31 身勝手な生き物
ノームに神聖黙示録を返却した後、ベリルはなりふり構わずレオナへ連絡を取ることにした。
定期報告直後に、再び面会することはこれまでに一度もない。
不審に思われようと、今はそのようなこと些末なことだ。
知った真実を、打ち明けられずにはいられなかった。
「旦那様、こんな時間にどちらへ?」
「重要な仕事がまだ残っていた。お前たちはもう休んでいいぞ」
それだけ言いつけ、ベリルは愛馬に再びまたがる。
レオナへの連絡手段は毎度、鳩を使う。
鳩といっても鳥類の一般的な鳩のことではない。
伝令用の魔性で、身体に取り込むほどでもない低級の魔性だ。
見た目こそ黒い鳩のように見えるが、夜目が利く。
消耗品に近いこの鳩は、伝令相手の元へ到着し役目を終えると消滅する。
血と魔力を媒介に何度でも喚び出しては、使役させることができた。
下位の暗部たちにとっては最初に契約する基礎的な魔性である。
身体に取り憑かせ、自身と直接契約を交わさない辺り最も安全に使役できる魔性がこの鳩だ。
(鳩は飛ばした。あいつならすぐさま待ち合わせ場所まで来るだろう)
夜間のため、車道にはほとんど人通りはない。
夜職の者が使う馬車だけなのだろう。
ベリルは心置きなく馬を走らせることができた。
(悪役令嬢断罪計画は、ただ国民支持率を操作するだけのものじゃない……っ!)
神聖黙示録は、古の神々が書き記したもの。
偽物という可能性も否定できないが、今のベリルに何が真実で何が嘘なのかもはや判別がつかない。
何よりアンデシュダリア国が所持している神聖黙示録は、オリジナルに最も近い写本とされているくらいだ。
ならば、信じるしかないだろう。
現に心当たりがいくつもあるのだから。
(レオナ、お前の敵は恐らく……っ)
***
突然の呼び出しに、レオナは心の底から不快になっていた。
プラチナ学園に現れたというマリクの話で、アリエッタがこんなにも上機嫌になっていたというのに。
自分では孤独感を埋めることができないと感じていたところに、マリクの存在があったおかげでアリエッタの顔に笑顔が戻った。
これほど喜ばしいことはなかったので、アリエッタが眠りにつくまでずっと眺めていたかったところを邪魔された、というわけである。
ベリルが待ち合わせ場所に選んだのは、農村の区画だ。
貧民街のように雑多な雰囲気のある街並みであるが、荒んだ様子は見られない。
貴族街にある派手な噴水と比較にはならないが、小さな噴水のある広場でレオナは待ち続けた。
レオナがクリサンセマム家を出て三十分も経過しない頃だろうか。
少しでもアリエッタから離れることを良しとしないレオナが、業を煮やして屋敷へ帰ろうとした矢先だった。
噴水広場に現れた人影にレオナは瞬時に気付く。
ここは農家が多く住む区画である。
農家の朝は早い。
人によっては夜遅くまで飲み歩く者もいるだろうが、深夜を過ぎればさすがに酒飲みの姿はないはずだった。
あるのはせいぜい深夜から仕事を開始させる職種の者だけ。
特に警戒することなく振り向いた先には、憔悴しきったようなベリルが馬から降りるところであった。
レオナの知るベリルは、少なくとも常に険しい表情であったが、何かに切羽詰まっているような様子は見せない人物だ。
レオナの教育係、暗部として上司になってからは冷徹な態度が如実に表れるほど、彼の態度は冷静そのものだった。
そんなベリルが焦りを見せるように、必死でレオナの元へたどり着こうとしたかのような様子がうかがえたので、どうしても違和感を覚えてしまう。
異変を感じつつ、それでもレオナは不機嫌な表情で問い質す。
こんな突然、こんな時間に、こんな場所に呼び出すような男を、笑顔で受け入れられるはずがないとでも言うように。
「どういうつもりなのかしら。婦女子をこんな時間帯に呼び出して。聖騎士団長の名に傷がつくのではなくて?」
「レオナ、これはアリエッタ嬢にも関わる重要な内容だ」
「……どういうことなのか、端的に説明してもらえるかしら」
アリエッタの名を出せば、レオナは否が応にも従順になる。
それはこれまでの定期報告の際にも感じていたことだった。
ベリルはそれを利用して、自分が知り得る全ての情報をレオナに打ち明けるつもりであった。
ごくんと生唾を飲み、呼吸を整え、順序立てて説明するはずであったベリルはなぜだか言葉に詰まってしまう。
それはまるで水中で無理やり口を開けて言葉を発しようとしているかのようだった。
発声しようにも文字通り、言葉が喉の奥で詰まったような感覚になり、上手く紡げずにいる。
なぜだと思いつつも、ある憶測が脳裏をよぎった。
(沈黙の魔法、だとでもいうのか? ……一体誰が!?)
