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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
七章 影と真実
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―不変―

霊峰アングァスト頂上。掲剣騎士等の教会関係者であっても滅多に立ち入る事のない場所に、グリムは辿り着いた。その高さは既に雲を突き抜けて常に陽光か月光が指していて明るく、辺り一面の銀世界がさらにそれを強調する。そんな白銀と青空の世界にあって、ただ二つだけの存在が異彩を放っていた。

一つは、漆黒の巨大な門。もう一つはその門に手を当て何やら瞑想をしている様子の金髪の女性――メルシアであった。

その姿はいつもの童女の物ではなく成人した大人の方であり、微弱に光る金の長髪が霊気を表し、彼女が何かしらの術を行使しているのだろうと推測させる。ここ一月、彼女は毎日のようにこの場に現れ、そして何かを成そうと門に手を翳していた。何かしら術を施そうとしているのだろうが、唇の動きが速過ぎるのと声が小さすぎるか発音していないかのどちらかのせいで、メルシアが何を目的にしているかはわからない。

――元々霊呪術に疎い自分にはわかる筈もない。

そうグリムは考え、それでも彼女の邪魔にだけはならないよう、静かにメルシアと門から少し離れたところに腰を下ろした。別段急かす用事もない。彼女とて彼の接近気付いているだろうから、それ以上の事は必要ないだろう、とグリムは呆けてどこまでも青い空を眺めていた。


そこは行こうと思えば行ける場所であった。霊力を足場に、もしくは霊気を纏って空を飛べば、その青い空にどこまでも近づける。今よりもだいぶ昔、それこそグリムがまだ子供であった頃、彼は同じような事を教会の庭から空を眺めて考えていた。そうすれば会える気がしたのだ。己のせいで二度と会えなくなってしまった、その人に。しかしその当時のグリムには空の向こうまで行く術は無かった。高く昇れば昇る程、空気は薄くなり温度は下がって行く。それに適応する為には体に通す霊力を強くしなければならない。と同時に足元か全身に巡る霊力の調整をしなくてはならない。子供の頃にグリムは、確かに強大な霊力を持ってはいたものの、その扱いが上手いとは世辞にも言えるものではなかった。戦いの時は常に全力で相手にぶつかって行くだけの荒削りで力任せなものであり、故にただ空へ昇って行くという単純なよう見える事でも、霊力の繊細なコントロールに欠ける彼には出来なかったのだ。

今は無論、やって出来ない事は無い。だが、彼はそうはしなかった。例えどこまでも天へ昇ってみたところで、己の望ものがそこにはない事を知ってしまったから。同時に、地上として最も高いこの場所からさらに昇って行くのも、それはそれで嫌な気がしたのだ。せっかく、地上の中で最も空に近い場所なのだから、と。


「駄目、か……」


メルシアがそう呟き、門から手を離す。その顔には口惜しさが滲み出ており、美麗な風貌に影を差していた。

声に反応し、振り向いたグリムにはその表情が何か思い詰めたようなものに見えた。


「ようメルシア。珍しいじゃねぇかそんな気張っちまってよ」


そんな顔をただ見ているのも居心地が悪くて、なるべく明るく努めてグリムはメルシアに声を掛けた。


「グリム……今日も来てくれたのか」


しかし対するメルシアの口調にいつもの元気さはない。眼が笑っておらず、口元の形だけ笑みを作っている様はどうにも無理をしている姿以外の何物にも見えなかった。

メルシアは門から離れ、岩に腰かけていたグリムの側まで歩いてくる。そしてそのまま数秒、作り笑いすらも消したシンとした顔でグリムの事を見つめていた。


「何だよ。俺の顔に何かついてんのか?」


黙って見つめられるという気恥しさに負け、グリムが口を開く。


「ああ……ここにちょっと煤が付いてるぞ」


柔らかく滑らかな指先がグリムの右頬に触れて何かを擦り取る。半ば冗談気味に、というかこういう場合に使う常套句だと思っていた台詞にまともに返答をされたのと併せて、グリムはなんと言っていいかわからず二の句が継げなかった。


