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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
七章 影と真実
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―オルヴス―

教会内掲剣騎士詰所。

無事魂の鏡から抜け出した四人は掲剣騎士達に事態の説明をし、詰所の奥にある談話室で一休みしていた。室内には簡易なキッチンに小さなテーブルと幾つかの椅子もあり、オルヴスの淹れた茶を飲みながら一息いれていたのだ。扉の外では掲剣騎士が慌ただしく動いている。

ノラルの王女の不法侵入と例のエトアールの亡霊の襲撃という、重大事が二つも重なったのだ。無理もない。


「全く。いきなり結界が破れるものですから驚きましたよ。相変わらず繊細さに欠けますねグリム」


ようやく自分の分までのお茶を淹れ終えたオルヴスが、苦笑混じりに語りながら席につく。


「おいおいオルヴスさんよぉ、繊細さなんてお前に言われたかねぇーっつーの!」


「何はともあれ皆無事で良かった。奴らは、逃がしてしまったがな」


心外だ、とばかりに抗議するグリムらを諌めるようにメルシアが話題を切り替えた。


「仕方ないでしょう。恐らくはああいう計画の上で彼は動いていたのでしょうね。最も、目的は相変わらず見えませんが」


目下の所アヴェンシスの総力を挙げて、エトアールの亡霊に関する情報を収集中であるが、未だ彼らの足取りもまたその目的も掴めていない。唯一、教会に対して敵対している事だけが明らかだ。それも、何故かはわからない。今回、長らくアヴェンシスと紛争を続けているノラルという国との繋がりが見えた為、彼らがノラルの一員として動いていた可能性が上がった。しかし、それでは彼らの、クオンの言っていた“依頼”という台詞に疑問が残る。これまではそんな事一度も言っていなかった。まさかうっかり口を滑らせた、などという線も無くはないが限りなく薄いだろう。行く先々で先手を打ってきた彼らが今更そんな馬鹿らしいミスを犯すとも思えない。


「ったくよー、はっきり言ってくれたらいいのによ。『我々の目的は世界征服だー!』とかよ」


「そんな馬鹿をやるのはお前ぐらいだよグリム」


「んだと!?」


いつもの如く、グリムとメルシアが痴話喧嘩を始める。オルヴスもいつもの苦笑をしながら二人を見ていたが、ふと、視界の端にアーノイスの姿を捉えた。彼女はあの結界から出てから一言も口にしていない。普段ならばこの滑稽な一幕に置いて、やれやれ、とかまたはじまったか、的なニュアンスを含んだ微笑で一言ぐらい挟むのだが、今はまったくそれがない。心ここにあらず、と言った様子で、まだ一口も口をつけていないティーカップの中に眼を落していた。

見兼ねたオルヴスが、場を締めるように二回、手を叩く。


「はいはい。ともかくは何か情報が出るまで、且つアングァストの安全が確かめられるまでは動けません。その辺の調査は明日に回すとして今日はもう解散致しましょう。アノ様、よろしいですね?」


オルヴスの言葉に、アーノイスは無言で首肯する。果たして聴いているのかわからないが、かといってずっとここに居ても仕方がない。オルヴスは自分とアーノイスのカップを流しへ持って行き、軽くすすいで部屋の出口へ向かう。アーノイスも大人しくそれに従い、後ろを着いて行った。


「それでは明日の九時にでもまたここに。お二人とも、痴話喧嘩は程々にしてくださいね」


「「誰がだ!」」


息の揃った抗議を受け、オルヴスはまた苦笑して、談話室を後にした。






――深夜。コルスト教会礼拝堂。

コルストの夜は早い。季節になれば一日中空が明るんでいる白夜という現象になり、また別の季節になればほぼ一日火が昇らないという黒夜になる。今はちょうどその中間で最も安定した季節なのだが、それにしても他の地域に比べれば夜が早い。即ち黒夜よりの気候になっていた。光が少ないというのはそれだけで人の心を不安にさせるものだ。それを考えてか、ここコルストの教会の礼拝堂はちょっとした工夫がされている。礼拝堂は神父や修道女の宿舎と別に建てられ、一つの建物として独立している。さらに高さがあり、天井以下建物の半分くらいの高さまでが全てステンドグラスで形成されているのだ。さらにはこのステンドグラスには蓄光の呪術が念入りに施されており、少ない光を効率よく吸収して暗くなる建物内を仄灯り

