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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
六章 記憶と悲嘆
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少女と父王

大国ロロハルロント。世界でも有数の広大な領土にそれに見合う人口と古き歴史とを持つ、ギティア大陸東に位置する巨国である。


その兵力は古今無双とも言われ、王城は世界でも最上位の安全性があると言われている。そこの最上階の一室にロロハルロント国第一皇女アーノイスは居た。


「因みにロロハルロントは中濃ソースが特産品だ!」


「シュウ? 一体どうしたのですか」


「いえ、大事なことなので……」


突然の、それも一月もの長い間の失踪に心を痛めていた妹とその婚約者も共に彼女の部屋に居て、共に茶を嗜んでいた。アーノイスは久しく感じる二人の妙なやり取りを横目に、無事帰還した事を噛み締めていた。だがそれと同時に、どうにも虚無感というか手持ち無沙汰な感覚が否めないでいた。というのも、つい先日までは食糧探しや掃除など、大体の時間を動いて過ごしていた為である。全部が全部、チアキ任せで生活していたわけではない。微力ながらも、彼女は彼女なりに協力していたつもりだ。だからこそ、今のこの全てが用意されてしまっている空間に、彼女は息苦しさを感じていたのだった。


「どうかなさいましたか姉様? 溜息なんて吐いて」


ペルネッテにそう言われ、アーノイスは始めて自分が嘆息していたのだと気づかされる。彼女はそれでも笑顔を繕ったりせず、思わず零れでたような声音で言った。


「チアキ、どうしてるかしら……ってね。考えてたの」


かの少年はアーノイスと共に保護され、共に祖国ロロハルロントへやってきた。高名なウィジャ家の嫡男であり、彼の兄も少し前まで今のこの部屋にいるペルネッテ、シュウ両方の家庭教師を務めていた程の人物である。ただ一つ心配なのは、彼の肉親が誰一人そのウィジャの家に確認されていないという事。共すれば、彼はあの若さで家の主とならなくてはならなくなる。

と、まあつらつらと思うアーノイスであったが、その本当の思惑はそんな小難しいことなど一切関係なかった。ただ、もう一度会って、面と向かって礼が述べたかったのだ。一月という時間、自分が生きてこられたのはひとえに彼のお陰だと、アーノイスは確信している。しかしながら、王族の自分がやすやすとここを出掛けられる筈もなく、会うならば王城に呼び寄せるという、今現在酷く忙しいであろう彼には無理難題をぶつけなくてはならず、そこにアーノイスは溜息を吐いていた。


「気になるのでしたら、行きましょう姉様」


そんな彼女の心労を知ってか知らずか、彼女の妹は突拍子もなくそんな事を言った。隣では、シュウが微かに額を抑えて苦虫を噛み潰している。


「命の恩人に礼を述べに行くのらごくごく自然な事ですわ姉様。道徳的に何ら問題はありません。でしたら、あの頭のお硬いお父様といえど、お止めになる権利はないと考えます」


言っている事は正論のようで突飛している。問題は礼を述べに行くのが、一国の皇女であるという所だ。そこを、ペルネッテは完全に度外視している。

しかし、彼女の姉はそこら辺に疑いをかけられない純粋な性格であった。


「そ、そうよね! お礼を言いに行くぐらい当然よね。ちょっとお父様の所に行ってくる!」


言うが早いか、アーノイスは席を立つと同時に走り出した。シュウが止めようとするも全くもって遅く、ペルネッテに至っては焚き付けた当人である為か満足気に微笑んでいる。


「シュウ、準備なさい」


カップの中の紅茶を飲み干して告げるペルネッタ。声のかかった少年は肩を落としながら返事をした。


「国の皇女がたった独りで城外に出られる筈がないから護衛を集めてウィジャ家へ行けるよう準備しろ、って事ですか?」


「ご名答。流石私の婚約者ですわ、シュウ」


ご満悦なペルネッテを尻目に、シュウは人しれず嘆息するのであった。








「お父様!」


身の丈の三倍はあろうかという扉を、半ば体当たりで開けながらアーノイスが飛び込んだのは王の執務室。彼女の父たるロロハルロント王が普段この場所に座している事を熟知しての行動であるが、無礼も無礼、慇懃も慇懃なその行動に父王は眉をひそめ、来客中だったのだろう、王の傍に立つ大臣は咳払いをし、跪いて居た黒灰色のローブに身を包んでいた男も振り返ってアーノイスの方を向いていた。


しかし、そんな事を気にするアーノイスではない。既に思考は一色に染まっている。


「お父様! ウィジャ家の屋敷は何処へ有りますの? 私お礼を言って参ります」


「では、私はこれで……」


「ああ。早急に頼む」


アーノイスの問いに、場の三人は誰も答えず、ローブの男はそそくさと彼女の横を過ぎて謁見の間を後にし、王は何事かその男に呟いていた。逆に、王座の前へ少女は進む。


「アーノイス姫、どうしましたそんなに慌てて。今は来客中だったのですぞ」


男が居なくなったところで、大臣がそう小言を飛ばした。アーノイスはこの、前頭部の薄い、残った髪と髭を真っ白くした老人がどうにも苦手だった。子供であるし、説教じみた相手を嫌うのは普通と言えるが。


