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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
七章 影と真実
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―クルス―

「なるほど。それでこの森で休んでたってわけね」


ココが語った事情、それは穏やかではないものの、彼女に非があるとは一概には言えないものだった。

彼女は日課である愛馬のクルスの散歩中、霊峰の中腹辺りから霊術と思しき火球が襲ってきたのだという。主人を庇ったクルスのおかげでココ自身は無傷だったが、代わりに天馬の片翼が焦げて飛行不能になってしまったのだという。

言葉の真意を表すように、ココがクルスと呼ぶ天馬の右の翼を撫でる。切れ長で冷たい印象を与えるだろうブルーの瞳が、心配の色を覗かせていた。


「アングァストから火球……ですか。あの山は地元の人間も滅多に昇らない場所だと聞いていますし」


「うん。それも、海岸側から」


オルヴスの言葉に続いたココの補足説明に、彼とアーノイスの二人は眼を見開いた。アングァストは急峻な大山である。コルストのあるこの寒帯の気候も加え、登山には常に危険が隣り合わせと言える場所だ。しかしながら、歴代の鍵乙女が登ってきたということもあり、比較的登りやすい山道は出来あがっているのだ。だから、アングァストが完全に無人であるとはいえない。だが、ココの言った火球の発生源は海岸側。コルスト側からならともかく、アングァストの海方面の傾斜は人が登れる、登ろうとするような場所ではなく、完全な断崖絶壁だ。数度山の頂上に行ったことのあるアーノイスとオルヴスはそれをよく知っていた。


「ふむ。これはあんまり嬉しくない事態ですねぇ」


ただでさえ幻獣の飼い主という怪しさ満点の人物がいるというのに、と言外に加えながらオルヴスは溜息を吐いた。こんなことならばアーノイスを止めていた方が良かったのかもしれないと思う事半分、まだ相手の話しを聞こうというアーノイスが居て良かったと思う事半分。

従者がそんな事を考えているとも露知らず、アーノイスはアーノイスで思索を巡らせていた。未だにココ自身の身分とか住居地等々わからない事は多いが、彼女が嘘さえ吐いていなければアヴェンシスの人間だろうとノラルの人間だろうと、何者かの手による被害者ということになる。本当に心配そうに己の天馬を見つめる女性を見れば、これが何か裏のある事態だとは彼女には到底思えなかった。


「でもここに留まるってわけにもいかないし……」


今はまだ雪が降って来ていないが、空を見上げればそこはギリギリで持ってそうな曇天だ。いくら幻獣が生命力の高い生物だとは言え、この環境下でさらには怪我まで負っていて、そのうち回復して飛び立てる、とはどう考えてもならない。


「クルス、痛むの? まだ飛べない?」


「……申し訳ない我が主。右の翼に感覚が無い。これでは風を纏えぬ」


「…………へっ?」


ココの言葉に応えた、凛とした男声がアーノイスの耳に届くと同時、彼女の思考が停止して体も硬直した。間を置いて隣に立つオルヴスを見る。目を閉じ、右のこめかみを掻くいつもの癖を見せながら、やはり何か思案しているらしい。続いて地面に膝を着くココを見た。相も変わらず愛馬の羽根を撫でて、優しくも悲しんでいる視線を注いでいる。最後に天馬を見た。白い瞼に囲まれたシトリンのような瞳を覗く。その目を逸らして、今度は自分の周囲360度を見渡した。何もない、先程自分が吹き飛ばした木々とそれを囲う木々があるだけだ。


「…………え?」


再度、天馬に視線を戻す。再度、目が合った。


「嘘。今、貴方喋っ――」


「僭越ながら鍵乙女殿。我ら天馬族は人語を解し」


「喋ったぁぁぁあ!」


静かな林内にアーノイスの悲鳴のような絶叫が木霊する。近くの木々からは野鳥達が何事かと逃げるように飛び立ち、周囲の草むらからは小動物が警戒に顔を覗かせ始めた。


「?……クルスは喋るよ?」


「え、ええ……天馬は人語を解する幻獣です。幻獣の中には彼らのような種族も少なくないと言われていますよ」


「ふぇっ!? そ、そうなの? へ、へぇー……へぇー」


小首をかしげるココと、大声を挙げたアーノイスに対する驚きが抜けてない顔で話すオルヴスの言葉を聞き、どうにか落ち着きを取り戻し――膝を折って天馬の顔をじっくりと覗くアーノイス。


「……鍵乙女殿。そう凝視されるのはあまり得てではないのだが」


「アーノイス、クルスいじめちゃ、ダメ」


「べ、別にいじめてるわけじゃっ――て、ちょっと待って」


虐めているとの指摘を受けて反射的に目を逸らしたアーノイスだったが、それはほんの一瞬だけで再び視線がクルスの方へと戻る。先程の興味本位的なものではなく、真剣な眼差しであったが。


「何で貴方、私が鍵乙女だって知ってるの」


アーノイスがこの森に入ってからそう名乗った覚えはなかった。外出する時は必ず顔隠しのフードをつけている。今もだ。ココに気付いた様子はなかった。まあ、彼女の場合気付いたとしてもそれが表立った反応に見られるとはわからないが。ともかく、素顔をさらしていない筈なのに見知らぬ人間に鍵乙女である事がバレたのはこれがはじめてだった為、語気が意図せず高圧的なものになり、立ち上がって思わず視界の半分以上にかかっているフードの端を顔を隠すように引っ張ってしまう。


「顔を見なくとも我ら天馬族にはわかる。風が伝えてくれる。貴方が鍵乙女だと」


答えは簡潔で尚且つ思考を見透かしたようなものだった。幻獣とは、心の機微にも敏感な生き物なのかもしれないとアーノイスは想像する。鍵乙女ということが露見したことについてはそう深く考えていなかった。クルスの言葉を聞いてもココの表情は相変わらずだし、クルス自身もそれがどうとうことではない、といった雰囲気を出しているからである。


「まあ、バレてしまった事は仕方有りません。アノ様、これを」


オルヴスも別段警戒する風でもなく、ベルボトムのポケットから小さなガラス玉を一つアーノイスへ見せた。それは、アーノイスにとっても見覚えのある、メルシア謹製の瞬間移動のアイテムであった。オルヴスの意図を理解したことを首肯で伝えると、彼はアーノイスの耳元へ口を寄せて小声で言葉を続けた。


「アノ様の方でメルシアさんの元へ行けた筈です。幻獣の治療をしてもらいましょう。流石に教会へ連行するのはリスクが高い」


言わなければ伝わらない箇所をオルヴスが告げ、アーノイスは了解の意を込めて再び頷き、いつものワンピースの上に羽織っている外套のポケットへ手を突っ込み、軽く霊力を流す。使い方はこれであっていた筈、と彼女がそんな事を考えると同時、光がアーノイスの全身を包み、一筋の閃光となってコルストの方向へと空高く飛んでいった。


「どうした従盾騎士殿。まさか、正体が露呈したからと逃走を図ったつもりか」


「いいえ。どうやら貴方がたを危険視する必要はないと判断したので、貴方の治療が出来る人物を呼び言ってもらっただけですよ。安心してください。腕は確かですから」


「食えん男だ……いや、フェルか? 人間が発する霊気にしては濃すぎる。何者なのだ?」


「それは貴方がたが正直に話してくれたら、僕も話す事にしましょうかね」


警戒と疑念の台詞と眼差しを向けるクルスに、オルヴスはいつもの笑みを浮かべながら返答するのだった。

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