俺は止めてしまうのかもしれない。そして、主に原村を責めるんだ。

 てめえの妹突き放してんじゃねえぞ、って。殴っちまうかもしれない。

 俺、何様? フィクションの見すぎだっつの。青春はスクリーンの中だけでやれよ。

 それでも、やっぱり原村は卑怯だと思う。自分の妹をよそよそしくフルネームで指すのも癪にさわる。気取ってるし、格好つけてるし、いつも達観ぶってる態度だって鼻につく。

 なんだか複雑になってきたぞ。

 こんな感情を原村に抱くのは今日が初めてだ。図書室に押し掛けてきた早川の顔を見たら、何故か腹が立ってきたんだ。正直、早川の代わりに一発くらいいっちゃってもいいんじゃないかな、とも思ったし。

 しかしこういった激情を抱えるのは、俺にとっちゃ、原村と早川のことなど間違いなく他人事なわけで、変な話、さっき例えたようなスクリーンの向こう側の話だからだ。劇中の極悪キャラに腹が立つように、こんな悪党が俺のそのそばに居たら絶対ぶん殴ってんのになぁ、みたいな。

 漫画の主人公なんかで、初対面の悪者にいきなり正拳かまして、自分の人生論押しつけて、そんで悪者の更正まで促そうとするやつがいる。少年誌でたまに見かける。

 今の俺はまさにそういう熱血主人公的な状態で、多分、このまま屋上に入ったら自分本位に暴れてしまうのだろう。頭ごなしに否定を並べて、即物的な解決を求めてしまうんだ。

 階段の頂上まであと三段というところで、足を止める。

 扉の向こうから微かに話し声が聞こえる。よかった、とりあえずあの兄妹はまだいるらしい。

 壁に背を預ける。正面の壁に、相合い傘の落書きがあった。落書きというか、彫刻刀かなにかで彫られているようだった。

 グレーな壁面の上にぽっかりと浮かぶ相合い傘。そこに彫られた二つの名前は、残念ながら俺には読むことが出来なかった。ここ薄暗いし、そもそも近づいてまで確認しようとは思わない。相合い傘の下に『フォーリンラブ』の文字。見てるこっちが恥ずかしい。

 いかん、話を戻そう。

 じゃあ、俺はあの二人のために何が出来るだろうと考えてみる。

 まずは知ることだ。

 俺は原村の過去を知らない。人は過去があって初めて『人間らしい』と言えるんだと思う。周りに流されるままにだらだら生きてきましたってやつも、一流企業に入りたいから勉強しかしてこなかったってやつも、そういう過去を歩んできたって分かれば、こいつもそこそこに生きてきたんだなと思える。

 今のところ、あいつとは上っ面だけの付き合いしかないし、原村という人物に奥行きがない。愛着を持てという方が無理だ。紙の上に描いた人物画だけ見せて、「こいつのこと愛してやってください」というようなもんだし。

 次に早川沙樹。

 早川を知ったのは中一のときで、中学で初めて出来た女友達も早川だった。今は友達とすら呼べないだろうけど。

 俺は小学校のときからサッカー一筋だったから、中学もサッカー部に入った。早川は、何部だったかな。確か吹奏楽やってたような気がする。で、それ兼サッカー部のマネージャー。俺にとってはマネージャーってイメージのが強かった。

 まぁ、中二で俺に振られてから、マネージャー辞めちゃったけど。無情にも。

 それで、どうして俺は高校に入るまで、早川に兄がいたことを知らなかったんだろう。隠されていたか、言いたくなかったのか、それとは逆に、言う必要がなかったからなのか。

 そういえば、早川は片親らしい。母親と二人暮らしだとか。最初にそれを聞いたときは深く気にも止めなかったけど、この後に及ぶと、きな臭い匂いしかしてこない。

 家庭の事情って、子供はほとんど干渉出来ないよな。そのくせ、傷やわだかまりだけは子供にも飛び火してしまう。

 延々と原村アンド早川兄妹の考察をしていると、唐突に屋上扉が開いた。

 出てきたのは早川で、彼女はしゃくり上げて泣いていた。前髪が汗で額に張り付いて、それが更に悲壮感を露わにしていて、見ているだけで痛々しかった。

 早川はこちらに目もくれず、ドアノブをぱっと離して階段を駆け降りていく。階段を踏む度にぴょんぴょんと跳ねるポニーテールは、早川自身の感情の動きを現しているように見えた。