「大臣、今はあなたのお小言に付き合ってる暇はないの。私はすぐにでもチアキに--」


「ならん」


アーノイスの言葉を遮ったのは、王であった。威厳と威圧に満ち満ちた声に、アーノイスは一瞬押し黙る。だが、ここで引くわけにはいかないと睨みつけるように顔を上げた。


「……何故です。彼は私の命の恩人です。恩人に礼を尽くすのは当然の事では有りませんか!」


「姫様、実はですな……」


「よい。私から話そう」


神妙な面持ちで口を開いた大臣を、またも王が遮った。ロロハルロント王は酷く厳格な人物であると民衆にでさえ知れ渡っている。それは、例え血を分けた家族であろうとも変わりはしない事を、アーノイスは知っていた。そして、普段は王らしく、泰然自若として雑事の殆どを臣下へ回し、上手く人を使っている事も。その人物が今、直接何かを伝えようと身を乗り出している。アーノイスも、自然と居ずまいが正されるというものだった。


「アノ。お前は今、恩人と言ったが、それが誰の事であるか、一応聞いておこうか」


「チアキです……チアキ=ヴェソル=ウィジャ。彼はかのレラの村にて」


「やはりか」


「お聞きくださいお父様!」


問いに対する答えをまたもや一言に伏そうとする父に、アーノイスは憤慨して声を荒げた。一体、何がわかるというのか。あの無人の村での一月の、一体何を知っているというのか、アーノイスの頭はそんな父への嫌疑でいっぱいだった。


「彼は、チアキは何も出来ぬ私に、嫌な顔一つせずに寝食を整え共に居てくれたのです! 自分一人ならば、すぐにでもあの村を出れたでしょうに。今私がここにあるのはひとえに彼のお陰なのです! それを否定する事はお父様と言えど許されるものではありません!」


上がった息を整える為に肩で呼吸するアーノイス。

しかし、数秒の沈黙の後に開かれた王からの言葉は固くそして冷たかった。


「そうだな。それだけが事実なのであればな」


なにを、とアーノイスは反論したかったが、乱れた呼吸では矢継ぎ早に告げられる王の台詞に追いつけない。


「アノ。よく聞け。一晩のうちにレラの村民全てを闇に葬ったのは他でもない。ウィジャ家の策略だったのだよ」


少女は絶句した。まさかそんな事、万が一にも有るとは思っていなかった。ただ彼女は自分の恩人に礼を述べに行く事を伝えにここに来ただけだった。それなのに、何故こんな事になっているのか。借りに止められるとしても「皇女として~」といつものお小言を言われるだけだと、そう考えて。


「アノ。お前が生きてここに帰ってこられたのは偶然の産物に過ぎん。ウィジャ家は古くから力を求めてきた一族の末裔だ。お前は、この世界絶対唯一の烙印術を持つ乙女。お前が言っていた“恩人”の思惑も烙印術を狙っての事だろう。つまりお前を救ってくれた少年など最初から--」


「ふざけるな!」


今度は、アーノイスが王の台詞を遮断する番であった。怒りと悲しみと憤りに満ちた視線を父へ、王へ突き立てる。


「何を根拠にそんな暴言が吐けるというのだ? 霊魂を操る--即ちは命を意図も簡単に左右するのが奴らの術。レラの被害は、肉体からの死ではなく、魂の死であったと兵から報告が上がっている。魂だけを殺すなど、そんな術はウィジャの交霊術以外になく、現場にはウィジャ家の嫡男がいた。これだけの状況があれば愚人にも判断がつこうというものだ」


しかし、王は既にアーノイスの事など見てはいなかった。頬杖をついて明後日の方角を見るともなしに眺め、淡々とまるで既に用意されていた台本を読み上げるかのように言い放つ。


「……例えあなたの言った事のどこかが真実だったとしても」


重苦しく口を開く少女。その脳裏に、言葉がリフレインする。


『うん。だって、その為に従盾騎士っていうのが居ると思うんだ』


『ふふっ、じゃあチアキは私を護ってくれるの?』


『アノがそれを望むなら』


確かに感じ、そして疑いなく信じた少年の心と優しさを。


『だって、アノを守るのは僕の役目だからね』


少女には、否定する事など出来はしない。


「彼は確かに私を護ってくれた。それだけは譲らない。嘘だなんて言わせない。絶対に!」


強く、アーノイスは言い切った。わかってもらおうなどとは欠片も思わなかった。ただ、言ってやりたかったのだ。そうして、少女は踵を返し謁見の間を去ろうとする--その間際。王は言った。


「ウィジャの屋敷は裏門を出て真っ直ぐだ。行くのならば好きにするが良い」


「王! どういうおつもりか!」


その発言に、それまで黙していた大臣も慌てたように口を挟むが、王はまるで気にしていない。


「まあ、既に会う事は出来んだろうがな」


そう言い切り、王は会話がはじまってはじめて笑みを見せた。それは、どうしようもなく酷薄で邪気に満ちたものであったが。


「あなたという人は……っ!」


アーノイスは走り出した。王の言わんとする事を理解し、憎悪にも似た感情を湧き上がらせて。

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