13 グランディス国滞在二日目~激高~
アースドラゴンの姿に変わり果てた大地の精霊ノームの外皮は、この世界で最も硬いとされる鉱石アダマンタイトと同じ硬度となっている。
大振りの攻撃をかわしつつ、身体能力が強化されたレオナはしなやかな動きで少しずつ確実に魔性による攻撃を繰り返していた。
レオナを主体とし、隙を見つけてはフィクスが風の精霊シルフによる魔法攻撃も加えていく。
確実に、正確に、あらゆる生物の弱点である頭部を集中的に狙う。
全く同じ個所を寸分違わずに。そうすることで如何に世界一の硬度を誇る外皮とて、繰り返し攻撃を加えればダメージは蓄積され、やがて綻びが生じる。
――ドクン。
「……っ!」
あともう少しで亀裂を入れることができる、その矢先にレオナの動きがぴたりと止まった。項垂れるように、地面に立ち尽くしたまま、微動だにしないレオナに対してフィクスが叫ぶ。こうしてる間にもアースドラゴンの攻撃を受ける恐れがあるからだ。
直撃すればレオナといえど無事では済まない。
「どうした」
戦闘中に呆けるなど有り得ない。
ましてやレオナは相当の手練れ、四大精霊相手に集中が途切れるなんてことがあるだろうかとフィクスが不審に思った。
まさか魔力切れで魔性を操れなくなったのだろうか?
そう勘ぐった矢先のこと。
「……なっ!?」
レオナを取り巻く空気が変わる。
渦巻き蠢く――不気味な闇。
彼女から放たれる空気は不穏そのもの、悪意や憎悪、威圧感と……殺気。
とても一人の人間から放たれるとは思えない魔力の渦に、フィクスは比喩表現などではなくはっきりと「闇に飲まれる」と感じた。
「一体どうした!? その魔性は危険なものではあるまいな!?」
レオナが放つものといえば、魔性しか思いつかない。
魔法技術に優れているなどという話は一切聞いていなかったので、今レオナが放とうとしているモノは恐らく魔性の力だろうと考えるしかなかった。
だがそれにしても、あまりに不吉すぎる。
まるで悪魔か死神を前にしているように、フィクスですら身が竦むほどだ。
「お嬢様が……」
「アリエッタ嬢なら安全だ! マリクが付いている! 俺の弟を信じろ!」
ノームを前にしているはずが、フィクスはそれよりレオナに脅威を感じる。
今ここで宥めなければ、何が起きるかわからない。
そんな気に駆られる。
項垂れた姿勢だったレオナが背筋を伸ばし、天を仰ぐように立ち尽くす。
それから怒りに満ちた眼差しをフィクスに向け、憎々し気に言い放った。
「この嘘つき……っ!」
「……マリクたちに、何かあったとでもいうのか」
そうフィクスが問いかけた瞬間、ノームはレオナに向かって突進していった。
巨大な口を開け、そのままばくりと地面ごと食らいつこうとする――が。
『ガッッ!?』
口内に捉えたはずが、ノームの牙の隙間から闇が勢いよく漏れ出す。
まるで闇に食らいついたようにレオナがいた場所が漆黒に包まれていく。
煙のように、生き物のように、蠢く闇がノームの大きな口を、あごを無理やりこじ開けていった。
現れたのは、解けた長い黒髪をたなびかせた美しくも恐ろしいレオナの姿……だが。
そこにいたのはフィクスの知るレオナなどではなかった。
「レオナ……っ、なんだ……その右腕は!?」
ノームの口をこじ開けたのは、巨大な異形の腕。
闇がまとわりついた恐ろしい悪魔のような腕であった。
アースドラゴンと化したノームの顔面を一握りにできそうなほど、腕や指は恐ろしく長く、不気味な形をしている。
たまらず後退したノーム、その表情は恐怖と焦燥が入り混じっていた。
狂戦士にでも成り果てたかのようなレオナの荒ぶる様、人間のものとは思えない異形の腕、そして悪魔のような形相にフィクスは背筋を凍らせる。
「……時間を、かけていられない」
そう言い放った途端、レオナが姿をくらませた。
まばたきほどのスピードでノームとの距離を詰めたレオナは、異形の右腕を高く振りかざし……そのままノームを地面に叩きつけた。
およそ人間の腕力では不可能な攻撃に、ノームは完全に虚を突かれたのか。
脳震盪を起こしたように地面に倒れ伏したまま、起き上がることなく体が徐々に縮んでいくのが見て取れた。
強い衝撃によりノームは正気を取り戻したようで、姿はアースドラゴンのままであったが、中型犬ほどの大きさにまで小さくなっていた。
顔つきは先ほどよりずっと穏やかで、愛らしささえ感じる容姿となる。
『ん~、ぼ……ぼくは一体……?』
座り込んだ状態で、頭を抱えるようにしながらきょろきょろと周囲を窺う。
ノームがまず目に入れたのはフィクスだ。
茫然自失とした様子で、彼が自分の目を覚まさせたのだろうかと問おうとした時。
ちらりと背後を見やると、そこには未だ闇を纏ったままのレオナが恐ろしい形相でノームを睨みつけている。
『ひぇっ! ご、ごめんなさいなのですっ!』