「訓練も良いがほどほどにするんだぞ。怪我でもされたら困る」


「……するかよ。相変わらずてめーは心配性だな」


メルシアの行動と台詞をようやく呑み込み、グリムは照れから顔を背け、立ち上がる。その背中に溜息を吐きながらもしょうがないなとの視線を向けるメルシアが、ふと目を伏せた。


「なぁ、グリム」


語りかけるような、縋り付くようなそんな声にグリムは反応こそ見せるものの言葉を返さない。それでもメルシアは続けた。


「お前は私を軽蔑するか? もう……全部分かっているんだろう。その槍がきっと伝えた筈だ」


言われてグリムは視線を自分の右手に落とす。そこに、彼女の言った槍は同化されていた。

霊気は万物に宿るエネルギーと言えるものであるが、それは人で言えば指紋や網膜のように同一のものが存在しないと言われている。だからこそ、グリムとメルシアのように同じ人であっても違う存在であると言えるのだと言う。つまりは個と個を分ける絶対的な指標であり、故に存在が根本的に異である二つの物体が完全に混じり合う事は無い。霊子で造られたものを術によって分解し上手く体に同調させるすべがないわけではないが、グリムはそんな小難しいことはしていないし出来ない。だが彼は槍そのものを自らの体に“同化”させていた。そこから導き出される答えはただ一つ。その十字の赤槍とグリム自身は同一の存在だという事だ。

常識で考えれば有り得ない答え。だがグリムはそれを疑う余地を持たなかった。メルシアからこの槍を託されたその時も、そして今尚、槍がグリムに伝え続けてきたのだ。かつての持ち主に振るわれていた時の記憶その最期までと、その時の想いまで余すことなく全て。普通ならば、それら全てを幻想だと笑い飛ばすのが通例だろう。だが、他ならないグリム当人にはわかってしまうのだ。槍の見せる光景が聞かせる言葉が焼き付かせる想いが全て“己”のものであったのだと。


「別に軽蔑なんてしやしねーよ」


唐突に、槍は彼に伝えた。この槍の振るわれていた千年もの昔のこと。その時の持ち主の名、グロウ。そしてその男と共にいた一組の男女ともう一人。少し癖のある黄金の髪を風に遊ばせて、無邪気で不敵な笑みを浮かべる、グリムもよく知っている一人の女性の事。それら全てをグリムは許容した。と同時にいくつか納得もいっていた。さらに。


「悪くない気分だしな」


そう、彼は思っていた。

軽く手を開く。掌に火が生まれ、横に伸びて、紅い槍が顕現した。

陰鬱な表情をするメルシアに振り返り、彼女に見せたのは朗らかな、嬉しそうな満面の笑み。その顔と声音が、言葉の真偽を如実に表していると言えた。


「こいつの遺したモンも、お前も、全部俺が背負ってやんよ」


と、グリムがメルシアの方へ振り向いていたのを直して言う。自分が考えていたよりもあっけらかんとした彼の答えと続く行動に、呆けたメルシアは目を丸くした。


「んじゃ、ちょっと行ってくるわ。やーっと鍵乙女様ご一行のご到着だ。いっちょ盛大に挨拶してくるぜ!」


雲を突き抜けている山頂から地表は見える筈もない。だが、グリムは霊気を敏感に感じ取ってそう言い、言うが早いか眼下の雲海の中へと飛び込んで行った。

しばしの後呆気に取られていたメルシアだったが、次第に口元に浮かぶ笑みを堪えられなくなり、一人地表より近い太陽へ顔を上げる。


「本当、お前という奴は……馬鹿野郎だよ」


彼女は笑った。その頬に冷たくない涙を一筋走らせて。

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