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ひらく.com

作者: ta1

 大変遺憾ながら、わたし、未来ひらくはドジっ子である。

「未来、また忘れ物か。今週に入ってから何度目だ?」

「ぎゃう」

「未来さん、これ、裏と表が逆に縫い合わさっているわよ。やりなおし」

「ぎゃうう」

「ひらく! そこまだ一段ある!」

「ぎゃうううううううううう――!」

 先に階段を降りた友人たちが揃って悲鳴を上げた瞬間、階段から足を踏み外したわたしの身体はふわりと宙を舞った。タイル貼りの床はあっという間に目前に迫り、両腕に音楽の教科書とアルトリコーダーを抱えたわたしは受身を取ることすらできないまま、次に襲い来るであろう衝撃に備えてぎゅっと強く目を閉じた。

「――危ない!」

 けれどわたしの身体を衝撃が襲うことはなく、そのかわりにぐい、と後ろからセーラー服の首根っこを掴まれる。

「ぎゃ、ぎゃう?」

 難を逃れたわたしが首だけで振り返ると、そこでは見知った男子生徒が、セーラー服の襟をつかんだまま空いた方の手で自分の心臓を抑えていた。わたしは思わず悲鳴とも歓声ともつかない声を上げる。

「こ、小森くん!?」

 わたしが叫ぶと、クラスメイトの小森くんは驚きの表情を仏頂面に改め、セーラー服の襟を放した。小森くんが感情を抑えた、平坦な声で吐き捨てる。

「危なっかしいな。ちゃんと周り見なよ」

「ごご、ごめんなさい!」

 わたわたとわたしは言うが、小森くんは特に応じもせず、ふいっとわたしの脇を行き過ぎていってしまった。学生服の背中が教室の方向へ消えていく。わたしはその背に叫んだ。

「あの……ありがとう!」

 小森くんは振り返らない。けれど、わたしの心臓はどきどきとやかましく脈を打っていた。

「うわー、感じ悪ぅ」

 友達の片方がいつの間にか近づいてきて、右から絡みつくように腕を取った。もう一人の友達も左から寄り添ってくる。

「小森くんって、ちょっと怖いわよね。無愛想だし、いつも不機嫌そうだし」

 二人の友達の間で、わたしはぶんぶんと激しく首を横に振った。

「そ、そんなことないよ! だって、助けてもらったし……」

 頬を上気させて強く否定するわたしを、二人の友達はきょとんと見下ろした。その眼はすぐに、小さな子どもを慈しむような眼差しに変わる。

「ひらくは優しい子だねえ」

 友人たちがわたしを両脇から抱きしめて、頭や頬をいいこいいこと撫で回す。学年で一番のちびのわたしを、みんなは妹のように扱う。

「これでドジっ子じゃなかったら言う事なしなのにねえ」

「ドジっ子って言わないでよぉ……」

「いいの、ひらくはドジっ子でもみんなに愛されてるんだから。小森なんかとは違ってね」

「ぎゃう……」

 きゃっきゃとはしゃぐ友人たちに挟まれたまま、わたしは小さくため息を付いた。


 自分で言うのもなんだけど、わたしは本当に愛されている。

 わたしがどんなドジを踏んでも、みんな仕方がないなってフォローしてくれるし、そのせいで迷惑を掛けてしまっても、大丈夫だよって笑ってくれる。ドジっ子のわたしなんかにはもったいないくらいの愛を与えてくれる。

 でも、愛されているからって、ドジっ子のままでいいわけがない。

 ――危なっかしいな。ちゃんと周り見なよ。

 あの時の小森くんの声を思い出すと、つんと鼻の奥が熱くなる。帰宅するなり自室のベッドに身を投げたわたしは、窓から差し込む夕日に染まったシーツに顔を埋めたまま、涙混じりに零す。

「……わたし、どうしてこうなんだろう」

 本当はみんなに迷惑を掛けてしまうドジっ子のわたしなんかじゃなくて、みんなに――そして小森くんに一目置かれるようなわたしでありたいのに。

「……そうだ」

 それが視界に映ったのは、ちょうどその時だった。はっと気づいてベッドから身を起こし、勉強机に向かう。

 それ、とはお父さんのお下がりのデスクトップ型パソコンだ。わたしが使うと壊してしまいそうであまり触らないようにしていたけど、今は藁にも縋りたい気持ちだった。

 電源を入れるとしばらくして初期設定のままのデスクトップ画面が表示される。授業でパソコンを使った時に習った手順を思い出しながらブラウザを立ち上げ、表示されたポータルサイトの検索フォームに人差し指でたどたどしく文字を打ち込んだ。

