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空の果ての島の物語  作者: 丸太
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始まり


 緩やかだった羽ばたきが急に不規則なものに変わる。風の音ばかりを聞いていた鼓膜がピィ、ピィと落ち着かない時に出す鳴き声を捉える。

「どうしたの」

 リィンは手綱をまとめて片手に握り直すと、眼前の赤茶色の鱗が連なった首筋をポンポンと撫でた。

「キュルルル」

 進むのをやめた“馬”が首を捻って、湿った土の色の瞳でリィンを見つめる。ピィピィと鳴く“馬”を見つめ返し、リィンは「えぇ?」と声をあげた。

「組合に“牙”が二頭も来てる? 何の用かしら」

「ピピィ、ピィ」

 知らないよ、と言いたげに“馬”は首を振る。「そうね、あなたに聞いてもわからないわよねえ」と返されてぷすんと鼻を鳴らした“馬”は、再びピィピィと鳴いた。

「そうねえ。ちょっと遠回りだけれど、島の端に降りましょうか。そうしたら今日はもうおしまいにしましょうね」

「グルゥ」

 うんうんと頷いた“馬”が再び緩やかに羽ばたく。陽の光を柔らかく反射する鱗を眺めながら、リィンは降りる場所を指示すべく手綱を繰った。


・・・・・


 リィンが降り、鞍を外して距離を取ったのを確認した“馬”は、あっという間に空に吸い込まれていった。

「うーん、怖がりなのは直しようがないからねえ……」

 自身を包む布、その懐から樹皮紙を出し、先端を尖らせた黒炭で『臆病につき“牙”と鉢合わせになるようなことだけは避けるべし』と書き込んでから仕舞い込む。

 鞍と手綱を纏めて背負って早足に歩く。暫く歩くと、とぷんと膜を潜る。ずっと体を叩き続けていた強風がようやく止む。砂埃を吸わないように引き上げていた口元の布を下ろして、リィンは大きく深呼吸をした。ようやく今日も生きて帰って来られたという実感に、無意識に強張っていた身体から力が抜けていく。抜けた力の分だけ歩みを遅くしてぶらぶら進んでいると、視界の先、組合の方から誰か駆けてきた。

「リィンさん!」

「どうしたの、オィク。あ、丁度いいわ、これ今日面倒見た“馬”の報告書」

 気の抜けた返事と共に報告書を差し出され、駆け寄った青年は「あ、はい」と素直にそれを受け取った。

「じゃ、じゃなくてですね。リィンさん、鞍は僕が預かるので今すぐ組合に戻ってください。竜団の長がお待ちです」

「……はい?」

「そんな顔されましてもお……」

 心底訝しげな声に、オィクは布の奥でしょんぼりと眉を下げた。

「取り敢えず早く戻ってください、お願いしますよお」

「はー………分かったわ。鞍をよろしくね」

 リィンは後輩のお願いに渋々頷くと、彼に鞍を預けて、藍色の布を翻して走った。


・・・・・


 全力疾走して、組合の玄関にたどり着く。ひんやりと冷たい石壁に手をついて息を整えていると、ふっと傍に影が差した。

「大丈夫か」

 滑らかな男の声がするりと耳に入り込んでくる。顔を上げる余裕もなく呼吸を繰り返していると、影の主は「大丈夫か」ともう一度尋ねた。

「ああ、ええ、なんとか……」

「そうか。急かしてしまってすまない」

 何処までも穏やかな、膜の中や低地にだけ吹く微風のような声が続けて、リィンの背に大きく温かな掌が添えられる。繰り返し優しく撫でられるとすぐに呼吸が整って、さらに続けられると眠気がやってきた。

「あの、もう大丈夫ですので」

 狭まり始めた視界を無理矢理広げながらリィンが言うと、すぐに掌が離れた。

「…‥余計な手助けだったか」

「いえ、助かりました。普段、全力で走ることなんてないものですから、すぐ息が上がってしまって」

 はーっと大きく息を吐いて、緊張を抑えて、髪を覆っていた布を下ろして顔を上げる。憂いを帯びた新月の夜の濃紺と目があって、本当に竜団の長だ、とリィンは内心呟いた。

「初めまして、“牙”と共にあり、束ねるお方。先程の親切に心からの感謝を。私はリィン、組合の教え手のリィンと申します」

 左腕の布を捲り、二の腕から指先に施された晴れた空の色の刺青を見せながら軽く頭を下げる。小さく頷いた竜団の長も右腕を捲って同じ色の刺青を見せた。

「初めまして、教え手のリィン。突然の訪問を謝罪する。また、先程の私の行いが貴女の助けになった事を嬉しく思う。私はノヴァ、不肖の身ではあるが“牙”とその乗り手達の長を務めている」

 緩やかに伸ばされた、三日月の淡い白金の髪が礼に合わせて揺れる。顔を上げたノヴァは目尻を柔らかく下げてリィンを見た。荒い気性が多い“牙”とその乗り手達の長とは思えないような穏やかさをリィンが意外に思っていると、外から何かがぶつかり合う大きな音と揺れと、ピャアという鳴き声が響いた。

「喧嘩!?」

“牙”同士の喧嘩なんて洒落にならないと顔色を悪くするリィンをノヴァは「行こう」と促した。

「喧嘩ではないから、そこは問題ない。ない、はずだ。強いて言うなら躾だからな」

「躾?」

「ああ。…………長のグジン殿が巻き込まれていなければ良いが」

 小さく溜息をついたノヴァが夜更けの森の暗い緑の布を翻す。リィンは頷いてその後を追った。


・・・・・


 ギュウ、ギャウ、と眩い陽射しを集めた純白の鱗を輝かせた“牙”が黄昏の紫の翼を広げて怒りの声を上げている。その怒りの先はピィピィと鳴く、純白の“牙”よりも二回りは小さくまだ角の生えていない幼い“牙”に向けられていた。

