17 斯くして悪役令嬢は仕上がった
そして現在――。
奇しくも幼くして高い演技力を見せた愛らしい少女アリエッタは、それを評価され「悪役令嬢断罪計画」による生贄に選ばれてしまった。
当時まだ四歳だったアリエッタは拙い言葉使いであったが、その鬼気迫る表情と迫力ある高笑いが観衆を絶句させ震え上がらせたことは、プラチナ学園演劇コンクールでも歴史に残る名演技とされた。
秘密裏に行なわれた悪役令嬢選考会としての演劇コンクールは、王族や教会の上層部だけではなく、悪役令嬢の教育係となるレオナやベリルも観劇していたのだが……。
この時点ではまだレオナの心はアリエッタ側に傾いてなどいなかった。むしろ教育しやすい少女であるかどうか、どのように指導すれば周囲から忌み嫌われる悪女にすることができるのか。
そういった目線で劇を観ていたので、今となってはアリエッタに白羽の矢が立ったことが悔やまれてならない。
今日までアリエッタの教育係としてクリサンセマム家にやって来て早数年、専属の侍女として仕えてきたレオナは第一関門といってもいい問題に差し掛かっていた。
***
クリサンセマム一家が共に楽しくお茶会をするはずの場。
そのリビングではなぜか空気が凍り付いていた。理由は一目瞭然だ。
「ひぃっ! 申し訳ございません、アリエッタお嬢様……っ!」
椅子に腰かけているのは、十二歳になったばかりのアリエッタ。彼女は表情ひとつ変えることなく、しかし冷徹さを帯びた眼差しで、そのすぐ隣に跪かされている女中の頭めがけて熱々の紅茶を流しかけていた。
壁際には数人の女中が血相を変えて震えており、中にはあまりの酷さに視線を逸らす者もいる。
「アリエッタ、いくらなんでもそれはやりすぎだ!」
叱責したのはアリエッタの父ベルドラドだ。しかし父親としての威厳はほとんどなく、弱々しい怒鳴り方に誰も安心することがない。
ちら、と自分の父親を一瞥したアリエッタは、ごく当然の罰だとでも言うように口答えする。
「あら、お父様。私が不味い紅茶を飲んで、万が一お腹でも壊したらどうなさるおつもりなのかしら」
「たかだか紅茶の一杯や二杯、ちょっと砂糖の分量を間違えただけだろう」
その言葉を聞くや否や、アリエッタがどん、とテーブルを叩くと同時に食器類が跳ねる。手を付けていなかったベルドラドのカップが倒れ、紅茶がテーブルクロスを濡らしていった。
声に出すことなく母ジュリエが執事に目線を配ると、彼もまた黙ったまま隣にいた女中と共にテーブルセットを片付け始める。
それには目もくれず、アリエッタは熱いのを我慢しながらがくがくと震えたまま跪いている女中をねめつけ、席を立った。
「私、言ったわよね? 私がお茶会で飲む紅茶は、レオナが淹れたものしか飲まないって」
「も、申し訳ございません……っ!」
高圧的な態度で叱責するアリエッタに、両親は言葉もないようだ。おろおろするばかりで、娘の顔色を窺うことしかできない。誰もが口をつぐんだまま、次にアリエッタの怒りの矛先が自分へ向かないようにやり過ごそうとするばかりだ。
「レオナ」
「はい、アリエッタお嬢様」
「どうしてこんな手違いが起きてしまったのかしら?」
「僭越ながら申し上げます。この度のお茶会は、王室から送られてきたお手紙と共に添えられた高級茶葉がございまして。今回はそのお茶を皆様に楽しんでいただきながら、お手紙の内容を読み上げようと考えておりました」
王室から手紙と一緒に茶葉が贈られてきたことは本当だった。レオナがその茶葉に合うお菓子の選別を行なっている間に、何も知らないこの女中がいつものように夫妻へ出すお茶の用意をしていたのだ。
そしてわざと席を外していたレオナに気付かず、次々とお茶会の準備が進んで行き、結果レオナ以外の者が淹れた紅茶がアリエッタに出されてしまったというわけだ。
説明すればするほど、事態は本当に些細な行き違いで起きたものだった。笑って済ませられるような出来事でさえ、アリエッタが不快に思えばそれは誰かの首が飛ぶほどの大惨事になりかねない。
徐々に、徐々に。
クリサンセマム家は蝕まれ、悪意ある主従関係が成立していた。
今この家を牛耳るのは、一人娘であるアリエッタだ。
夫妻は「未来の王妃候補」の娘に逆らう意思をすっかり奪われてしまっている。
それもこれも全てレオナがこの家に、アリエッタの専属侍女として配属された瞬間から計画的に、認識の誤差程度に刷り込んで行った結果だった。
そして今回王家から届いた手紙こそ、アリエッタがこの家の実権を確実に握るための最終兵器となる。
「すっかり場が悪くなってしまいましたが、王家からのお手紙を無視するわけにはいきません。アリエッタお嬢様のお怒りはごもっともですが、どうかこのレオナに免じてもう一度席につき、レオナが淹れた紅茶でも飲んでご機嫌を直していただけないでしょうか」
宥めるようにレオナがそう言うと、アリエッタは不承不承といった風に小さくため息をつきながら席に着いた。その隙にレオナが今も跪いている女中に下がるよう、目線だけで指示をして、壁際に立っていた女中二人が慌てて手を差し伸べる。
泣きながらもずっと「申し訳ございません」と繰り返しながら、濡れた髪から紅茶が滴り落ちる。女中の額にはうっすらと火傷の痕が残っていた。
