37 「違和感の正体」
フィクスとの長い話が終わると、レオナはベッドに寝転がった。
この数時間にも及ぶやり取りの間に、一体どれだけの内容が盛り込まれていたことか。
現実味を帯びない話をいくつも突き付けられれば、普通の人間なら混乱するだろう。
協力者が神話の時代から転生を繰り返しているという伝説的な存在であったなんて、一体誰が信じるというのか。
打ち倒さねばならない相手が未知なる存在――神だと言われ、果たして自分の力が及ぶと言えるだろうか。
普通の人間ならば、そんな現実を突き付けられたら耐えられないだろう。
しかしレオナ、そしてフィクスも普通の人間ではなかった。
フィクスの正体がなんであれ、その力は本物だ。
大国グランディスの王であり、魔術師としても最高位に位置するほどの実力を持っている。
少々曲者ではあるが、彼ならどんな難題も切り抜けられるだろうという謎の信頼があった。
そしてアリエッタを救うためになんとかしなければならない相手が神だと言われたとして、だからなんだというのか。
相手が神であろうと悪魔であろうと、アリエッタの幸せを勝ち取るために必要とあらばやるしかない。
ほんの一瞬、神相手にどう対抗すべきなのか策がないかもしれないと、迷いは生じた。
精霊相手に立ち回った経験はあれど、神を相手に戦ったことなど一度もない。
フィクスによる説を聞く前までは、概念のような存在でもある神相手に、物理的な方法や魔法などで対抗できるのか疑問だった。
その確証もなければ、実績なども聞いたことがない。
しかしフィクスの推察によれば、今アンデシュダリアで君臨しているという神は人間に受肉しているという。
肉体を要していると言うならば、策がないこともない。
何よりレオナの所有する魔性がその力を存分に発揮するのだと聞けば、俄然希望は見えてくる。
相手が神という現実は何も変わらないと言うのに、なぜか敗北のイメージはなかった。
これも自分が普通の感覚を持っていないからそう感じるだけなのか。
わからないが、それでもレオナがこれからやろうとしていることに一切の変更はない。
全てはアリエッタを自由にするために。
彼女の幸せを永遠に約束するために。
そのためならば、神すら相手にすることもいとわない。
潰さねばならない相手が明確になっただけだ。
レオナは微笑む。
断罪のプロムナードが一年早まった?
それはつまり、悪役令嬢救済計画が一年早まったというだけの話だ。
むしろ喜ばしいことではないか。
アリエッタが苦しむ期間が一年減ったと思えば……。
「アリエッタお嬢様、絶対に幸せになってくださいね……」
十二年間、共に過ごした日々がレオナにとってはこれ以上ない幸福であり、そして罪悪感にまみれたものであった。
それでもアリエッタの優しさが、愛らしい笑顔が、その純真さが、レオナにはとてもまぶしくて。
自分の中になかった何かが解き解されるような気がしていた。
心が死んでいたと思っていた。
そんな自分にも、柔らかい心はまだ残っていた。
それを気付かせてくれたのは、アリエッタという少女だ。
だからこの少女だけは、絶対に幸せになってもらいたい。
そして自分はそれを全力で遂行し、裁かれなければならない。
アリエッタが手にするはずだった幸福な幼少時代を奪った者たち全員、裁かれるべきなのだ。
***
翌日、レオナは再度アリエッタに確認した。
アリエッタ自身はこれまで通り過ごすこと。
聖女セスティリアに関しても同様、煙たい存在として扱い、できる限りヘイトを買うように。
もちろん裏でレオナも動くと告げておいた。
どうにもアリエッタはセスティリアの強靭な精神力に対し、これ以上の悪行が思いつかない様子らしい。
なのでアリエッタによるこれ以上の画策は控え、レオナが全面的にサポートしておくという形で安心させた。
加えて婚約者である王太子ランドルフに対する接し方についても補足しておいた。
アリエッタは、ランドルフの心が完全に聖女の方へ向いていることを自覚している。
それはレオナの目から見ても明白だった。
仮にも婚約者であるアリエッタとの定期的なお茶会をキャンセルし、そこに聖女との逢瀬にあてているのだ。
常識的に考えて、婚約者がいる身で他の異性と二人きりで会うことなど許されるはずがない。
それでも周囲の誰一人として、その非常識さを問わない。
ほんの少し前ならば、いくら相手が王太子といえど父王や側近の者が諫めないはずがないと思っていた。
王太子の勝手振る舞いに言及しない連中に対して「おかしい」と違和感を抱くほどに。
だが今ならわかる。
その違和感も、非常識がまかり通っていた理由も、何もかも。
『神は信仰という形で、国民全員を洗脳している』
アンデシュダリアは信仰の国。
誰もが生まれた時から教典に触れ、集会に参加し、神を崇めることを推奨してきた。
それが全ての元凶だったのだ。
今ならばこの違和感も多少は納得がいく。
これも今この国のどこかに存在している「神」による力のせいなのだ。
都合の悪い状況すらも、強力な洗脳によって捻じ曲げられていた。
信仰心の薄い人間、レオナにはそもそも聖ネフィル神を信仰するような信心深さなどがなかったので、それを違和感として捉えていたに過ぎなかった。
だが過去に一度、フィクスから言われたことを思い出す。
レオナですらほんのわずか、その影響が見えていたことを。
だから違和感という形でしか気付けなかったのだ。
