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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
七章 影と真実
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―吐露―

空間の境界が砕ける。豪快に窓ガラスをぶち破ったかのような音に、アーノイスは顔を上げた。藤色の瞳は赤く充血し、眼の周りも泣きはらしたせいで真っ赤になっていた。涙で霞んだ視線の先に、割れた風景と黒い青年が映る。


「オル、ヴス……」


「無理矢理境界を破ってくるだなんて。まあ、そんな気はしてたけどね」


アーノイスと影はオルヴスの方を向き、影は掴んでいたアーノイスの両腕を離した。その腕は長く、強く掴まれていたのだろう、手の型が赤く残っている。影は不敵に笑いながら、オルヴスを見ていた——が、既に彼はその視界には居なかった。影の体が斜めに六つに裂ける。


「……え?」


何が起きた、と影の瞳が辺りを見るが、人の持つ180度弱の視界には彼女の背後に立つ彼の姿は見る事が出来なかった。六つに分かたれた影の体は地面に落ちず、空気の中へと掻き消える。


「大丈夫ですか? アノ様」


二人になり、オルヴスは膝をついて、未だ蹲るアーノイスへと問う。状況がよく理解出来なかったアーノイスは数度瞬きしてっから、ようやく眼の前にオルヴスが居る事に気付いた。


「なんとか……って」


何を思ったか、アーノイスは勢い良く立ち上がって一歩飛び退きオルヴスと距離を取る。二、三度首を巡らせてから彼女は口を開いた。


「貴方は本物、よね?」


質問の意味がわからずオルヴスは数瞬頭上に疑問符を浮かべた後、くっくっと押し殺した笑い声をあげた。


「本物ですよ。本物の、従盾騎士オルヴスですよ」


いつものアーノイスであれば彼が笑っていた事を咎めるなりするのだろうが、今ばかりはそれもない。むしろ、彼が現れてくれた事による安堵でいっぱいだった。


「良かった。ありがとう。えっと、後はメルシアかしら」


「ええ。ここに長居する理由もありません。早々に——」


台詞言いかけ、オルヴスは口をつぐみ、振り返った。一体何処から現れたのか、彼と、彼の行動を追ったアーノイスの視線の先には先程オルヴスによて切り裂かれた筈のアーノイスの影、そしてチアキの両親という人物がいた。


「しつこいですね」


「私達はお前らの魂の影」


「貴方がたが此処に居る限り何度でも現れます」


「そういう事よ」


三者三様に言葉を吐く影に対し、オルヴスは無言で自らの姿を魔狼へ変化させる。アーノイスも光糸を発動し構えをとった。


「でしたらこの空間ごと消し飛ばして差し上げましょう。そうすれば何の問題もないでしょう?」


「まあそう慌てないで。ねぇ、アーノイス」


アーノイスの影が、また不敵な笑みを浮かべてアーノイス本人の名前を呼んだ。自分自身に名を呼ばれる気味の悪さに、彼女は渋面する。


「さっき私が言った事、覚えてるかしら? いえ覚えてるわよね。だって私覚えてるもの」


「一体何が言いたいのよ」


婉曲な言い方をする影を急かすアーノイス。影は、酷薄な笑みを一層深くした。


「聞いてみればいいじゃない。今、ここで。貴女の隣にいる人の正体をさ」


そして、影はオルヴスへ向けて指を差した。アーノイスは動揺を顕わに眼を見開いて影とオルヴスとを交互に見やる。オルヴスは差された指先を見つめながら、何処か複雑な表情をして、目を伏せた。


「ここは魂の鏡。だから絶対に嘘は吐けないわ。ほら、チャンスだと思わない?」


二人が動じているのもお構いなしとばかりに影は告げる。アーノイスは言葉が出なかった。影が言う事だけあって、オルヴスの正体が知りたいというのは本心であったからだ。同時に、恐怖感と、罪悪感もあった。それを知ってしまったら、何かが壊れてしまうような、そんな気がしていたのと、それを知るつまりはこんな場所と状況で彼を問い詰めてしまう事への後ろめたさだ。


「何怖がってんの? 別にいいのよ? 貴女が聴けないって言うなら私がここに何故かいる二人に聞くから。だって、私も知りたいもの」


指さしをやめて、今度は彼女の両脇に立つ一組の男女を指すように両腕を広げる。救いを求めるかのような瞳でアーノイスはオルヴスを見たが、彼は何も言わない。何を訴えるわけでもない漆黒の瞳が、アーノイスを映していた。しじまが流れる。気まずく、無遠慮な沈黙。アーノイスは歯噛みする。どうしたらいいのか、わからない。聴きたいという自分のつまらない欲求と付随する自己嫌悪、さらにはその問いに対する答えを知る恐怖に苛まれて、目線を落として頭を抱える。どのくらいの時が流れたか。一向に進もうとしない状況を見兼ねたか、ようやくオルヴスはその重い口を開いた。


「……良いですよ。アノ様。貴女がお聞きになるのであらば、お答えしましょう」


その台詞にアーノイスははっと顔を上げた。黒い双眸と視線が交差する。その瞳は、困惑が奥の方へと宿っていた。


「アノ様の従盾騎士になってからもう大分経ちました。いい加減に、全てを話しても良い頃かと思ったんです」


頭を振って、オルヴスは何かを振り切ろうとしているように、アーノイスには見えた。だが、彼女はもう止まらなかった。戸惑いながらも、オルヴスは了承してくれたから。卑怯だとは自覚している。それでも。アーノイスは、彼を従盾騎士として以来、ずっと胸の内に貯めていた思いを吐き出す。ぽつりぽつりと。


「……私はずっと、それこそ貴方が数年前のあの日、御前試合に現れた時から今までずっと貴方の事を疑ってきたわ。いいえ、疑ってきたっていうのはおかしいかしら。貴方に思うところがあったの。それもあったから、私は貴方を従盾騎士にすると宣言したの。側に居れば、わかるかもしれないって……でも、結局確信が持てないままこんな事にまでなってしまったわ」


アーノイスの手がオルヴスの手を握る。震えていた。どちらがかはわからない。ただ、その震えを感じてアーノイスは、今自分が言い知れない怖さを抱いているんだと自覚する。喉につっかかりそうになる言葉。幾度となく呑み込んで来た言葉を、彼女は心の中で反芻し、そして吐露した。


「ねぇオルヴス。貴方は——チアキ、チアキ=ヴェソル=ウィジャなの?」


再び周囲が静寂に支配されていく。アーノイスもそれ以上は言わず、ただオルヴスの返答を待った。影も、今ばかりは余計な口を開かない。そもそも彼女らと同一の魂なのだから、この状況で無駄口を叩くという思考がまず働かないのかもしれない。風景だけであるレラの高台たるこの場所にはそよ風すらも吹かない。そんな完全な静寂を、オルヴスは一時呑み込んで、そして答えた。問いは予想出来ていたのだろう。事の他滑らかに、オルヴスは言う。


「僕は、かつてチアキ=ヴェソル=ウィジャと呼ばれていた少年でした。アノ様、貴女の知るこの場で貴女と共に一月を生き、その後、ロロハルロントのウィジャ家屋敷にて処刑された少年の、成れの果てが僕です」


アーノイスは、言葉を失った。彼が何を言ってるのかわからなかった。答えは肯か否のどちらかだと思っていた。それなのに、彼の答えは違う。

そしてその思考の補填する間もなく、絶句する彼女の耳が、轟音につんざかれた。

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