『自分 変える 方法』

 少し震える指で検索ボタンを押した瞬間。

「ぎゃう!?」

 ピカッ、と画面がショートしたみたいに激しく光った。まばゆい閃光が雪崩のようにディスプレイから吐き出され、夕闇を押しやり部屋中を白く灼いて、一拍置いて再び夕闇に押し戻される。白い光を吸い込むと、画面はそのまま真っ暗になってしまった。

「……や、やっぱり壊した?」

 うんともすんとも言わなくなったディスプレイの上を、壊れた古いテレビにするみたいにばんばん叩いてみる。すると、ぷつん、と小さく音がして、画面は再び像を結ぶ。

 そこに現れたのは、ありふれた検索結果画面でも、恐ろしいエラーメッセージでもなく、

「ひらくどっとこむ?」

 それは、シンプルな検索サイトのようだった。わたしが最初に使った、ニュースや天気予報などの色とりどりの情報で埋め尽くされたポータルサイトとは違い、白い背景に四角い検索窓がぽつんと置かれただけのページだ。

 画面の中央にぽわん、とポップアップが浮かび上がる。

 ――ひらく.comへようこそ! ひらく.comはあなたの人生をいかようにも変えることができます。知りたいことを今すぐ検索窓に入力してみてください。

 それだけ表示すると、ポップアップは出てきた時と同じようにぽわん、と消えてしまった。残ったのは最初の検索窓だけ。

「……人生が、変えられる」

 ありふれていて、それでいて確固とした根拠のない謳い文句。だけどわたしの中では、そのフレーズがずっと消えずにぐるぐるとうずまき続けていた。

 ドジっ子なわたしの人生を、いかようにも変えることができる。そう思うとひどく魅力的で、気づけばわたしは人差し指でぱちぱちとキーボードを叩いていた。

 とは言え、期待して裏切られるのは辛いので、まずはお試しのつもりで。

『明日 数学 どこが当たる?』

 検索ボタンをクリックすると、ちらりとノイズが混じりながら画面が遷移する。検索結果は一件。P126(3)というリンクがあり、それを開くと数学の文章題が一問と、その解法が書かれていた。

 ベッドの上に放り投げたままだった鞄から数学の教科書を取り出して捲ってみる。――一二六ページの(3)に書かれていたのは、まさしくその文章題だった。

「ま、まさか、ね……」

 呟く声は少しだけ震えている。今、わたしが感じている気持ちは、きっと恐怖とも呼べるものなのだろうけど、

「……でも、もしかしたら」

 同時にそれは興奮とも呼ぶことができるものだったから、わたしはこわばった指でノートにその解法を写し取った。


「うーん、惜しい! この単元は応用が入ってくるから分かりにくいかなー」

 教壇に立った数学の先生が黒板に書かれた回答を赤チョークで訂正する。問題に答えた生徒がしょげたような気まずいような表情で自分の席に戻った。

 黒板に正しい答えを書き終えた先生が、生徒たちに向き直った。教科書に軽く目を落としてから、うん、と一つ頷いて告げる。

「じゃあ次、一二六ページの(3)。文章題だから少し難しいんだけど――未来、答えてみて。……未来?」

「ほ、本当に当たった……」

「ん、わかんないか?」

「い、いえ、やります」

 ぽかんと開いた口を慌てて閉じて立ち上がると、その拍子に椅子を蹴っ飛ばして、周囲から仕方がないなあという雰囲気の笑い声が上がる。その笑い声の中、わたしは胸にノートを抱き、背中を丸めて教壇に向かった。