怪訝な表情でベリルの言葉を待つレオナであったが、都合よく察してくれそうになかった。
彼女の頭の中は、用件をさっさと済ませて屋敷に戻りたい。
それだけで満たされているような雰囲気を醸し出していたのですぐわかる。
何者かの妨害を受けていると感じたベリルは、それでもどうにか沈黙魔法の落とし穴を探った。
沈黙魔法とは、特定の言葉を口にすることができなくなる魔法だ。
それに無関係な単語であれば、普通に話すことは可能になってしまう。
この魔法の厄介なところは「指定された内容全てに関わる言葉」を一切吐き出せなくなることに他ならない。
故に、それに関わらない内容ならば何の苦もなく話せてしまうので特定することに時間がかかる場合が多いのだ。
単純に相手の魔法を封じるのであれば「詠唱そのもの」を指定するだけで、魔法を封じることができる。
しかしそうでない場合、どのような内容が引っかかっているのか不明のまま、沈黙魔法をかけられていることにさえ気付かない、という状況に陥ることも多々あるのだ。
ベリルは沈黙魔法の特徴を一応把握してはいる。
だからこそ、最も伝えたい内容を口にすることが不可能になってしまったという今の状況は最悪といってもいい。
沈黙魔法が指定した内容は、恐らく「女神」に関するワードだろうと、ベリルは推察した。
つまりせっかく知り得た最大の情報である「女神」に関する内容に触れることなく、それをレオナに気付かせる方法を模索しなければいけなくなったというわけだ。
「……今日、グランディス国の王弟殿下がプラチナ学園を訪れていたそうだが。アリエッタ嬢からその話は聞いたか」
「は? えぇ、学園内の案内を依頼されたとお嬢様から聞いているけど。それが一体どうしたというの?」
なんでもない日常会話から始まった内容に、レオナは拍子抜けになってありのままを返した。
具体的な内容を話していないとはいえ、マリクとレオナの関係性はベリルに伝わってはいないはずだ。
ベリルのことが信用に値しない状態で、密約の件を話すのは愚策と捉えているレオナから明かすつもりなどさらさらなかったのだから。
つまり今ベリルの話の内容は、特に深い意味を成してはいないとわかる。
だからこそレオナの機嫌は悪くなる一方だった。
そんなつまらない要件のためにこんな場所まで呼び出したというなら、今後一切ベリルに頼るような行動はしないと断言しよう。
レオナが心の内でそう判断した時だった。
「いいか、レオナ。今から俺が言うことはお前にとって意味のない戯言にしか聞こえないかもしれない。だが、これが今の俺にできる精一杯の……罪滅ぼしだ」
独りよがりで意味不明なことをよく口にするベリルのことはよくわかっている。
今さら罪滅ぼしだと言うのなら、今から話す内容はレオナにとって重要な内容になるのだろう。
そう汲み取るしかない。
腕を組み、レオナは聞く態勢を取った。
さっさと話せといわんばかりの態度で。
しかし今のベリルにとってはそれで十分であった。
ぽつりぽつりと、ゆっくり、確かめるように話し始める。
「アンデシュダリア国は信仰の国だ。それはお前もよくわかっていることだと思う」
いつもなら言葉のひとつひとつに揚げ足を取っていたところだろう。
しかし時間を急いているレオナは、無駄な口を挟まずに黙って頷くに留めた。
「この国が崇める主神、聖ネフィルを信仰することで様々な恩恵が得られる。そう教育され、国民の大多数が敬虔な信者だ。……かつての俺もそうだった。それがこの国で生まれ育った者のごく自然な、当たり前の常識なのだから」
その信仰心が、養われた信心深さが、今のアンデシュダリアを作っていると言えるだろう。
ベリルはそれをどうしてもレオナに伝えておきたかった。
切実に、この国の在り方を、現状を、……真実を。
「アリエッタ嬢から決して目を逸らすな。悪役令嬢は常に見られている」
警告にも近い発言に、レオナに緊張が走る。
わざわざ告げに来たということは、それほど重大なことなのだろう。
命に代えても守らなければならない者の名が出れば、真剣に耳を傾けなければならない。
「誰に? 国? それとも教会? 両方だとしても、そんなこと承知の上で今までやってきたことだわ。……どちらにせよ、お嬢様は稀有な存在よ。誰もが注目しているわ。そうしなければいけないから。ベリル、なぜそんなに遠回りな物言いを」
言って気付く。
彼の言葉は何かしらの制限を受けているのだと。