で照らすのだ。故に完全に日が落ちていても火による灯りを灯さずとも礼拝堂内は一定の明るさに保たれている。とはいえ、読書には少々辛い明るさだが。だが、美しい装飾が売りのステンドグラスが発光している為、中は非常に綺麗な幻想的な雰囲気に落ち着き、アヴェンシスの有する教会でも最上の美麗さを持つ礼拝堂として有名だったりする。

そんなコルスト礼拝堂の中に独り、アーノイスは居た。初代鍵乙女、女神を模ったと言われる巨大な偶像の前に茫然と立ち、その姿を眺めていた。布を巻いたようなドレスに身を包み、慈愛の瞳でアーノイスを見返す翼生えた美女。世界に門を造り、今なお世界の守護を担っていると言われる初代鍵乙女。荘厳に満ちた彼女の偶像を眺める度、アーノイスは自分が彼女と同じ力を持っている事に疑念を抱いて仕方がない。アーノイスは普通の人間であった。王女という立場で普通と言っても違和感があるだろうが、彼女には特別な力などなかったし、別段鍵乙女に対する信仰心が強いわけでもなかった。それなのに突然、彼女は選ばれてしまった。選ばれてしまったからと、流されるままにここにきてしまっている。――いや、とアーノイスは頭を振った。自分はここまで連れてこられてきたのではない。自らで選び、多くの人の助けを得て、今自分の意志でここにいるのだと思いなおす。それは全て、約束だった。“彼”に誓った“彼”に聞かせられなかった約束の為。なら、今、自分はどうしたらいい――?

疑念が彼女の脳裏にこびりついて離れない。“彼”かもしれないと思っていた人物は彼自身ではなく、尚且つ“彼”だったという。その意味の為す所をまだアーノイスは聴けていなかった。だからなのか、彼女の心の問いに応える為にか、背後の礼拝堂の扉が静かに開かれた。


「こちらにいらっしゃいましたか。アノ様」


その声は良く知った声音。高くもなく低くもなく、中性的かつ良く通る男声。そして、彼女を呼ぶ呼び名。今は彼と妹にしか許していない“アノ”という愛称が、今この場に現れた人物がオルヴスという名を持った青年である事を如実に表している。

アーノイスは言葉を返さなかった。振り返り、静かに青年の漆黒の瞳を見つめる。彼女は別段読心術なんて見につけているわけではないが、その黒の向こうに彼の心が見えないかと見つめていた。だが、何も見えない。何も伝えてはくれない。アーノイスはどうしてか涙が零れそうだった。哀しいのか、悔しいのか、わからない。ただ虚しさが胸の内を通り過ぎて行く。

そんな彼女から眼を逸らさないまま、オルヴスはゆっくりとアーノイスに近づいて行く。その横を通り過ぎるか否かの場所で、彼は止まった。徐に顔を上げて、先程までアーノイスが見上げていた女神の偶像を見るともなしに眺める。


「女神。鍵乙女が天化テンゲした姿と言われています。全ての願いを叶えるというまさに天上の存在。だが、過去初代鍵乙女以外に天化した鍵乙女はいないとされていますが」


オルヴスの独白に、アーノイスはそんな事をいつだったか聞いたなと思いだす。女神。このまま鍵乙女であったなら、自分もいつか成る時がくるのだろうか。全ての願いを叶える、すなわちそれは全能の力を持つという事と同義だろう。そうすれば今のような迷いも何もなくなるのだろうかと、思わずにはいられない。同時に、そんな考えが浮かんでしまう自分に吐き気がした。頭を振り、小さく深呼吸して息を整え、アーノイスは重々しく口を開く。こんな考えでいるのは思考停止と同じだと、もう一歩も動けなくなってしまいそうだったからだ。


「ねぇ、オルヴス」


何と、言えばいいのだろうか。アーノイスは唇を噛んだ。聴きたい事は昼間の続きと決まっていた。だが、なんと切り出せばいいかわからない。会話の糸口がまるで掴めなかった。ここでまた聞いてしまっていいものなのか、アーノイスはまた戸惑う。自分への悪感情が渦を巻いてしまいそうになる。また、立ち止まってしまいそうになる彼女。だがそれをまるで察したかのように、彼は努めて明るい声で話し始めた。


