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走る事の意味

作者: 藍川秀一

走ることの意味

藍川秀一


 この体育館でどれほどの汗を流したのだろう。しかし、どれほど練習しようと試合になれば比べ物にならないほど疲労する。脈が早くなり、心が前のめりになっていることがわかる。重圧というものは体力をガリガリ削っていく。練習では五時間以上走り続け流けることだってできる。しかし、試合が初まれば、十分ともたないことがほとんどだ。

「試合の様に練習しろ!」

 監督は良く、こんな事を言っていた。馬車馬の様に毎日休みなく走らされた記憶が昨日の事の様に思い出される。生徒を走らせることで快楽を覚えているのではないかと勘違いするくらい悪魔の様な監督だった。バスケ部であったのは間違い無いのだが、思い返せば思い返すほどに、走っていたことしか思い出せないのはなぜだろう。

 陸上部より走っていると周りに言われることが多かった。

 入部したての時は余裕の様なものはまるでなく、ただ練習について行くことだけで必死だった。食らいついていけば、何かが変わるとそう信じて、走り続けた。結局のところ自分の中で何が変わったのかは分からない。しかし、試合が来れば来るほどに走っていた事の意味を理解する。時間が過ぎて行くにつれて足というものができあがっていく。親父に良く言われた戯言の様に後からじわじわと自身に浸透して来る。走り続ければ、ほんの少しだが、前より走れるようになる。実感を感じるのは本当に時間が必要だ。一年から二年、年単位の時間がかかる。自分では気づくことは難しい。さらに、モチベーションを高く保って続けていくことは本当に大変なことだ。自分は今よりも前に進んで行けると信じて今を生きることは本当に辛い。結果というものは努力の量とイコールで必ず結ばれるわけではない。報われない事の方が多いと言われている。

 教育というものはどうしてか、希望よりも絶望の方を先に教える。絶望を現実という言葉に言いかえて多くの人へと伝えている。

 しかし僕は、走る事の意味を知っている。

 前に進んで行くと言うことを少しだが知っている。

 他人から見たら、微々たる一歩。自分から見ても他愛のない一歩。だが、確かに前へと進む。

 多くの大人がいう現実という戯言より自分で経験したことの方が遥かに信頼に値する。

 何かをすれば、前に進むというのなら、何かをやり続けるしかない。

 努力は報われるわけではないらしい。しかし、前を歩いて行く人達は皆、すべからく努力している。未来など誰にも分からない。

 だからこそ僕は、今を走り続ける。


〈了〉


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