ほんの少し考えればわかるはずの、この異常なまでの環境。
悪役令嬢に対する差別的な意識。
教会上層部、国王、王太子、貴族などの全員が、悪役令嬢として振る舞うアリエッタを忌み嫌う。
普通なら考えられないはずなのだ。
誰か一人でも味方が、違和感を抱く者が現れてもいいはずなのに、誰一人として名乗り出る者はいなかった。
故にアリエッタは孤独となった。
それも洗脳によるものだったと知れば、話は別だ。
執拗なまでに辛辣に扱ってくるランドルフ王太子も、この世に生を受けた瞬間から次期王位継承者として神を信仰するよう、強く教育を受けさせられている。
それが洗脳の強さを物語っていた。
周囲の者も洗脳にかかっている。
悪役令嬢断罪計画を知らずとも、自然にアリエッタを敵視した。
いつか断罪されるための駒でしかない悪役令嬢に対して、温情を見せないよう根深く植え付けられた種。
これが本当に洗脳だけによるものなのか、本人の性質なのか、そんなものレオナには関係なかった。
どちらにしろ、報いは受けさせる。
そのため、ランドルフとの関係性が悪化しても良いからアリエッタは悪役令嬢として堂々と振る舞えばいいと、そう伝えた。
かつてランドルフに対して好意を抱いていた時期があった。
そんなアリエッタの顔に、戸惑いは見られない。
食い下がることもせず、ただ静かに頷く。
これにはさすがに妙だと勘付くが、安心する方が強かった。
あんな無能より、アリエッタを大切に扱ってくれる男性が良いに決まっているのだから。
アリエッタ自身が自覚しているかどうかはわからないが、マリクという存在がこんな形で大きく働くことになるとは思ってもみなかった。
レオナはさらに働きかける。
もうあんな無能な男のために、心身を削る必要はないことを。
断罪のプロムナードが用意されたということは、このまま何をしてもランドルフの方からいきなり婚約破棄を宣言してくることはないはずだと、レオナは付け加えた。
アリエッタが懸念していたことは、聖女を愛するあまり断罪劇を迎える前に婚約破棄されてしまわないか、というものだった。
それはこれまでの努力が水の泡になってしまうこと。
計画が破綻してしまっては元も子もない。
だがその心配は不要なのだと、レオナは憶測を話して聞かせた。
あくまで「神による洗脳」に関してのみ伏せて。
仮に無能なランドルフが先走って、そのようなことをしでかそうとしていたとしても、それは無意識の内に思い留まらせることになるだろう、と。
洗脳の力が働くからだ。
どうせ婚約破棄するならば、正式な場で……と無能なランドルフでも思いつくよう仕向けられるはず。
そしてそういった感情を、きっと側近の誰かに話していることだろう。
仮にそれが悪役令嬢断罪計画を知る教会関係者だったとすれば、ランドルフに進言するはずだ。
『憎たらしい悪役令嬢に恥をかかせるため、もっと大きな舞台で宣言した方が効果的だろう』
あくまでレオナの憶測の域を出ないが、そうすることで断罪のプロムナードまでランドルフが独断で婚約破棄を宣言することはない。
だからアリエッタは存分にランドルフからも嫌われて構わないのだと。
洗脳に関することは伏せたまま、上手く説得力があるよう説明したレオナの言葉にアリエッタは頷く。
今までずっと、レオナの言う通りにして間違ったことなど一度もない。
そう、ただの一度もなかったという実績があるのだから。
アリエッタは何の疑いもなく、疑念を抱くこともなく、素直に従ってくれる。
レオナは安心し、付け加えた。
「さぁアリエッタお嬢様、断罪のプロムナードで過去最高の悪役令嬢を演じてみせましょう。その場には私もお側で見守っていますので、華々しい悪女っぷりを私に見せてください。そうすることでようやく、アリエッタお嬢様の努力が報われるのです」
「えぇ、えぇ……。そう、よね……」
「辛く苦しい年月だったことでしょう。でも私は心からアリエッタお嬢様を誇らしく思います。普通の少女にはきっと不可能だった。アリエッタお嬢様だからこそ成し得た、まさに聖女以上の働きでございます」
アリエッタには「悪役令嬢」を完遂してもらわなければいけない。
矛盾しているといえばそうかもしれない。
だが、始まりはここからなのだ。
アリエッタは悪役令嬢として生き、役目を果たし、国のためにその身を捧げるという使命を持った上でレオナと出会ったのだから。
それだけは覆されてはいけない。
アリエッタにはまだ、神の洗脳が解けてしまっては都合が悪い。
「大丈夫です。全て最後には、上手くいきますのでご安心を」
「……私は悪役令嬢アリエッタ・クリサンセマム、だものね」
キラキラとまばゆい光を放ちながらも、物憂げな影を落とした瞳を閉じる。
次にアリエッタの瞳から覗いた眼差しは悪意と良からぬ企みが混ざったような、鋭く妖しい光が放たれていた。
「悪役令嬢の生き様を、国民全員に知らしめることが私の使命。恐怖した全ての人々が一生私という存在を忘れられないよう、心に深く刻み込むために……」
ぞくぞくと、心が震えた。
温かい太陽のような印象から一変、氷のように冷たい印象へと移り行く。
それを目の当たりにしたレオナは生涯不変の忠誠を誓った。
あぁ、純真無垢な天使から悪逆極まりない悪魔へと変貌する、その変わり身の早さ。
こんな真似、アリエッタお嬢様以外にできるはずもない……っ!
やはりこの方は天才だわ。
私はどちらのアリエッタお嬢様も、等しく愛しいと想っております。




