目覚めた少女とプロローグ
眠い、と脳裏によぎって目が覚める。
なぜこんなに眠いのか。昨日はそんな遅い時間に眠ったものだっけ? なんて動かない頭で考えながら重い瞼を上げると目に入る眩しさに再び瞼が降りる。
(眩しい……)
先ほどの眠気なんて吹き飛ぶほどの眩しさの暴力。反射的に手で光を遮りながら瞼を上げると手の間から青が覗き込んでいた。
(あっ、そっか)
それで自分の居場所を理解する。私が何をしていたのかも。
(じゃあ私は泉の中に沈んで行くはずだったけど……)
思考しながら反射的に起き上がろうとして地面に手をつく。
だが手に伝わってきたのは土の押し返してくるような感触ではなく清々しい冷たさだった。
(水――?)
どうやら私の寝ていた場所は水の上らしい。てっきり儀式の後沈んだ私は波に流され打ち上げられたものだと思ったがそうではないようだ。
祝詞の水上歩きが出来ていることは不思議だがならここは儀式をした泉中央なのか――だがそれだと私の“記憶”と合わない。
疑問を解消するため体を起こして辺りを見渡してみる。ここが泉なら陸地が見えるはずだが――
「なんだこれはぁ――」
つい間抜けな声が口から飛び出た。それもそのはず私の周りは全て青だったのだ。
空の青と泉の水の青それが地平線まで続いている世界。私の儀式のせいで泉の地形が変わってしまったのだろうか。いや、儀式にそんな力はなかったはず。だったら――
「――まさか――死後の世界や精神世界とかいうやつじゃないですよね?」
まさかと思いながらつい口に出してしまう。いや、やめよう。とりあえず自分がどこにいるか確認しなくては。
思考から逃げるようにその場に立ち上がる。水上歩行の祝詞はちゃんと聞いているようで泉の上を歩くのは問題なさそうだ。
「影?」
水上歩行の祝詞の調子を確かめるために足元を見るとそれに気付いた。私の回りをぐるぐる回る影。影の正体に寝ているときに気が付かなかったのは私が日差しを手で遮っていたからだろう。
なんだろうと日差しに目を細めながら空を見上げると黒い物体が太陽の周り、私の上をぐるぐると旋回していた。
「鳥……かな?」
逆光のせいでシルエットしか分からないが大きく翼を広げ鋭利な先端を持ったものは鳥であろう。こういう時、翼を持つ生物に明るくないのが露骨にでるなぁと思考が本題からずれていると鳥? は自身が見られていることに気付いたのか旋回を止めて地平線の方へと飛んでいく。その姿を眺めていると鳥はまた移動した先で旋回を始めた。しかし今度はぐるぐると〇を描くようでなく何かを待っているかのような暇そうな八の字旋回になっている。
「もしかして……ついてこいってことなのかな」
直感でそう思う。確かに周りに目印もない地平線まで続く青の中闇雲に動くわけにもいかない。
なら渡りに船だ。あの鳥が先導してくれるならそれはいいことだろう。
特に迷うこともなく私は鳥の飛んでいる方向に歩みを進める。
鳥の先導にしたがってしばらくしないうちに陸地が見えてきた。生い茂る木々に活力のみなぎる緑色の山々だ。この泉は山々に囲まれた大きな“くぼみ”に当たるのだからどこに向かっても同じような景色に当たるのだが――
「なんか――来た時より豊かになってる?」
儀式を行うときに泉の中心から見た印象ではもう少し寂しいというか、疲れた印象のあった山々がいまでは春を迎えたように芽吹き、生命の息吹に満ちている。
――瘴気を祓ったのだから生物に活力が戻るのはわかるけど――儀式ってこんな即効性のあるものだったっけ?
陸地に上がりちらりと頭上の鳥に目をやると鳥は急降下を始めていた。ていうかこっちに向かってきてる?
