『異世界』の始まり
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アルビノの少女が『異世界』だと言った場所は、僕に見に覚えるのある場所だった。身に覚えがあるというと語弊が生じるので、はっきりと言うと僕がネグラとして住み着いているマンションだった。
「ここが『異世界』なのかい?」
「『異世界』への扉です」
そう言う彼女に僕は「実は僕、ここに住んでるんだ」なんて言えず、そのまま彼女について行った。
「ここに監視カメラがあるので、駐車場側からまわるように、あの階段のところまで行きましょう」
「あのさ、監視カメラからくぐったとして、階段の扉は鍵が掛かっているんじゃないか」
「大丈夫です。ついて来てください」
なんでこんなコソ泥みたいな真似をしなくちゃいけないのか、自分でもわからなくなってきた。
監視カメラから逃れるように、階段の反対側まで行くと、階段の壁が柵になっていた。
「この柵から登りましょう」
ここのセキュリティーにこんな落とし穴があったとは、と感心しながら彼女についていく。
エレベーターは監視カメラがついてるので、階段で15階まで上りきって、屋上に繋がるタラップのところまで来た。タラップは脚立でも使わないと登れないよう、上の方に申し訳程度にあるだけだ。彼女はこれをどう乗り越えるのであろう。
すると彼女は、忍者のように壁を蹴って、タラップをつかみ、
「スカートのなか覗かないでくださいよ」僕はそんな邪なことをしない、と言い返したかったが、黙って下を向いた。
「お兄さんは背が高いから、ジャンプしただけで届くでしょう」
僕は言われるがままタラップを登り屋上にでた。
ここら辺から僕は、ものすごく嫌な予感がした。
「異世界、行けるんです。ここから下に、落ちれば。地面に落ちる中間で、もしかしたら地面に落ちる直前に、わたしの憶測もありますが、異世界があるんです」
彼女はこの柵から高層マンションの下の方を眺めて、そんなことを言うんだ。
「なんで……ここから下が異世界なんだい?」
僕の声は微かに震えていた。
「なんでも、ここから『異世界転生』した人が昔……いつ頃だったかな、大分前ですけどいるんですよ」
「――なんだ、それ」
「学校でも、わたしの家でも、噂になりました。ここから飛び降りた人、どっかに行っちゃったそうです。跡形もなく消えたそうです」
「それは……」
「多分、『異世界転生』したんですよ。その人」
「そんなことはない」
僕は今、どんな表情をしているだろうか。わからないけど、この、今僕の中で生じている感情は、
「そんなことがあるんです。だって、飛び降りるところは目撃されてるのに、マンションから降りてみたら、その人の姿は消えてなくなってたそうです」
僕の中で――感情が弾けた。
「あたりまえだ! その人は僕の母さんだ!」
僕は怒鳴りつけていた。
「え……」
あらましを説明すれば簡単なことだ。母さんが飛び降りるのを目撃した人はエレベーターでおりようとした。しかしエレベーターは混雑していた。僕は階段からおり母さんの下に行った。幸いにも、という言葉使わないほうが賢明なのだが、母さんは茂みに落ちていた。だから血しぶきも血だまりも目立たなかったのだ。
「救急車呼ぼうと思ったさ。でもさ、サイレン流されるのが嫌だったから、僕が病院まで運ぼうとしたんだ。母さん、血まみれでグチャグチャなのに、僕は世間体を選んだんだ。母さん、ただでさえご近所付き合い下手だったからさ。これ以上なにか言われたら嫌だったから。だから僕は! すぐ近くに病院あるし! そう思って!」
アルビノは困惑していた。
「え……そんな……」
「それがトリックさ。僕の社会常識の欠如。それが由来した噂話なんだろうけどさ。まさか噂話になってるとは思わなかったな。僕もご近所さんに母は生きてますって言っちゃったし。まあ言い訳させてもらうと」
「僕がついた時には、もう死んでたよ。母さん」
アルビノの少女は泣き始めた。そして「異世界、行ったんですね。あなたのお母さん」またそんなことを言う。
「だから死んだんだって」
「死んだこと、他界したって言うじゃないですか。他の世界に行っちゃったんですよ」
「他の世界なんて存在しない」
「じゃあ……人間は死んだらどこ行くんですか」
アルビノの少女を泣かせるつもりはなかった。そんなこと本意ではなかった。でも慰める気持ちなんて湧いてこなかった。
「さぁ、多分さ、君はおそらく16歳ぐらいだろうけど、18年前は君、どこにいた?」
「生まれてないです……」
「それが多分死んでる状態なんだと思う、よくは知らないけどさ。多分死ぬって、生まれる前に戻るんだ」
するとアルビノの少女は怒気を孕んだ声で、
「じゃあ私たちはなんの為にこの世界に生まれたんですか」そんなことを言うもんだかさ、おかしくって仕方ないけど笑いはしなかった。
「なにか理由があってこの世界にきたんじゃないですか?」
「異世界転生……したいんじゃないの」
「したいです、わたし、魔法使いになりたいです」
魔法使いか。彼女の魔女コスはきっと、コスどころでなく似合っているだろうな。
「じゃあ、この世界に、未練は……」
「あります」
少女の赤い瞳が、僕を睨みつける。
「今、できました。未練」
「なんだい未練って」
「この現世界も、かなり異世界だと思うんようになりました。なんか、ファンタジーなんです」
なる程な――と思った。たしかに僕らの世界はかなりファンタジーだ。でも……。
「異世界ではないな」
「異世界にしてみせます。あなたの中で、わたし、ファンタジーやります」
少女は意味不明なことを言い始めた。
「異世界ファンタジーにしてみせます」
「なんで、君が……?」
「私のこと、綺麗って言って……勘違いしないでくださいよ!」
アルビノの少女は顔を赤らめる。
「あなたが可哀想だからです」
「そっか……」
さっきまでどす黒い何かに覆われていた感情は、透き通ったものにかわり、
「実はさ、僕も異世界行こうとしてたんだ」
「どういう意味での方の異世界です?」
最近のライトノベルコーナーのように氾濫した僕らの異世界は、もはやどういう意味かわからなくなっていた。
「まあ、いいや。真っ当に、異世界、行ってみようかな」
「その異世界は?」
「僕もよくわかんないや」
二人で笑い合い、そして、アルビノの少女は手を高く出して、
「私、強子っていいます。強い子になって欲しいから強子ってつけたそうです」
ハイタッチをして、そして彼女は握り拳を出す。ああ、これネットで見た事がある。ハンドシェイクだ。
僕は彼女の手をこぎみよく叩き、下手くそなハンドシェイク。
「似合わない名前だね」
「そうですね。でも好きですよわたし、この名前」
僕に優しくない世界。
この世界はどこまでも居心地が悪く、そして僕はどこまでもクズ。愚か者の僕に居場所はなく、この出会ったばかりのこのアルビノの少女も、異世界に居場所を求めていたらしい。
だけど僕らはこの『現世界』、もとい『異世界』で生きていこうと、決意する。
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