「ピィー、キュウゥ」

 青鈍と白が混じった鱗の小さな“牙”は、夜闇の青黒い翼で自身の視界を覆って哀れっぽく鳴いている。純白の“牙”は鮮やかな朝焼けの橙色の目を三角にして唸り続けている。焦って駆けつけたものの眼前の光景に妙に冷静になったリィンが「怒り方が親だなあ」と思っていると「いやあ、ビックリしちまった」と地面に近いところから呑気な声が上がった。

「グジン殿、怪我はないか」

「んにゃ、あっても擦り傷です。ノヴァ殿の手を煩わせるようなもんじゃありませんよ」

 そう言って差し出された手を断り、グジンはひょいと立ち上がった。身に纏った夕焼けの茜色の布についた土埃を叩いて落とす。若芽色の目を細めた大男は、刈り上げられた暁の金色の髪をガリガリとかいた。

「全く、あの子供の“牙”ときたら。俺を見た途端に目を輝かせてどつきに来たんですよ、俺がもっとヒョロかったら吹っ飛んで壁に叩きつけられていたかもしれません」

「すまなかった」

「いえいえ、悪気があってやったんじゃないんだから構いません」

 ひらひらと手を振ったグジンは、「あの子供の“牙”を組合で預かって欲しいんだってよ」とリィンに言った。

「あの子を? 此処で? なんでまた。“牙”を育てるのは大体竜団がやることでしょう」

 部族内において魔獣と戦い、討伐する役割を担う竜団は、ほぼ“牙”の群れと同義だ。驚きに目を瞬かせるリィンに、「それはそうなのだが、少し事情があってな」とノヴァが言った。

「見た方が早い。何せこれは説明しても中々信じて貰えないだろうからな。ーーブラン! ブラン!! あんまり叱らないでやれ、可愛いカリヨンが枯れ草のように萎れてしまうぞ!」

 呼び掛けを聞いたブランが渋々といった様子で唸るのを止める。

「ピィー!!」

 助かった、と言わんばかりに鳴いた小さい“牙”ーーカリヨンがノヴァを見る。ブランと同じ橙色が嬉しそうに輝く。のそのそとやってきた青鈍と白の“牙”は、その鼻面をノヴァに押し付けようとして、丸い瞳にリィンを映した。

「キューイ?」

 だあれ、とまだまだ子供らしい声が鳴く。

「彼女はリィン、これから君の教え手になる人だ」

「えっ」

 ノヴァの紹介に「そうなんですか!?」とリィンが返すより前に、カリヨンが嬉しそうにキュウキュウと鳴いた。

 長い鼻面があっという間に眼前に迫る。長い腕がリィンの腰を抱いて強く引いた。

「プギュウッ!?」

 “牙”にあるまじき間抜けた声をあげたカリヨンが鼻面を地面に突っ込む。飛び退いて避けたグジンが「おい!?」と声をあげた。

「ええとですね、ノヴァ様」

「様、は不要だ。私は部族の長ではないからな。……なんだろうか」

「あ、ではノヴァ殿とお呼びしますね。…………あの、カリヨンは本当に“牙”ですか」

 抱かれたまま尋ねるリィンに、ノヴァは困ったように苦笑した。

「間違いなく“牙”だ。ブランのーー群れの長の子供だ。とてもそうは見えないと思うだろうが」

「えーと……」

 そうは見えないだろうと言われてそうですねと返すか、腕を解かれたリィンは迷った。顔を上げてふるふると首を振っているカリヨンを見る。カリヨンは視線に気付いたのか、リィンを見て喉を鳴らしている。長い尾が揺れている音がする。大きな身体から上機嫌が溢れていた。

「“犬”か“虹”だと言われた方がまだ違和感なく受け入れられますね」

 眺めた結果を正直に言ったリィンに、ノヴァは「だろうな」と静かに頷いた。

「あまりにも懐っこいです。それなりに長い間教え手をやっていて、もっと幼い“牙”も見ていた事がありますが、ここまで初対面の存在にも友好的な“牙”の子は見た事がありません。恐らくですが、“牙”らしい獰猛さや闘争心もないのでは」

「同感だ、無邪気で警戒心がなさすぎる。“虹”の赤ん坊並みかもしれないぞ」

 リィンに続いてグジンも己の感想を述べる。それにも頷いたノヴァは、「だからこそ貴方方に預けたい」と真剣な声で言った。

「カリヨンは“牙”でありながら“牙”に向いていなさすぎる。竜団に置いておいては却って辛い思いをさせてしまうだろう。良き隣人を苦しめるようなことはしたくないのだ。……頼む」

 思い詰めた表情で頭を下げるノヴァを見て、「ピーイ?」と首を傾げて鳴いたカリヨンも頭を下げる。人の行動を分からないなりに真似をしている姿は無邪気で微笑ましく、それ故に彼の種族の気質とは相容れないものだった。

「リィン、頑張れそうかー?」

 グジンが敢えて軽い調子で言う。

「まあ、なんとか頑張ってみましょう」

 リィンも軽く返すと、ノヴァがぱっと顔を上げた。濃紺の目が嬉しそうに緩む。

「ありがとう、よろしく頼む」

「キュウ!」

 一緒になって鳴いたカリヨンがそわそわと体を揺らす。直後、挨拶がわりにどしんと鼻面を押し付けられたリィンは、グジンに支えられながら「ま、まずは力加減を教えないと……」と呻いたのだった。

何もかも見切り発車です

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