 黒板に書かれた問題文の前でノートを開くと、そこには昨日、ひらく.comで調べた問題の解法が書き写されている。わたしはその解法をゆっくりと黒板に写し取っていった。

 背中にクラスメイトたちの視線を感じる。みんな、どうせいつもみたいに間違うと思ってるんだろうなあ、と思うと、反感を抱くよりも先に条件反射でみじめな気持ちになる。

 でも、今日からは違うかもしれないんだ。

 最後まで写し終えると、わたしはチョークを置いて恐る恐る先生を振り返る。

「できました……ぎゃう!?」

 先生は、うっかり目の玉を落としてしまいそうなほどに目を丸くしてわたしの書いた答えを見つめていた。ぎょっとするわたしに、先生はやたらと嬉しそうに叫ぶ。

「せ……正解!!」

 瞬間、教室中が驚きと興奮に沸いた。ささやき声はあっという間に歓声に代わり、どこからともなく始まった拍手の音もすぐに教室中に広がった。

「未来、やればできるじゃないか!」

 笑顔で褒め称える先生と、お祭りのように沸くクラスメイトを背景に、わたしは高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。

 ひらく.comは本当に、とてつもなくすごいものだったんだ。あの検索サイトは、たぶんどんなことだって教えてくれるし、わたしの人生を、いかようにも変えてくれる。

 これがあれば、わたし、きっと変われる。


「あ、大事件」

「ぎゃう! な、なに?」

 友達がはっと気づいたように声を上げたのは、HR後の掃除の時間だった。

「ひらくが今日一回も『教科書見せて』って言ってこなかった」

「……今日、忘れ物しなかったもん」

 口元に手を当てて世界の終わりを嘆くみたいな顔をしている友達に、わたしは少しむくれて反論した。忘れ物なんてするわけがない。なぜなら、朝、出掛けに、

『今日 忘れ物』

 で検索してきたのだから。

 そんなことも知らずに友達は頭を抱えてうんうん唸っている。もう片方の友達も遠い目で窓の外の晴れ渡った冬空を見上げ、

「ひらくが忘れ物しないなんて、明日は雨かしら……」

 ひどい。いくら何でもひどい。……明日は晴れの予報だけど、念のため傘がいらないか検索してこよう。

「そんなこと言ってないで掃除しようよ」

 失礼な友達はほっといて、わたしは掃除を再開した。ただし雑巾がけ係は避ける。バケツのそばに近寄ればそれをひっくり返すことは昨日検索したから知っている。だから、代わりに黒板消しを手に取った。六時間目の板書がそのままになった黒板を右から左へてきぱきときれいにしていく。

 でも、やっぱり落とし穴はあった。

「ぎゃう、しまった……」

 背の低いわたしには、黒板の上の方に残ったチョークの汚れに手が届かない。それでも誰かに助けを求めていたんじゃ、みんなの評価はいつまでも「ドジっ子のひらく」のままだ。だから精一杯背伸びをして汚れに手を伸ばした。

「もうちょっと……なんだけど……」

 爪先立ちで届きそうで届かない黒板消しをふらふらと彷徨わせていると、突然横手からもう一つの黒板消しが現れて、いとも簡単に汚れを消し去った。そのまま視界から消えていこうとする学生服の袖口を目で追えば、

「さっさと終わらせろよ」

 そこには黒板消しを放ってそっけなくそっぽを向こうとする小森くんの姿があった。わたしは慌ててその背に呼びかける。

「ご、ごめん――あの、ありがとう」

「……別に」

 振り向きもせずそれだけ言い残して去っていく背中に、心臓はまたどきどきと高鳴った。


 変わらなきゃ変わらなきゃ。もっと立派にならなくちゃ。

 『美術 ほめられる絵』画像検索結果20件 teacher_like1.jpg

「あら、未来さん素敵ねぇ。先生こういうの好きだわあ」

 『学級会 感心される意見』検索結果3件 homeroom_goodidea_b.html

「やだ、ひらく、いいこと言うじゃん」

 『化学のテスト ここが出る』検索結果1件 chemistry_test.pdf

「今回のテストで満点は一人――未来、よくやったな」


「ひらくって、ちょっと変わったよね」

「え、そうかな」

 休み時間の教室でのおしゃべりで、友達の言ったそんな言葉に一瞬ぎくりとする。

「そうそう、しっかりしてきたっていうか、頼りがいが出てきたっていうか」

 けれどもう一人の友達もそんなことを言うものだから、そんな「ぎくり」だなんて些細な事だったかのようにすっと消えて、代わりに誇らしいような、くすぐったいような気持ちが沸き上がってきた。