咄嗟に謝るノームであるが、レオナはもはや精霊のことなど、契約のことなど、何もかもがどうでもよくなっていた。
ゆらりと動き出したかと思うと、レオナはグランディス国のある方角へと視線を向ける。
「今、参ります……アリエッタお嬢様」
「待て、レオナ。まずは俺の問いに答えよ。……その魔性は、まさか」
「うるさい、黙れ。私を止めるな――殺すわよ」
「……っ!」
レオナの低く押し殺した声にフィクスは黙る。
それが冗談でも脅しでもなく、本当に殺しかねない言葉だったからだ。
彼女の身に一体何が起きたのか不明であるが、豹変した様子からグランディス国で何か大きな問題が起きたのだと推察する。
このまま放っておけば、レオナは本当に精霊との契約などそっちのけでグランディス国へ向かって行きそうな勢いだった。
だがフィクスもまた思い至る。
どのようにしてアリエッタの危機を知ったのか、それはフィクスにもわからない。
だがレオナの言葉を信じるのならば、それは実弟マリクの身に何か起きたということになるのではないか。
フィクスはマリクの実力を熟知している。
彼の能力は魔力を帯びた生地や糸、そして裁縫師の技術により作り出されたぬいぐるみ……パペットを操るものだ。
世界規模で見ればあまり浸透されていない人形遣い――パペッティアだが、マリクの才能はそのパペットを自身の魔力によって何十体、何百体でも操作できるという驚異的な技術をマスターしている。
魔術師としての才能だけを見るならば、フィクスはこの世界でも五本の指に入るほどの実力の持ち主である。しかしパペッティアとしての技術はマリクに遠く及ばない。
懐に忍ばせ、適宜パペットを戦闘などに投入することができる。
マリクは常に最低でも五体はパペットを持ち歩いていた。
それはつまりマリクの懐には、五体もの兵隊が付いているということになる。
マリクが他に護衛を付けなかったのは、目立つことを避けるためともうひとつ。
パペットを五体連れていたからだ。
護衛としてはそれで事足りると判断した結果が、不測の事態により機能しなくなったのかと、そう予測するしかない。
それがわかったところで、オリクト鉱山跡からグランディス国まではかなりの距離だ。
今すぐ向かったとして間に合うはずもない。
フィクスはレオナを制止しながら、腕に付けていたベルト型の魔道具を見せた。
「これでマリクと、向こうにいる警備隊に連絡することができる。お前の使命を忘れるな」
「私の使命はお嬢様を守ることよ」
聞く耳も持たない様子だった。
荒ぶるレオナを落ち着かせようと連絡を取るフィクスであるが、それすら待てないレオナが出入り口の方へ向かおうとした時だ。
ひょこひょこと揺れながら歩いて近付いて来るノームが、申し訳なさそうな表情で一礼しながら声をかける。
『えと……、ぼくの呪いを解いてくださって、どうもありがとうございますなのです。あの……、見たところとても急いでおられるようなのです。よろしければ、ぼくがお運びしましょうか?』
仮にも世界を構成する四大元素の精霊であるノームが、低姿勢の状態で話を持ち掛けて来たのでフィクスはどう応対したらいいものか少々戸惑う。
四大精霊ともなればその強さは人間より遥かに上位の存在、それがへこへこと頭を下げながら申し訳なさそうに顔色を窺ってくる様子に面食らっていた。
だがそのようなこと、今のレオナにとっては些細なことだと言わんばかりに、フィクスを押しのける形で身を乗り出し、問い詰めるような物言いでノームの提案に食らいつく。
「どうやって」
『ぼくは大地を司る精霊です。目的の場所が地続きであるならば、ぼくの魔法で地面の中を移動することができます。あっ、もちろん空気とかの心配はないですっ! 人魚が海中を泳ぐのと一緒で、地面の中をぼくの魔法で泳いで進むようなイメージです』
海と地面だとあまりに違い過ぎて、ノームの説明ですらいまいちイメージしきれない。
人間でも海に潜り泳ぐことは可能だが、地面の中を泳ぐなんて想像がまるでできなかった。
フィクスはノームの魔法、地面の中を泳いでいくという行為自体に興味を示したのか。「ほう」と感嘆の声を漏らしながら、理屈はどうあれ百聞は一見にしかずといったところらしい。
レオナもまた理屈や道理より、一秒でも早くアリエッタの元へたどり着くことができるのならば方法は問わないといった様子だ。
「可能なら今すぐ、アリエッタお嬢様の元へ連れて行きなさい」
『はうっ! は、はい! ただちに!』
「ふっ、どちらが上なんだか」
レオナの態度を鼻で笑いつつ、フィクスは武装を解いてレオナと一緒について行く気だ。
イラッとしつつも、逃げていった地竜は放っておいていいのか問おうとしたレオナだが、地竜をレンタルする際に受けた説明を思い出した。
――彼らには帰巣本能があるので、客を見失えば自ら店へ戻るよう教育されている。
