黒電話の乗車駅
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ごゆっくりとお楽しみください。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらに」
俺が列車の中に乗り込むと、黒い装いに身を包んだ車掌が深々とお辞儀をした。
車掌は顔立ちの幼い、背の低い少年だった。十代前半といったところだろう。
光沢のある黒色の中に、存在感のある金色の飾りがあてがわれた車掌服は、少年には似合っていない。
俺は車掌の案内に従って、列車の中を進んでいく。
濃く艶のある木材を基調とした列車の内装は、高級旅館のような雰囲気を放っていた。水晶を薄く伸ばしたような天井の照明を木枠が囲み、床や壁がその光を反射している。ケヤキとヒノキを一緒に燻しているような、どこか渋い香りがする。
時折、何かが倒れるような小さな物音が聞こえるくらいで、列車の走行音もまったく聞こえなかった。
座席は、赤をベースとした一人用のソファーが、テーブルを挟むように向き合って設置されていた。小部屋のように仕切られているため、進行方向に背を向けて座っている客の姿しか見ることはできなかった。
乗車していたのは、淡い着物を着飾った、艶のある女性や、営業職を務めているような、眼鏡をかけたスーツの男性など、様々な出で立ちの客だ。
乗客たちは、時代性や地域性が何一つとして統一されていない。それもそのはずで、彼らが生きていたそれらはまったくもってバラバラなのだ。
東京に住んでいた者と、江戸に住んでいた者が同じ車内にいる可能性もある。
「こちらにお座りください」
三つほど車両を移動したところで、車掌は足を止めて一つの座席を指した。
他の座席との違いはまったく分からないが、ここに座れと案内されれば、そこに座るほかない。
俺はソファーに座る。油断すると抜け出せなくなってしまうほど、体が深く沈んだ。
「各車両の後ろに置かれてる黒電話には、お気づきになられましたか?」
俺は車掌の言葉に無言で頷く。車両の後ろにはどこか安っぽい木棚があり、その上にはそこの無い穴のように黒々とした黒電話が置いてあった。
「もし、黒電話から呼び鈴が聞こえた時は、お取りになってください」
「俺が? 近くに座る人が取ればいいじゃないか」
「呼び鈴は、呼び出された人にしか聞こえませんので」
「どういう事だ?」
「戻ってほしい、という他者の叫びでございます」
「叫び?」
俺の言葉には答えず、車掌はお辞儀をして運転席の方へと去っていく。去り際に車掌が服のポケットからスマートフォンを取り出した。
雰囲気に似合わないその光景を、鼻で笑い飛ばす。
簾を開けると、大きなガラス窓から凄まじい速度で流れ去っていく景色が見えた。夏の田んぼを飛び交う蛍のように、聖夜を彩る冬の電飾のように、小さく色鮮やかな丸い光が、闇の中に浮かんでいた。
闇を隔てるガラスに、自分の姿が映り込んだ。目尻に皺の出来始めた、三十歳のおじさん顔だ。その瞳には憂いが映っている。
俺は肩肘を付いて、目を閉じた。
例の黒電話が何を意味しているか、薄々感づくものがある。だが、鳴ったとしてもそれを取る気にはなれなかった。
ご愛読ありがとうございます。
続きます。