「そんなんじゃないよ。やめてよ照れちゃう」

 口では謙遜して見せるけど、まんざらでもない気分だった。友達もそれを見抜いているのか、きゃあきゃあと誉めそやしてくる。

「――騒ぐならよそでやってくれない?」

 しかし背後から浴びせられる冷たい声に、嬌声は一瞬で凍りついた。わたし達は身を竦める。

「ご、ごめん……」

 友達の一人が伺うように視線を向ける。視線の先の小森くんは返事もせずに自分の席へ戻り、仏頂面のまま文庫本を開く。

「うげえ、感じ悪っ」

 謝った方の友達が苦いものを吐き出すようにしかめっ面をした。もう一人の友達も少し意地悪そうな顔をして言う。

「小森くんって、やっぱりちょっと怖……」

「そ、そんなことないよ!」

「え?」

 食い気味に大声を上げたわたしに友人たちは目を丸くした。小森くんがまたこちらに物言いたげな視線を向けてくるのが分かったので、わたしは二重の理由で声をひそめる。

「小森くん、確かに少しぶっきらぼうなところはあるけど、優しいし、親切にしてくれるし……」

 ごにょごにょと言葉を濁しているうちに自然と頬が熱くなってくる。友達もそれでわたしの気持ちを悟ったようだった。やれやれというふうにため息をつく。

「……趣味悪いよこの子」


 まだだ。まだダメだ。

 いくら先生に褒められても、友達に見直されても、まだダメだ。小森くんに魅力的な女の子だと思われなくちゃ、ダメなのだ。

 わたしは家に帰り着くなりパソコンのスイッチを入れて、ひらく.comを開いた。それから、最近大分慣れてきた手つきで検索窓に文字を打ち込む。

『小森くんの好きなもの』

 検索ボタンをクリックすると、いくつかの通販サイトや動画サイトがヒットする。わたしはその中から一つ、通販サイトのページを開いて、頷く。

「……これだ」


 わたしが若干ぎこちない動作で鞄から取り落とした文庫本を、小森くんはそれでもやっぱり親切に拾ってくれた。

「未来……ん?」

 拾った文庫本をわたしに差し出しかけて、それからすぐに自分の手の中にあるものが何であるか気づいて面食らったような顔をする。

「……好きなのか?」

「え?」

 その質問の意味はちゃんと分かっていたけれど、わたしはつい焦らすようにとぼけてしまった。その甲斐あって、小森くんはいっそう食らいつくようにわたしの方を見る。

「未来もこういう本、好きなのか?」

「う、うん……」

 未来も、と言う通り、その文庫本は、ひらく.comで調べた小森くんの好きだという本と同じものだった。少し後ろめたい気持ちを隠しながらわたしが頷くと、小森くんの表情がぱあっと明るくなる。

「本当? うわあ、そうか、そうだったんだ」

 サプライズプレゼントを貰った子どものようなその表情に、どきりとする。こんな顔をする小森くん、見たことない。あっ、とざわめく始業前の教室を見回して小森くんは少し表情を引き締めるが、それでも上気する頬は隠し切れない。

 それから小森くんはやや逡巡するように間を置き、やがて意を決したように言う。

「未来、ちょっとゆっくり話したいんだけど……よかったら、今日一緒に帰らないか?」

「ぎゃう!?」

 思わず悲鳴じみた声を上げるわたしに、小森くんは真っ赤になって両手をぶんぶんと振った。

「い、いやっ……嫌ならいいんだけど」

「そ、そんなこと……! ぜひ! ぜひ!」

 最後はお互い前のめりで、何とか約束を取り付けた。


 その日授業が終わると、いつも一緒に帰る友人たちに冷やかしを貰ってから、正門の前で小森くんと落ち合った。

 学生服の上にダッフルコートを羽織った小森くんの姿は新鮮でかっこいいし、好きな本の話をする小森くんは普段からは想像できないくらい饒舌で、わたしはその声を聞いているだけで天に登るような気持ちになる。

 けれど、小森くんが何気なく口にした言葉で、わたしははっと現実に引き戻された。

「未来がこういうの読むなんて、正直意外だったな。面白いんだけど、ちょっととっつきにくいジャンルだし……」

「ぎゃうっ! え、えへへ……」

 わたしの笑顔のぎこちなさに、どうか小森くんが気づかなければいい。

 だってわたしは、小森くんが好きだというその本を、読んだことなんかないのだ。ひらく.comで調べて本屋で買ってきたはいいけれど、普段は漫画くらいしか読まないわたしには難しくてちっとも理解できなかった。だから小森くんが喜ぶような褒め言葉をひらく.comで調べて、話を合わせているだけなのだ。

