第一話
熊谷俊行侯爵の次男俊尚は側室の子供だったが最初の正室は娘だけを産み亡くなり継室もなかなか子供が出来ずさらに異母兄(母は別の側室)も夭折したため嫡男になった。
ところが継室は突然妊娠してしかも男児(五男)を出産してしまう。
こうなると後継者争いは熾烈になるはずだが俊尚の生母谷口敦子は数多くの子供を産んだため正室を凌駕する権力を有していた。
継室はその後何人か子供を産んだが出産で亡くなった。
継室の息子はその後継室の実家の分家に養子に行った。
敦子は既に七男三女を産んでおり妊娠中でしばらくして俊久を出産してさらに翌年淑子を出産した。
俊尚は22歳の時塩原忠篤侯爵の長女の優子(16)と結婚した。
優子は俊尚と違い正室の子供だった。
優子は三年連続で出産するが娘ばかりだった。
優子の母極子は娘しか産んでいなかったので優子は女腹だと言われた。
そんなある日俊尚は急病になり25歳の若さでこの世を去った。
わずか19歳で未亡人になった優子と幼い三人の娘は熊谷家と塩原家の話し合いで塩原家に戻った。
そして熊谷家の跡取りは八男の俊博(14)になった。
俊博の生母はやはり谷口敦子で八男ながら兄たちが夭折や養子になったため嫡男になった。
俊博はイケメンで頭も良く運動神経抜群で非常に社交的だったがやや自己中でトラブルメーカーなところがあった。
俊博は例にもれず名門の子女が通う修学院の中等部に通っていた。
当時修学院は同性愛が大流行していて血縁関係も複雑に絡み合っていたが肉体関係も複雑に絡み合っていた。
間もなく中3になった俊博は中等部の新入生を次々と犯していった。
しかしながら俊博が男だけでは満足できるはずもなく高等部に入ると中等部に入った妹の州子(母は継室)の同級生に次々と手を出してついには州子とも関係するに至った。
時間は過ぎていき26歳になった俊博は23歳の常田統子と結婚した。実は俊行の最初の正室多恵子は常田公爵家の出身で統子は多恵子の姪だった。
しかし多恵子は早死したため俊博も統子も会ったことはなかった。
さらに統子は州子の同級生で俊博と統子は昔関係したことがあった。
また統子は当時23歳だったが一昔前だったら20歳過ぎたら嫁き遅れと言われ統子はかなり嫁き遅れの部類だったが統子の世代は淫らな女学生が多かったせいか20歳過ぎても独身の華族令嬢が多く俊博の妹も20歳過ぎてから結婚していった。
統子も側室の子供だったが統子の生母八重田勝子は常田公爵が正室を亡くしたため初めて作った側室だった。
そして勝子は出産で亡くなり以降常田公爵は側室を作らず子供も正室と勝子の子供しかいなかった。
俊博と統子との間には俊毅、登茂子、冨美子、亜弥子、由奈子、俊道の二男四女が誕生した。
俊道誕生時、統子は40目前の高齢出産だった。
しかしながら俊道は両親から放置気味で俊毅から溺愛された。
だがその俊毅は何と俊道が統子の腹にいたころ俊博と関係したのだった。
統子の出産後も関係は続きある日統子は2人の秘事を目撃して家出をした。