途端にざわりとした感触が背中を伝った。
得体の知れない何かが自分たちを遠巻きにじっと見つめているような、そんな異様な視線を感じる。
なぜ今まで何も感じなかったのかと思うほどに、突然だった。
「ともかく、何か策があるというのならお前はそれを全うしろ。何を考えているのか俺は知らんが恐らく、それが一番の解決策かもしれん。……ただ、悪役令嬢だけは必ず守り切れ」
「言われなくとも、そのつもりよ……。こんなこと、ベリルに打ち明けるのは初めてのはずなのに。そんなにも私、あからさまだったかしら」
苦痛に歪む表情から、ベリルが何かに抗っている様子が見て取れた。
言葉少なに、しかし最も肝心な「アリエッタを守れ」という言葉にレオナはほんのわずか、彼に対して気を許せた気がした。
「お前の目指すところは想像でしかない。どこまでできるのかもわからない。ただ……、その道は困難を極めている。敵が……強大すぎるからだ」
国そのものを相手取るつもりで決意したレオナにとっては、それは今さらのことだ。
しかしそこで二人の間にわずかなすれ違いが生じていることに、気付かない。
国を相手にすることと、神という存在を相手にすることではわけが違う。
だがどうしても核心に迫る言葉になると、ベリルの発声に沈黙魔法による制限がかかってしまう。
(どれだけ洗練された技術だ。こんな芸当、一級魔術師レベル……いや、それ以上だぞ)
これほどの範囲にわたって制限がかけられている以上、敵の正体に関する情報を明け渡すことは不可能だと、ベリルは肩を落とした。
こんなことになるならば、危険を承知でこんな場所に呼び出さなければよかったと、今になって後悔する。
目的を果たせないまま、レオナは何も知らないまま、この先を戦わなければいけない。
そしてベリル自身の真の目的も達成できないまま……。
鬼気迫る表情から、諦念した表情に変わったベリル。
今の言葉を伝えるためにここまで来たのかと、レオナは半ば納得のいかない顔だ。
それはそうだろう。
レオナにとってはこれまでと何も変わらない行動理念を、改めて確認されただけなのだ。
一体何の時間だったのかと不満になるのは無理もない。
長い、長い付き合いだ。
レオナの考えていること、思っていることはすでにお見通しだった。
こんなつまらない用事で呼び出してしまって申し訳ないと思いつつ、伝えずにはいられない。
「恥を承知で頼みたい……」
レオナを拾った時、これはもしかしたら運命だったかもしれないと今なら思う。
「俺には、アリエッタ嬢と同じ年頃の娘がいる」
枢機卿の命令に従っていたのも、信仰心などではない。
全ては自分の中に残されていたわずかな愛情があったからだ。
「妻の次は娘? 家族を紹介されても困るのだけど」
自嘲じみた笑みをこぼす。
レオナに脅威を伝えるはずが、ただの命乞いをしに来ただけになるとは思ってもいなかったのだから。
「俺が悪役令嬢の教育係に任命され、遂行してきたが。それはひとえに信仰によるものではなかった。抗う手段を探るために、教会の内側のさらに奥へ入り込むために従っていただけに過ぎなかったんだ」
妻と娘には会っていない。
政略的な結婚ということもあって、自分に家族ができたという感覚がなかった。
しかしそんな自分でも、娘という存在が大切であったことに気付くことができた。
「お前が悪役令嬢を救うということは、この国の根幹を壊すということ……。この国を壊して、娘を信仰という呪縛から……解放してほしい」
レオナは首を縦に振ることも、承諾の返事をすることもしなかった。
初めて見たベリルの本心の顔。
任務のためなら情すら持たないような男の顔が、家族を想う男の顔へと変わったことにほんのわずか、不平等さを感じたせいだ。
(人間って本当に身勝手な生き物ね)
ベリルに拾われ、育成され、指示され、使われてきた日々が脳裏をよぎる。
(私にはベリルのいう家族がいないことをわかっていて、そういう頼みごとをするなんて……)
特別扱いを受けていたのは事実だ。
しかしそれはあくまで道具として、悪役令嬢の教育係としての駒としてに過ぎない。
「……私は、アリエッタお嬢様のために動くだけよ。約束はできないわ」
それだけを言い残し、レオナはベリルに背を向けた。
話はこれでおしまいだと、行動で示す。
ベリルもまた、それをわかっていたかのように何も言わない。
食い下がることもせず、ただ目の前を去っていく侍女の後ろ姿を見送るだけだった。