 俺は一言も声を上げずにそれを見守る。ここに俺は存在していないよ、という感じで。

 静寂が訪れ、五分たっぷりそれを堪能してから、俺は屋上の扉を開けた。

 いつにも増して濃い澄色の夕日だった。目が痛い。

 原村はフェンス際に立って景色を見下ろしていて、片手をポケットに突っ込んで夕日を一身に浴びていた。

 感傷に浸るオレンジきのこ。

 俺は煙草に火をつけてから原村の隣に並び、彼の横顔を眺めた。原村はヘッドフォンで音楽を聞いていた。漏れる音から察するにオーケストラ。本気で浸っていやがる。

 そんな原村の立ち姿を見ると、煙草をくわえていたらもっと様になるのにな、と思った。妹を泣かせる罪な男、原村昭文。

 だから俺はもう一度煙草の箱を取り出し、一本抜いてから、そっと原村の口に挟んでみた。それでも微動だにしない。そのまま火をつけてみる。

 原村は、すー、という呼吸音を立てて煙を吸った。いったん停止し、それから紫煙を吹き出す。村瀬のようにせき込んだりはしない。

「原村、煙草吸ったことあんの」

「一年のとき、ちょっとね。前年度の卒業生で、この屋上に通う先輩が居たって、いつか話したよね。その先輩に看過されて稀に」

 ヘッドフォンをしたまま原村は言う。いつも思うけど、こいつって音楽聞きながら平気で会話続行するよな。

「もう吸うつもりはなかったんだけど、これは油断した」

 原村は左手に煙草を持ち、また煙を吐く。様になりそうだと期待していたのに、原村の喫煙姿はまるで似合っていなくて、お化け屋敷で蒸気を吹く妖怪の造りものみたいで、逆に面白かった。

 原村は二度しか吸っていない煙草をもみ消す。

 自分の、左手の手首で。

 じゅう、という音と、かすかに漂う肉の焦げる匂い。一片の迷いすらない、見事なセルフ根性焼きだった。開いた口がふさがらないとはこのことか。

「あっ、ちぃー……」

「お前の手首って、灰皿だったの?」

「ひひっ、うん。今日だけね」

 でもさすがに右手は無理だった、と顔面汗だくの原村。頬がひくひくしていた。

 頭がいってしまったのではないかと危惧したが、どうやら熱さは感じているらしい。利き手もちゃっかり守ってるし。

 早川泣いてたな、とやんわり尋ねようとしていた俺だったが、なんとなくだけど、それを訊けば俺の煙草の消化先まで原村の人体灰皿行きになってしまいそうな気がした。

 だけど、俺は口を開く。

「早川、泣いてたな」

 原村が根性焼き程度でうやむやにするつもりなら、それこそ俺は食い下がるわけにはいかない。原村と友達でいたいから、原村を知りたいから、だからあえて訊く。

「沙樹を泣かしたこと、怒ってる?」

 もうフルネームじゃなかった。

「別に。あいつのことで、俺が怒る理由はないし」

「だろうね」

 原村はヘッドフォンを外して首にかけ、左手をぷるぷる振りながら笑う。指まで震えていた。

「でも、俺にも怒る理由が欲しいなぁ、なんて思ったり」

「僕のこと、あとは、僕と沙樹のことを知りたい、ってことだね」

「そゆこと」

 そうだな、と震え続ける左手で無理に頬を撫で、原村は空をあおぐ。

「知りたいんなら、まずは僕の絵を買うことだ」

 なんか前にも同じようなこと言ってたな、こいつ。

「いくらだっけ、お前の絵」

「今泉だけの特別価格、一枚五万円だ」

「やっぱぼったくりだわ、それ。教える気ねぇんだもんよ」

 言って、フィルターを唇で隙間なく挟み、肺活量の限界まで煙を吸い込み、吐き出す。

 うまくもなんともなかった。

 多量に排出された煙の先を追う。風に流され、それは原村の頬に触るが、彼は表情を崩さない。

「今泉、こんな僕をどう思う」

「最悪。もう友達じゃねえ」

「そうかい」

 原村は左手を差し出す。朱色に丸く剥がれた消化痕。自己嫌悪の証。

 煙草の先を、そのすぐ隣に突き立てる。原村は眉間にしわを寄せ、口元に浮かべた笑みすらも絶やした。どれだけ熱いか、俺には分かるはずもない。俺の腕も焼け、と言っても、原村は絶対にしてくれないのだから。

 たちまち小さくなっていく煙が、じんわりと空気に溶けていく。手首に残る二つの痕を見つめ、ぐっと奥歯を噛む。

 原村にとって俺はそれまでの存在であって、苦しみを共有する価値すらない男だったということだ。それを望んでいた俺の気持ちは脆くも裏切られた。

 友達に振られるなんてこと、世の中にはあるんだな。

「絶交だな」

「だね」

「あとで病院いけよ」

「そうする」

 悔しくて悔しくて泣けてくるんだけど、止めておいた。男に振られて泣くとか超だせえし。

 原村は息を乱し、さきほど以上に脂汗をにじませるが、無理矢理に笑みを作る。

「また今泉と友達になれるよう、頑張るよ」

「あぁ」

 原村は、あちぃあちぃ、と浮かした左手を揺らして、貯水タンクの側に歩み寄り、コンクリートに置かれたスケッチブックと画材を脇に抱える。俺は唾を飲み込み、原村に声を掛ける。

「俺が早川を二回も振ったこと、お前は怒ってねえのかよ」

 本当は絶交なんかしたくないんだよ、分かれ馬鹿、とまでは恥ずかしいから口にしないけど。

 怒ってるっつって、そんで思いっきり殴るなり、根性焼きするなりすればいい。別に俺はドMでもなんでもないが、今は原村と同じ痛みを味わっておきたいと思った。それこそ、自分本位な考えなんだけど。

 原村はへんてこな照れ笑いをする。

「実はちょこっとね。でも、今泉は悪くないって分かってるし、そのことは気にしなくていいよ」

 嘘か本音かは分からないが、彼が言葉にした以上、こちらも潔く受け取るべきだ。俺は黙ってうなずく。

「あばよ」

 無駄に格好つけて、原村は屋上をあとにした。

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