「わっ、うわわっ!?」
慌てて身を反らすと鳥がすぐそばを横切っていく。遅れてくる風が法衣をはためかせる中、横切った鳥を目線で追うと速度を落としてくるくると私の周りを飛んでいた。その姿は獲物を狙うハンターというより何かをねだるような動きだ。
「……な、なに?」
困惑から鳥に尋ねるなんてことをしてしまったが鳥の方は理解したのか「クェ」と一鳴きすると着地して今度はピョンピョンと私の周りを飛び跳ねる。
鳥が地上に降りてきたので私はようやくここまでの水先案内人の姿をしっかり見ることが出来た。
鳥の姿を一言で表すなら“凛々しい”と言う一言が似合うだろう。獲物を見逃さない為の鋭い目つきに黄色に先端が黒がかった鋭い嘴。成人男性の肩から下はあろう大きな体躯にそれを支えるための屈強な足と爪。体毛は首から上が白で下が茶色、羽は白と茶色のコントラストで彩られており広げたらさぞ迫力があるだろう。
襲われたらひとたまりもないだろう屈強な空の王だが不思議と恐怖はなかった。
(ていうかなんか人懐っこいし)
くるくると私の周囲を回っている鳥はなんというか、可愛い。
ピョンピョン飛び跳ねながら私を覗き込むように身をかがめたり羽を大きく広げてはすぐ閉じたり。
じーと見つめてきては「クェ」と鳴いたりしている。
その姿は何かを伝えようとしているようにも興味があるものを観察しているようにも見える。
「クェ」
様子をみていると近づいてきた鳥が袖の袂をツンツンと軽く突いてきた。
「わわわ! 今度はなに?」
さっきから驚いてばっかりだなと思いながらも袖の袂に入れていた物を思い出した。
「これが欲しいの?」
ツンツンの追撃から袖を守りながら取り出したのは木の実だ。瑞々しい緑の葉の付いた真っ赤な小指大の木の実。
この泉の森に入った時、傷付いて倒れていた若い鳥を祝詞で癒したらお礼としてなのか若い鳥が手のひらに置いていった小さな木の実。治ったばかりで不器用に飛んでた鳥からのプレゼント。
この木の実は鳥の好物なのだろうか? 目の前にいる鳥は大きく、見た目肉食なのだがこの子も興味あるのかな? と思考してると私の手のひらの木の実を様々な角度から覗き込んでいた鳥は私と目線を合わせると嬉しそうに「クェ」と鳴いた。
嬉しそうに鳴く鳥が可愛らしくて微笑みを返すとなんだか“昔”に同じことがあったような既視感に襲われた。
(――あ……れ?)
既視感は“昔”癒した若い鳥が私の手のひらの中で嬉しそうに鳴く姿。微笑みを返す私――目の前の鳥と“昔”癒した若い鳥がブレて重なる。それはなんとなく“わかる”。だが“昔”と言う程の時間はたっていないはずだ。
(だってあれはほんの数刻前――――!)
そこまで思考して、反射的に振り返る。
地平線まで続く泉に活力に満ちた山々。あえて考えないようにしていた違和感が繋がって行く。
そして泉を見て思い出す。この泉が“深淵の眠る場所”と呼ばれていたことと暗く、温かい声――
『災いと幸いの中を知るがいいーー』
『――人間らしくな』
(――ああ――なるほど)
すとんっと何かが自分の中で落ちて嵌った音がした。「クェ?」といきなり振り返った私に不思議そうに鳴く鳥に視線を戻すと鳥は私を見つめている。
まだ曖昧なこともある、分からないことも、理解できないこともあるけれど、この子に言わなければならないことは決まっているから。
「ありがとう。“また”会えて嬉しいよ」
「クェ!!」
“昔”と同じく嬉しそうに鳴く鳥の姿に、私はまた微笑みを返すのだった。
――人生の最期に夢想した鳥は、どうやら、私の想像以上にうまく飛べるようになっていた。
――――
鳥に先導されて山の中を進んでいく。
生き生きとした命に満ちた木々に目移りしながらも見失わないように鳥を視界に入れ続ける。
ピョンピョンと器用に木々を避け、素早く移動しながらも私がついてきているか振り返って様子を見てくれる姿はありがたく頼もしくあった。
「クェ」
太陽の光の差し込まない、鬱蒼とした森の中をしばらく歩いていると光の差し込む木々の隙間で立ち止まった鳥が振り返って私を呼ぶように鳴く。
声に呼ばれて鳥の横まで駆けると太陽の光の久方振りの眩しさに目を細める。
「――わぁ」
眩しさに目が慣れて瞼を上げると、視界一面に草原が広がっていた。
野原を飛び跳ねる小動物にそよ風に揺れる様々な形と色の花、競うように背丈を伸ばした草たち。
そこには命の営みが溢れていた。それは戦乱に明け暮れ、瘴気に溢れていた時代には目にできなかったもの。
(やっぱり、変わってるんだなぁ)
綺麗な景色に感動すると共に、どこか、寂しい感情が通り過ぎる。
