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 生まれてこのかた、私、鈴木すずき陽向ひなたは、二つ上の兄である鈴木すずき太陽たいように、字義どおり全人生を以って甘えてきた。


 記憶にある限り、殴られたり、声を荒げられたり、そもそも喧嘩らしい喧嘩をした記憶がないように思う。

 いついかなる時も、"味方"であると理解したのは物心がつく前だったのか後だったのか。


 でも少なくとも、誰かに対して怒りを(あら)わにしている兄を見るのは、初めてだということ。

 そして、それ故にどうしていいかわからないこと。

 また、責任が私にもあることから逃れられないということ。


 要するに、わたしは生まれて初めて、ただ唯一信頼している肉親である兄に、叱られているということだ。


「とりあえず経緯(いきさつ)はわかった。感情的には理解出来なくもない。ただ、じゃあしょうがないねとなるかと言われればそれは別の問題。わかる? 八木沼(やぎぬま)さん」

「はい」

「貴女、昨日の今日どころか、今日の今日だよね。何か思うところはなかったの?」

「いえっ! いや、はいっ! その、ごめんなさい」

「謝罪はいい。元よりそのつもりで来たのか、って訊いてる」

「それは、その……」


 助け舟を出すべきなのは私。いや、そもそもこの現状は私が作り出したと言ってもいい。

 でも夕子はそれを言わない。

 いや、言えない。


 負い目どころかやらかした今日の今日である。できるわけがない。それに恐らく本当に下心もあったのだろう。ただ、残念ながらというべきか、兄はちゃんと叱ることをしなかった。本人もなんか赦されたといった感覚だっただろう。


 そして間の悪いことに、私が服なんか持って来いと言ったもんだから、彼女の母親は勘違いをしてニコニコ送り出してくれたらしく、本当にしようのない話だ。それでも彼女はネカフェにでも泊まると本気で言っていたのだ。


 それを泊まって行けばと最終的に言い出したのは私。だからこのことに関して、私が責任を持つべき。

 でも、本当に、本当に何をしても怒らない兄が、他者に怒気を(あらわ)にしていることに対する根源的な恐怖に、躰どころか、心すらも止まりそうになる。

 もしかして、怒らないのは本当に私に対してだけだったのか。他の人には怒ったりしていたのだろうか。ただ知らなかっただけなのか。


 私は。ひなは。


 ふと兄の目線が夕子の隣で土下座している私のうなじに向く。

 そこまで考えたところで、自分が(ひざまず)き頭を垂れていることに気が付いた。


「陽向。どうしたの」


 私の大好きな優しい声なのに、少し厳しい感情が乗った、いつもと違う声。それでもあらんかぎりの力を振り絞って喉を震わせる。


「ごめん、なさい。お兄ちゃん」

「なんで陽向が謝るの」


 ただ、問い返されているだけ。そう。責められているわけではない。口を(ひら)け陽向。


「私が、ひなが提案しました。そういうことなら泊まっていけば、と」


 言った。言えた。えらいよ陽向。これで大丈夫。お兄ちゃんなら、私のお兄ちゃんならこれで(ゆる)してくれる。

 ふと視線が私から外れる。もう顔を上げてもいいかな?


「八木沼さん、これはあなたが言わせたのかな?」


 ……なんでっ!? ねぇなんで!! もうわかんないよっ! もうムリ! こわいのいやだ! ねぇなんでなのっ


「うっ、うっ、っなぁんでっ、もうやだぁ!」

「っ! ひな……」



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