第9話 選択する意志、歩き出す足
──目が覚めたとき、そこは見覚えのない天井だった。
白く、静かで、ほのかに薬品の匂いがする。
視線を横にやると、医療機器のランプが規則正しく点滅していた。
(……ここ、は……)
記憶が少しずつ、逆流するように戻ってくる。
歪んだダンジョン。崩れた仲間たち。異形の怪物。そして──
(……助けられたんだ、俺……)
その瞬間、脳内にノイズのような声が入り込んだ。
『意識の回復を確認。生体信号安定。適応率──現在:10.0%。前回比+7.9%。』
「……十分……上がってるな」
『戦闘時の極限行動により、適応値が大幅に上昇。
あなたの神経応答は、より戦闘に最適化されています』
凪人はうっすらと眉をひそめる。
(……少しずつ、壊れていく感覚。なのに──怖くない)
静かにベッドのシーツを握った、そのとき。
「──起きてる?」
ドアが開いて、柔らかな声が響いた。
金色の髪が揺れる。
病室の白に溶け込むような光をまといながら、少女が静かに入ってくる。
ドアが開いて、柔らかな声が響いた。
金色の髪が揺れ、光の中から一人の少女が現れる。
凪人の視線が、無意識にその姿を捉えた。
「……あかりさん……でしたっけ?」
声はかすれていたが、しっかりと届いていた。
少女──神谷明璃は、静かに頷いて微笑む。
「ええ。改めて──神谷明璃。新城異能高等学校の3年。銀鷹連所属のプロ冒険者よ」
凪人はわずかに目を見開く。
「同じ……学校、だったのか」
「驚いた? まあ、学内でもあまり顔出してないし。
それに、あなたの名前もデータベースにはなかったから」
明璃は凪人のベッド横に立ち、表情をやわらげる。
「あなた……無茶をしすぎたわ。あんな怪物相手に、よく持ちこたえた」
「……怪物、か。あいつは──何なんだ?」
「わからない。今までの記録にはないわ。
あんなモンスター、見たこともない……。危険度も分類不能。
対応が一歩遅れてたら、私でも止められなかったかもしれない」
そう言って、明璃は軽く拳を握る。
その指先に、一瞬だけ光の弦が瞬いた。
「どうして、あそこに……?」
「偵察任務の帰りだったの。偶然、ダンジョンの異常値を拾って。
“嫌な予感”がしたから、協会に連絡する前に急行したの」
凪人は目を閉じて、小さく吐息を漏らす。
あのとき、誰かが来なければ──今ここにはいなかった。
「……助けてくれて、ありがとう」
「むしろ、こっちが驚いたわ。あなた……すごかったもの」
凪人はほんの少し視線を逸らす。
「……すごいことなんて、何もしてないよ。俺、倒すこともできなかったし……」
「でも、守った。立っていた。
……あれだけの相手に、ね」
明璃はふっと微笑んで言った。
(……この人、強いだけじゃない。ちゃんと見てる)
明璃が、ふと表情を曇らせた。
「……それと。伝えなきゃいけないことがあるの」
彼女は目を伏せ、静かに言葉を続ける。
「ダンジョンで生き残ったのは──あなたと、あの三人だけだったわ。
他のFクラスの子たちも……護衛の冒険者も、全員……」
(……そう、か)
わかっていた。
けれど、改めて口にされると、胸の奥が冷たく沈んでいくのを感じた。
「搬送班が到着した時には、もう──」
「でも、あなたはまだ……生きていた。
意識はなくても、立っていたのよ。」
凪人は少しだけ視線を落とす。
「……たまたまだよ。そういう“位置”にいただけだ」
明璃はそれには何も言わなかった。ただ、小さく笑ってから立ち上がる。
「しばらく療養して。それが終わったら……訓練でも付き合ってあげる」
「え?」
「あなた、才能あるわ。けどそれ以上に──
“理由”を持ってる人間の目をしてた」
そう言って、明璃は静かに歩き出す。
その背には、淡く光る“コード”のような粒子が一筋、尾を引いていた。
「またね。後輩くん──」
そう言って、扉が静かに閉じられた。
***
明璃が病室を後にし、再び、静寂。
聞こえるのは、電子音と自分の呼吸音だけ。
ベッドにもたれながら、凪人はそっと手を伸ばした。
指先が宙をなぞると、淡い粒子が空中に集まり、ホログラム端末が静かに展開される。