隣にいる大きくなった鳥を見て、やはり……実感する。
私にとっては数刻前までは若い鳥だったこの子は今では空の王者と呼べるほど大きくそして凛々しくなっている。
そして数刻前の出来事であるはずのそのことを私は“昔”だと。自然に思考している。
つまり私は、儀式の後、浅い眠りのような中で、ずっと生命の息遣いを感じていたということなのだろう。
その時間は、面積を広げた泉、活力を取り戻した自然、若い鳥が大きく成長しきる。そしてそれを“昔”と思う程……決して短い時間ではないのだろうと理解出来た。
(何十年って経っているんだろうなぁ)
儀式の後、人々はどうなったのだろうか。ちゃんと仲良くできてるだろうか。幸せにく暮らせているだろうか。私の知っている人はまだ生きているだろうか。
――私のことを覚えている人は――まだいるのだろうか――
ズキッ っと胸の奥が痛んだ気がした。
「と、いけないいけない」
暗く沈みかけた心を引っ張り上げる。つい感傷に浸ってしまった心を切り替えるために現実の景色に興味を移すと鳥がこちらを覗き込んでいた。首を少し傾げて下から伺うように覗き込む姿はこちらを心配してくれているように感じる。
「あはは。ありがとうね。私は大丈夫だから」
感謝の気持ちを込めて頭を撫でる。フサフサとした毛並みが手触りがよくて心地いい。
手を伸ばした瞬間一瞬だけ触ったら怒られないかな? と思ったけど杞憂だった。鳥は目を細めて気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
(ん、かわいい)
凛々しい鳥が気持ちよさそうに撫でられている姿に自然と笑顔になる。グイっともっと撫でてほしそうに頭を手のひらに押し付けてくる仕草に撫でたい気持ちがくすぐられてしばらくの間撫でまわしてしまった。大きくなっても甘え上手だ。
「はい、おしまい」
撫でていた手を引っ込めると満足したように「クェ」と一鳴きするとピョンピョンと草原を少し進んで一点を見つめる。
慌ててついて行き同じ方向をよく見てみると草原の緑の中、規則的に存在する鼠色があった。
「――道?」
鼠色の正体は平らな石を敷き詰めて人や馬車が行き来しやすいように舗装された道。街道だった。
自然の恵みが溢れる中。昔は存在しなかったはずの人工物に気分も高揚する。
――これを辿れば町や村にたどり着く。嬉しい情報にちらりと鳥を見ると鳥もどこか誇らしげに私を見ていた。決めた顔もかわいいな~。
さっそく再熱した撫でたい気持ちをなんとか抑えて街道に向かって歩みを進めると少しして鳥がついてきていないことに気付いた。
振り返ると鳥はさっき街道を知らせてくれた場所から動かずに申し訳なさそうに「クェ」と鳴いていた。
「……そっか。ここまでなんだね」
この子にもこの子の縄張りがあって、帰る場所があるんだ。
――案内は、ここでおしまい。
「ここまでありがとうね」
言葉と共に草原を風が駆け抜ける。暖かな風に吹かれ草花がゆらゆらと揺れて歌を奏でる。
鋭い瞳で私を見つめていた鳥は風が収まるとその大きな翼を広げて飛翔する。
――その姿は、かつて、不安になるほど不器用に飛び立っていた若い鳥とは思えないほど力強く。
焦がれるほど、自由な、何にも縛られないものだった。
羽ばたきの為に起こした風が肌を撫でる。色とりどりの花びらが宙を舞い景色を彩っていく。
見上げると鳥の姿はもうはるか上空。泉の上で見上げた時ほど小さくなっていた。
「会いにくるから――っ! また――っ! 会おうね――っ!!」
気付いたら叫んでいた。上空にいるあの子に届くように馬鹿みたいに声を張り上げて気持ちのまま叫んだ。
もうはるか上空だ。聞こえないと、聞こえても言葉なんて理解できないだろうと人は言うかもしれない。だけど――
「クェーーーーーーッ!!!」
空の王者の声が大空に響き渡る。自分の居場所を誇示するように、伝えるように続く大きな声。
偶然だなんて人は思うだろう。でも私は、それが自分に向けられたものだと信じた。
「――よしっ」
大空の青の中、黒の点ほどの大きさになり、やがて見えなくなった鳥の姿。その姿を目に焼き付けて私は振り返る。
向かうのは鳥の向かった先とは逆方向。街道に歩みを進める。
これからどうするのか、そもそも今が何年なのか、どうして私は目覚めたのか。
色々と尽きぬ疑問もあるけれど道はあるから。
(これからしばらくは一人旅だ)
街道の出発点、草原と街道の境目を越えて私は街道の上にたどり着く。
「よしっ。いこう!」
始まったばかりの道を、私は行く。