レンタル中の事故により客を失う、あるいは途中で乗り捨てられた時のことを考慮し、あらかじめ地竜には騎乗者がいなくなってしばらくしたら戻るように徹底して教え込まれていた。
実際、地竜がレンタル中に乗り捨てられた事例は過去に呆れるほど起きたトラブルだ。
どうしたらいいのかわからなくなった地竜が彷徨い、そのまま野生に還ってしまうケースが後を絶たなかった。
今では地竜への教育によりそれが改善されたものの、レンタルショップまで返却しに帰らなくても地竜が自分で勝手に帰っていくという認識の客が出てきたため、どちらにせよ迷惑客の存在は昔から変わらない。
そういったこともあり、どこかへ逃げて行ってしまった地竜への懸念はひとまずないとして、レオナとフィクスは心置きなくノームの協力を仰ぐことにした。
ノームは快い返事をし、背中の翼を広げレオナたちに向けて一仰ぎすると、吹き飛ばない程度の風を全身で受け止める。
するとレオナたちの全身が魔力の薄い膜で覆われたように淡く光り、体がまるで羽のように軽くなった気がした。
『そのまま動かないでくださいね。ぼくが自動で運びますので』
ノームは水面に飛び込むように、フィクスの身長ほどジャンプすると地面の中へとダイブした。
レオナたちと同じ膜に包まれたノームの体は、地面が液状化したようにどぷんと吸い込まれるように潜っていく。
その様子を見守っていたレオナたちであったが、突然体が何かに引っ張られるように、ぐいと地面へと引きずり込まれていった。
動揺するがノームの仕業であることは明白なので、言われた通り身動きしないよう注意しながら気を引き締める。
肝の据わったレオナ、魔法に関して多くの知識を持つフィクスであろうと、地面の中を泳ぐという未知の経験を今からするのだ。
平然としていろ、というほうが無理な話だ。
だが思っていたより違和感はなく、膜に覆われ守られているせいだろうか。
地面の感触などは一切感じない。
ただ乾いた砂のような香りはするので、五感が制限されたわけではなさそうだ。
先頭を泳いでいくノームに牽引されるような形で、レオナたちもまたグランディス国へ向けて地中を猛スピードで進んで行く。
そこに障害物などは一切ない。途中に大きな石などがあったとしても、それすらレオナたちの体を避けるように、ぶつかることなく魔法のヴェールを掠めるだけでするりと通り過ぎていった。
人間の足で、地竜で、シャドウフィッシュで移動するより、ずっと速い。
これならば十分とかからずグランディス国へ到着するだろう。
しかしそれでも、レオナの焦燥感は拭えなかった。
他に方法がないにしろ、彼女の気持ちとしては秒で辿り着きたかった。
アリエッタの身に起きたこと――、それが何かはわからない。
だがレオナには主がとてつもない危機に陥っていることを認識していた。
グランディス国民に発見される可能性があった監視の魔性カメレオンをアリエッタに付けることができなかったレオナは、代わりにアリエッタの中に剣舞の魔性ソードダンサーの一部を潜ませていた。
アリエッタにはもちろん話してあり、了承も得ている。
何かあった時のために……。
第三者に不審がられることなくアリエッタを見守る方法は、これしかなかった。
ソードダンサーが感じ取ることは、レオナも感じ取る。
アリエッタの思考までは不可能だが、ソードダンサーが危険だと判断したことだけで十分だ。
ソードダンサーから送られてくる危険信号は、もはや真っ赤になっている。
だからこそレオナには一分一秒すら惜しかった。
危険信号を感じ取ってから、それだけでも数十分は経過しているだろう。
レオナは焦る。
我を忘れるほどに、正気を保っていられなくなるほどに、気が狂いそうなほどに……。
アリエッタとの距離が縮まるごとに、ソードダンサーから発せられる信号はより強く感じられる。
大地の精霊ノームとの試練があるとはいえ、ソードダンサーをもっとアリエッタに注いでおくべきだった。
そうすれば仮にアリエッタが意識を失っていても、体の動きを制限させられたとしても、ソードダンサーによって無理やり動かすことは可能だったから。
出し惜しみするべきではなかった。
だがそれも全て、たらればでしかない。
今さら悔いても時間は戻らないのだから。
(アリエッタお嬢様の身に何かあったら……っ、私は……っ!)
自らの死を考えた。
償い方がそれ以外に思いつかない。
だけれど、そんなことでは全く……塵芥にも劣るほどに不足していると痛感する。
アリエッタの存在は、自分のような人間の命ごときで賄えるほど価値が低いはずがない。
何度生まれ変わって命を差し出そうと、それでも決して足りない。
悪い想像ばかりが頭をもたげる。
もし万が一、アリエッタを失うようなことがあれば――。
(私はきっと、何もかも全てを壊してしまうでしょう……)