「オルヴスという言葉の意味を知っていますか?」


彼は何時の間にかアーノイスの方へ向き直っていた。アーノイスもまた、彼の方へ体を向けるが、その顔を見ることは出来ない。罪悪感が彼女の動作を酷く限定的なものにしていた。ぎこちない動きで、先程のオルヴスの問いに横に首を振って答える。


「オルヴスとは、無量無辺の器、という意味を持つウィジャ家独自の言霊です。呪印交霊の施されたこの身には、夥しい数の霊魂が閉じ込められているんですよ」


「……だから、無量無辺の器(オルヴス)


アーノイスの呟きにオルヴスは頷きを返した。さらに、彼は言葉を続ける。


「呪印交霊とは、霊魂に作用する交霊術を行使するウィジャ家の禁呪です。霊力そのものと交わり取り込む力。あの日、チアキ=ヴェソル=ウィジャは呪印交霊を両親より施され、そして、暴走しました」


オルヴスは眼を閉じた。その瞼の裏には今でも、その日の光景が浮かんでくる。人、動物、草木を問わず全ての生命体から、命そのものといえる“霊魂”を根こそぎ喰らっていく、己から生える黒い腕を。逃れようと無駄な抵抗を試みる人々の、その最期の断末魔は未だに彼の耳にこびりついて離れない。

アーノイスもまた、脳裏に思い浮かべていた。あの、一夜にして全て消えてしまったレラの村の人々の事。そしていつか見た、黒い手から逃れる人々の記憶を。あれは確か、彼の影に触れた時じゃなかったかと思いだす。


「数多の魂が僕の体には同化しています。それはレラの人々や生命体でありフェルであり……。もはや誰か、何かなどの区別もつかない魂のるつぼであるこの存在自体を、僕は無量無辺の器(オルヴス)と名乗る事にしました」


だから、彼は言ったのか。自分はチアキ=ヴェソル=ウィジャの成れの果てだと。幾つもの魂が一つになってしまったから、“彼”は自分が自分自身であるという確証が持てなくなったのか、とアーノイスは理解し、同時に間違っていると、否定した。


「オルヴス。貴方、今自分が一体何かわからないって、そう言ったわよね」


答えは首肯。アーノイスはさらに続ける。


「なら貴方という存在を、オルヴス、とそう名付けたのは誰? 自分? じゃあその自分っていうのは誰の事なの?」


「それは……」


自分は卑怯だ、とアーノイスは思う。これは自分自身の願望に他ならないと、己で気づいていた。自らの願いで、彼の言葉を都合の良いように解釈してしまっていると。でも、彼女は止まれなかった。それを甘んじて受け入れて尚、願望と想いから湧き出てくる言葉を紡ぐ。


「どうしてそんな事をしたの。貴方は、貴方じゃないの? 他の誰でもない」


「やめてください! 僕、僕は……チアキ=ヴェソル=ウィジャじゃない。オルヴスという名の、人でもフェルでもない化物なんですよ! もうチアキには戻れない!」


青年は叫ぶ。それは悲痛な声音で、彼からは一切聞いた事のないような辛い声だった。アーノイスは思う。彼が彼自身が今感じているその感情は紛れもなく、一人の人間のものなのではないかと。たった一人の人間が、入ってきてしまった沢山の人々の魂に怯えている、ただそれだけ。なんだ、やっぱり彼は此処にいるじゃないか。そう心の中で呟いて、アーノイスは彼の手を取った。背けていた視線を交差させる。


「ねぇ……チアキ」


「やめろ!」


虚しくそして強引に、アーノイスの手は振り払われた。胸が鋭く痛む。痛みが言葉を鈍らせる。それだけでもう、彼女はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。今自分が言っている事はただの想い込みなのだろうか。彼にとっては実に鬱陶しい言葉なんじゃないか。嫌な事ばかりが脳裏に浮かんではこびり付いていく。


「止めてくださいよ……」


青年の声が今度は弱弱しくアーノイスの耳に届けられた。彼もまた苦しんでいた。手を跳ねのけてしまった事に対する罪の意識からなのか、彼の手は握り締められて震えている。いや、震えで力が入り切っていない。まるで痙攣しているようにも見えるその様子に、アーノイスは自分の胸の痛みを呑み込んだ。今、自分が動けなくなってしまってどうするというのか、と。辛いのは自分ではない。自分はただ、愚かな想いをどうしようもなく彼にぶつけているだけだ。それでいい。それで彼が本当に手を離してしまうのなら、もう、それでいい。アーノイスは決心し、今度は両手でオルヴスの震える手を掴んだ。