 罪悪感はちゃんとあった。でも、そうでもしないと、小森くんとこんなにおしゃべりできる日なんかやっては来なかった。

 わたしはごまかすように話題を変える。

「わ、わたしも意外だったな! 小森くんがこんなにおしゃべりだなんて! いつも寡黙っていうか……あんまり話しかけられたりしたくないタイプなのかな、とか……」

 わたしの言葉に、小森くんは乾いた声で笑った。口元で息が白く濁る。

「いや、そういうわけじゃないんだけど……前にちょっと、いろいろあって」

「いろいろ?」

 きょとん、と首を傾げるわたしに小森くんは答えず、

「――そんなことよりさ、あの本の、――が――なシーンで……」

「えっ、あっ……う、うん。あそこね!」

 また本の話を始めたので、わたしは話について行くことに必死で、それ以外のことはすぐに気にならなくなってしまった。


 それからわたしと小森くんはいっぱいおしゃべりをするようになった。本の話については相変わらずひらく.comが教えてくれる通りに話を合わせるだけだったけれど、それでもわたしは毎日幸せだった。

 小森くんともっともっと仲良くなりたい。

 だからわたしは、今日もひらく.comにアクセスする。

『小森くん』

 それだけ打ち込んで、検索ボタンをクリック。検索結果の一件目に目を引かれる。

 小森冬児プロフィール.html

 クリックしてページを開けば、そこには喉から手が出るほど欲しかった情報が山ほど書かれていた。生年月日や家族構成に始まり、好きな食べ物や、好きな作家。飼い猫の名前。座右の銘。愛用のシャンプーのメーカーまで。

「好きなタイプは……話が合う女の子!」

 ひょっとして、わたし、脈あり? そう自惚れてみるだけで何だか気持ちがそわそわしてしまうし、ほっぺたは燃え上がりそうなほど熱を持っていた。今なら何だってやってのけられそうな万能感が身体の中で暴れている。

 画面をスクロールする指はしかし、ページの一番下に書かれていた項目を見て止まる。

 嫌いな物 嘘つき

 その一行で、浮き足立った気持ちなんて一瞬で消え失せてしまった。思わずぎくりとしたことすら後ろめたくて、妙に白くなった指でブラウザを閉じた。


「――友達に影で笑われてたんだ。いつも変な本ばっかり読んで、頭おかしいんじゃねえのって……親友だと、思ってたのに。

 それ以来、人付き合いが少し怖くなって……だから、未来とこうやって話ができるようになって、本当に嬉しいよ」

 ある日の帰り道、照れくさそうに笑ってそう告げた小森くんの顔を、わたしはまっすぐに見ることができなかった。自分の非道さにようやく気がついて、消えたくなった。

 だから、逃げ出した。

「ごめん。用事があって。先に帰るね」

 早口でそう告げた時にはもう、わたしは小森くんに背を向けて走り出していた。小森くんが驚いたように声を上げる。

「え、おい!」

「ごめん!」

 何についての謝罪なのか、そもそも謝って許されることなのかも分からないまま振り向きもせずに叫ぶ。

「……なんだよ」

 冷たい北風に乗って聞こえてきたそんな小さなつぶやきには、途方もない諦めが含まれていた。思わず涙が溢れてくる。

 わたしはなんてことをしてしまったんだろう。

 その日以来、わたしは小森くんと口がきけなくなってしまった。


「……ひらく、あんたはどうすんの?」

「えっ?」

 休み時間、いつものようにおしゃべりをしていたはずなのに、いつの間にか上の空になっていたわたしを、友達が怪訝そうに覗きこむ。

「えっ? って何よ、えっ? って。話聞いてた? あんた最近小森といい感じ……あ」

 友達がいっけね、と口をつぐむ。友達の視線をたどって振り返れば、ちょうどわたしの後ろを小森くんが通り過ぎるところだった。

「……」「……」

 不意にぶつかった視線を、どちらともなくぎこちなく外す。小森くんはそのまま教室を出て行った。

「……どしたの、あんたら?」

「嫌なこと言われた?」

 友達が驚きながらも労るような声でこちらを覗き込むので、わたしは無理やり口角を上げた。

「ううん、違うの」

 小森くんとはあれ以来ずっとこうだ。「嘘つき」のわたしは、まともに小森くんの顔を見ることすらできない。このままではいけないことはちゃんと分かっているのに、現状を打開する方法も分からず、その勇気も出なかった。