そしてその火傷の痕を、アリエッタも見逃さなかったらしい。か細い声で、しかしはっきりと。すぐ隣で退場しようとしている女中にも聞こえるように囁いた。
「火傷するほど熱い紅茶を、この私に飲ませるつもりだったのかしら。信じられないわ」
女中の顔色がさっと青ざめる。何も言い返せないまま、彼女らはそそくさと退室していった。
しん、と場が静まり返る。全員が俯いている中、アリエッタはレオナが淹れ直した紅茶をすすると、ご満悦といった微笑みを浮かべて「うん、美味しい」と一言。さっきまでの地獄のような時間が嘘のように、アリエッタはクッキーを上品に頬張る。
「で? 王室からお手紙って、どんな内容なのか聞かせてちょうだい」
「わかりました。ただ今、読み上げさせていただきます」
レオナは淡々とした調子で手紙の封を切った。本来ならば家の主はベルドラド・クリサンセマムであるのだが、王家から届いた手紙はアリエッタ宛てに送られている。
つまり手紙の所有者はアリエッタであるため、主人だろうが夫人だろうが、誰も何も文句を言う筋合いはなかった。
おおよその定型文を割愛しながら文章を読み進めていくレオナのツリ目が、本題の部分でさらに鋭さを増す。その部分を読み上げる際には、レオナの声が幾分か低く、一文一文確かめるようなゆっくりとした速度になっていた。
「……アリエッタ・クリサンセマム嬢と、我が息子ランドルフ・アンデシュダリアとの婚約を考えている、と」
「な……っ!?」
「お、王太子殿下との、ここっ、こっ………婚約に関する内容ですの!?」
すぐさま手紙の内容に食いついて驚愕し、真っ先に声を上げたのは当然夫妻だった。
しかし他の者、執事や女中もまた驚きを隠せないでいる。ここにいる全員が、アリエッタという少女の「本性」を知っているからだ。
誰もが羨むほどの美貌の持ち主、それに加え全ての科目において成績優秀。魔力値の高さから高位の魔法使いとなる才能も持ち合わせており、淑女としてのマナーも完璧にこなす貴族令嬢。
しかしその実態は美少女の仮面を被った悪魔、アリエッタの悪辣さは周囲に害を及ぼしているにも関わらず、誰も彼女の暴虐を止められない。
アリエッタは自身に向けられた非難を饒舌で躱し、彼女が悪事を働いたという確かな証拠を残さない。言った言わないの問答で終わらせ、最終的には彼女の秘密兵器である侍女レオナが全てを片付けてしまうのだ。
アリエッタの悪行三昧は日に日にエスカレートし、もはや誰一人として彼女のご機嫌を損ねようとは思わなくなってしまった。友人、知人、教師陣はおろか実の両親でさえ、アリエッタの顔色を窺い、彼女の仕打ちが自分に向かないよう配慮して生きることを余儀なくされていた。
そんなアリエッタ嬢が、アンデシュダリア国で実質、次期王位継承者となるランドルフ王太子殿下の婚約者に選ばれるかもしれない。
これまでのアリエッタの所業を見て来たクリサンセマム家の人間ならば、それが如何に無謀でとんでもない決断か。火を見るより明らかだ。
ハラハラとした目が、一斉にアリエッタに注がれる。
当の本人は優雅に紅茶をすすり、ことりとティーカップを置いてにっこり微笑んだ。
「王太子殿下とのご対面ですが――」
レオナが淡々とした口調で予定を組んでいく。そこに両親の意見は不要、とでもいうようにアリエッタ本人とどんどん予定を進めていった。
「王太子殿下とお会いできるなんて、夢のようですわ。失礼のないよう、今からでも準備をしておいた方がよさそうね。レオナ、部屋に戻るわよ」
「かしこまりました、お嬢様」
「お父様、お母様。王家の方々に失礼があってはいけませんから、ご対面の日に他の予定を入れないようにしてちょうだい。絶対にね」
「あ、あぁ……。わかったよ、アリエッタ……」
「そうね……。他の予定も全部、断りの連絡をしておくわ……」
アリエッタを先頭に、颯爽と退室していく。ぱたりとドアが閉め切られたと同時に、全員が安堵の息を漏らす。肩に力が入っていたせいで、全身が強張っている。
ようやく普通にできると思った女中が、テーブルの上を片付け始めた。執事は困惑したような表情でこの家の、自分の本来の主人に声をかける。
「ベルドラド様、本当にこれでよろしかったのでしょうか……」
「元よりその覚悟のつもりだった……」
嬉しい結果のはずなのに、肩を落としながら吐露するベルドラド。
ジュリエも同じ気持ちなのか。片付けられていくテーブルの上をぼんやりと眺めながら、これまでの年月を思い返す。
「自分の娘が王妃候補となったその日から、我々はアリエッタを甘やかしすぎたのかもしれない。誰よりも立派な淑女となるように、様々な習い事をさせ、恐らく他の貴族令嬢とはまた違った英才教育の日々だったと思う」
「でもそれは侍女のレオナが全て指導していましたわ。アリエッタもレオナには随分懐いていたし、内気だったあの娘がどんどん自我を発露するようになって、……喜んでいたはずなのに……」
「どうして、こうなってしまったのか……」
長期間に及ぶ洗脳を、誰も疑問に思わない。そうなるようレオナが少しずつ仕掛けていったおかげで、自分たちの常識がすでに常軌を逸していることにすら気付かない。
全ては侍女レオナがクリサンセマム家に来てから始まったことなのに、それに誰も気付こうとしない。意識が向かない。違和感が働かない。洗脳とは、そういうものなのだ。