「……教えて。教えなさい。どうして貴方そんなに怯えているの?」


問いから逃げ出すかのように、オルヴスの握っている手が引かれようとするが、アーノイスはそれを許さない。首を振り、少し長い黒髪を振り乱し、乱れた前髪の隙間からオルヴスはアーノイスと眼を合わせた。瞳は怯えている子犬のようだった。


「僕は……僕にはわからないんですよ! 今こうして喋っているのは誰なのか! 今頭を巡っている言葉は、思いは、一体誰のモノなのか! 僕にはわからない。確かめる術もない。なら、なら誰でもなくなるしかないじゃないですか!」


彼は叫んだ。今まで誰にも言えなかったであろう、心の内側にこびりついた不安とか恐怖とかを一緒くたにした何とも言えない思いを。彼の抱えるそれは、自分の中に無数の魂があるという感覚。今何かを感じ何かをし何かを思っているその行為の全ては、果たして“自分”がしているものなのかと確証が出来ない。だから彼は自分を殺した。器であると自身を定義して、思うがままに動いた。それは酷く感情的で理性的な行動。即ち感情を理性でもって表現するという生き方をしてきた。


「だったらどうして、貴方はここに居るの……貴方が私の従盾騎士になってくれたのは、どうして……?」


「そ、れは……」


だが今、それが剥がれ落ちて行く。静かにだが確実に、彼女の言葉が動作が彼の凍った本来の魂を溶かして行く。器を名付けたのは誰だったのか、器として生きると決めたの誰だったのか、怯えているのは誰だったのか。そして、彼女の傍にその身を運ばせたのは果たして誰の想いだったのか――。


「私が約束したのは、私を護ってくれると約束したのはチアキしかいないわ。他の誰でもない。チアキ=ヴェソル=ウィジャという名前の、たった一人の少年。彼がどんな気持ちでその言葉を言ってくれたのか、私にはわからない。でも、私はその言葉がすごく嬉しかった。そして頼もしかったわ。鍵乙女になって、独りぼっちになって、どんどん自分に向けられてくる“願い”が怖くなっていった、心細かった。そんな時に私に手を差し伸べてくれたのがチアキだったわ。鍵乙女と名乗らなかった私を、ただ一人の“アノ”って人間として接してくれた励ましてくれたの。ねぇ、オルヴス。答えて。貴方は鍵乙女を護る従盾騎士なの? それとも、私を護ってくれているの?」


長い言葉を吐きだしながら、アーノイスは既に泣いていた。何故かは本人にもわからない。わからない、と知って彼女は改めて思う。彼が抱いてる自分への恐怖は元々潜在的に全ての人の中にあるんだと。ただ少しだけ、特殊な体を持ってしまった彼には大きな悩みとなってしまっただけの話。そんな、誰しもが持ち得る不安ならば。


「僕は……」


“彼”がそんなものに屈する筈がない。そう、アーノイスは確信出来た。その上で、今、彼がだそうとしている答えを待つ。願わくば、その答えが自分の望まんとするものであればいい。願うだけなら、許されるだろうとアーノイスはもう何も言わない。今これ以上に無様にでも、彼に頼んでしまえばきっと彼は受け入れてしまうから。


「僕はアノ様を、護る為に」


オルヴスが、呟く。自分自身に言い聞かせる様な――否、自身の想いを確かめるような声音であった。

彼は、自分などどうでもいいと常々思っていた。胸の内に渦巻く感情の赴くままに、ただ彼はどうしようもなく必死に彼女を護っていた。よく考えればわかる事だったのかもしれない。でも、彼はそれを放棄していた。考えたその結果が、また自分のものなのかと疑ってしまうから。しかし、それ自体が、まず第一に考える事自体が間違いだったのかもしれない。何故なら、彼は最初から、自分という存在のどうしようもない感情を知っていたのだから。


「鍵乙女なんてどうでもいい。そうだ。ただ、僕は、貴女に会いたかった」


声に力が籠る。それは紛れもなく、心の通った生きた声。ああ、とアーノイスは溜息を吐いた。いつか聞いた在りし日の少年の声は時を経て、明るさの代わりに力強さとほんの少しの悲しみを滲ませたものに変わっていた。繋がれていた手はどちらからともなく離れて、代わりに二人は互いに手を伸ばして、それぞれの頬を伝う滴を奪っていった。

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