それは──Orisの補助によってのみ表示される、個人専用のインターフェース。
この世界にも異能者向けのデバイスは存在する。
だが、そこに表示されるのはごく基本的な情報だけで、
ここまで詳細かつ直感的なステータス表示は存在しない。
“この視界”は、再構築された現実の中で《例外》とされた──
綾瀬凪人、ただひとりにだけ許されている。
表示された情報に目を通す。
適応率:10.0%
異能:未分類兵装制御型
所属:Fクラス(仮在籍)
──存在はある。でも、輪郭が曖昧だった。
「なあ、Oris。俺は──これからどうすればいい?」
返答は、数秒の沈黙を挟んでから。
『“どうするか”を選択できるのが、あなたの特権です。
再構築の影響を受けていない、唯一の“意志”ですから』
「選べる、か……」
自分には、なにもなかった。
過去も、履歴も、信頼も、力も。
けど今は──ひとつだけ、ある。
(生き残った)
それだけは、誰にも否定できない。
ゆっくりと立ち上がる。
体の奥にまだ痛みは残っていたが、それでも立てた。
『行動可能範囲、制限なし。肉体強化値、基準を超過中』
「じゃあ……まずは歩くよ。どこかへ」
どこへ行くのかはわからない。
でも──歩く理由なら、すでにできた。
「もう二度と、誰も死なせないように。……俺は強くなるよ」
病室のドアを開けて、一歩、踏み出す。
その背中に、Orisの音声が、かすかに寄り添った。
──明璃が病室を後にし、また静寂が訪れる。
けれど、それは長くは続かなかった。
ノックの音。
次いで、病室の扉がゆっくりと開く。
「凪人──!」
一番に飛び込んできたのは、ゆうまだった。
その後ろから、玲奈とカズキも続く。
「よかった、ほんとによかった……生きてた……!」
「っ……助けて、くれて……ありがとう……」
玲奈は目元をぬぐいながら、かすれた声を絞り出す。
カズキも、どこか真剣な表情で言った。
「お前がいなかったら、俺ら……全員、あそこで死んでた。
……マジで、ありがとう」
凪人は、それに少しだけ視線をそらして言った。
「いや……俺は、なにもしてないよ。
倒したのは──あの人だ。俺なんか、途中で潰されかけてただけだ」
「それでもさ、凪人があの時……立ち向かってなかったら、
俺らは、誰かが来る前にやられてた」
「……っ」
ゆうまの言葉に、凪人は何も返せなかった。
その代わりに、小さくうなずいた。
(次は、俺が……絶対にみんなを守ってみせる)
──その言葉は、口には出さなかった。
けれど、心の奥で、確かに刻まれていた。
ふと、ゆうまがぽつりとつぶやく。
「……俺らも、もっと強くなるよ」
「うん……また、みんなで帰れるように……」
玲奈が小さく頷く。
「俺もだ。次は、逃げたりしない。……あの時は、ごめん」
カズキの言葉に、凪人はわずかに首を振った。
「……謝ることなんて、ない。俺も──怖かったから」
その短いやり取りが、妙にあたたかかった。
(俺はまだ、立てる)
心の中で、静かに誓う。
(次はきっと、もっと上手くやる。……必ず、守る)
***
──場所は、東都第七ダンジョン跡地。
陽が落ちきり、辺りは闇に包まれている。
その高台の上。
黒いフードを目深に被った男が、静かにダンジョンを見下ろしていた。
瓦礫の上に立ち、動かぬ目で“崩壊”の痕跡を見つめている。
「──ようやく動いたか、“拒絶因子”」
その声は、深く静かで、どこか皮肉めいた響きを帯びていた。
男の掌には、旧式の端末。
その画面には、凪人の適応率とノイズ混じりの記録が浮かんでいる。
「Oris……お前は、また選んだのか。
それとも、“それ”にすがっただけか……?」
風が吹き、フードの奥の顔が一瞬だけ揺れる。
が、その表情はなお闇に覆われたままだ。
「だが、もう止まらない。
再構築された世界は、いずれ──壊れる」
男は端末を閉じ、ひとつだけ呟いた。
「進め、綾瀬凪人。……お前がどこまで辿り着けるか、見せてもらおう」
そしてその姿は、吹きつけた風の中に、溶けるように消えていった。