 わたしはまだ、小森くんのことが好きなのに。

 友人たちはわたしの顔を何とも言えない顔でしばらく眺めてから、何かを悟った様子で短く目配せし合った。それから、少し気まずそうに手元の雑誌を指し示す。

「じゃあ、余計なお世話だったかな?」

 女子高生向け雑誌の華やかな紙面の見出しには、可愛らしい書体で「もうすぐバレンタインデー!」と書かれていた。


 砂糖と塩を間違うなんて、漫画以外で起こることだなんて思いもしなかった。オーブンレンジが爆発するものだってことも初めて知ったし、出来上がったそれらも、半分以上食べ物の姿をしていなかった。それでもなんとか、最後には人に渡せるくらいのチョコレートケーキが完成した。

 わたしはこれで、小森くんに「告白」をする。


 ちゃんと渡せるだろうか。受け取ってもらえるだろうか。そもそもちゃんと目を見て話ができるだろうか? 精一杯きれいにラッピングした小箱をベッドの上で弄びながら悶々としていたけど、とうとう居ても立ってもいられなくなって、わたしはパソコンのスイッチを入れた。

 開くのはもちろん、ひらく.com。

 告白に失敗しない方法を検索すればいい。そうすれば傷つかなくて済む。ヘタなドジも踏まない。わたしはきっと、幸せになれる。

『告白 失敗しない 方法』

 両手で文字を打ち込み、検索ボタンをいつものようにクリック……

「……………………ダメ」

 ……できなかった。マウスを握った右手にしずくが落ちる。次から次へと、止まらない。

「そんなズル、できないよ……」

 だってわたしは、小森くんが好きなんだもん。ひらく.comはきっと、失敗しない告白の方法を教えてくれるけど、でもわたしは、小森くんに本当の本当に好きって言ってもらえなきゃ意味なんかない。

 ドジっ子のわたしは、それをずっと気づけずにいたんだ。


 その日の放課後、呼び出した校舎裏で、小森くんは待っていてくれた。

 そこにいる小森くんは好きな本の話を嬉しそうにしていた時とは違う、不機嫌そうで、無愛想な――ちょっと怖い小森くん。後ろめたさも相まって喉がぎゅうと詰まる。

 でも、言わなきゃいけないんだ。わたしはわたしのために。震える唇を、今まで使ったことのないくらいの勇気を振り絞って押し開く。

「二つ、告白させてください」

 小森くんは何も言わない。でも、まだわたしを見てくれている。だから、わたしもまっすぐに小森くんを見て、言った。

「一つ目は、わたしが小森くんに嘘を吐いていたことです。わたし、本当はあの本を読んだことなんかないのに、小森くんに好きになってもらいたくて、ズルをしました。謝って許してもらえるか分からないけど、ごめんなさい。

 それからもう一つ――こんなわたしだけど、迷惑だろうけど、それでもわたしは、小森くんが好きです」


 サービス終了のお知らせ

 平素はひらく.comをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

 本サービスは利用者様のニーズの変化に伴いまして、検索エンジンとしてその役割を終えたとの判断に至り、二〇XX年二月十四日を持ってサービスを終了させて頂きました。

 これまでのご愛顧に厚く御礼申し上げます。

――あなたの人生はすべて、あなた次第でいかようにも変わる


 いつものページにいつもの検索窓はなく、代わりにこれらの文章だけがそっけなく表示されていた。

 わたしはブックマークからそっと、ひらく.comを削除した。パソコンの電源を切って、ベッドの上に置いた鞄へ手を伸ばす。

 予習復習はちゃんと済ませた。必要な持ち物は三回確認。それでももう一度、周りをよく見る。わたしはできる。ひらく.comがなくたって、わたしの頑張り次第でちゃんとできる。

「ぎゃう! 危ない危ない……」

 最後に枕元に置きっぱなしの、栞の挟まった文庫本を鞄に入れて、わたしは家を飛び出した。

「いってきまーす!」

 そう、わたしの人生はすべて、わたし次第でいかようにも変えられる。(了)

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