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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
六章 記憶と悲嘆
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少年と禁呪

半裸の少年が両の腕を広げ、力なく首をもたげて中空に磔にされている。彼の上下前後左右には黒紫の光により描かれた呪印が展開されている。数本の蝋燭のみで、何の変哲もないただの室内が禍々しく妖しげに演出されていた。部屋の中には磔の少年の他に一組の男女が分厚い本を片手に何事か呪文を唱えている。それぞれ違う台詞と唱えているようなのに、それぞれが独立しては聞こえず、調和を取って一つの言語にも思える。


「チアキよ。準備は良いか?」


威厳のある男の声が、磔の少年へ向けてそんな言葉を告げた。チアキはそれに言葉での返答はせず、沈黙にて是とする。


「はじめます」


次に女が口を開き、本を閉じた。詠唱に力が籠り、展開された呪印にもさらに強く光が放たれはじめる。そして、霊陣が中心の少年目掛けて衝突した。纏わりつく光が彼の中に入り込もうというか、蠢く度にチアキは痛みを感じているのか、苦悶の表情をするが声は上げない。その声が詠唱の邪魔をするかもしれないとわかっているからだ。徐々に徐々に黒紫の色が彼の中に潜り込んでいき、白い煙のようなものを立ち昇らせた。それを確認した男女の詠唱の調子が、殆ど張りあげるような声音に変わって激しさを増し、呼応するかの如く白煙が闇色の靄へと染まった。伴って少年の苦痛も増し、冷や汗を噴き出して歯を食いしばるが、決して呻きなどは漏らさない。チアキに纏わりついていた光が少しずつ靄に侵されて輝きを失い、少年の体内へと閉じ込められていく。その全てが消え、チアキは床へと崩れ落ちた。儀式が終了したのか、呪文を唱える声もなくなっており、チアキもまた鬱積した苦悶を吐きだすように息を荒くする。


呪印交霊カース・イヴォル。霊と交わり命を喰らう禁じられた術。故に、その力は絶大だが」


「貴方なら制する事も出来るでしょう。チアキ」


チアキが男女の言葉に返答をする前に、彼の体を数本の手が突き破っていた。胸部の辺りから蠢くように突き出る漆黒の、指先の尖った人に似て非なる形をもった“魔手”。


「ほう……これが。なんと禍々しくも力強い姿か」


男が、感嘆したようにその光景を眺める。女も満足そうに頷くだけで、誰もが、少年の垂れた頭と腕に貫かれた胸の内を知ろうとはしない。だからか、既にはじまっていた異常に彼らは気付かなかった。

少年の体が持ち上がる。天井を掴まんと伸びた腕に引っ張られるかの如く。そして、次の瞬間。折れ曲がった黒手が己の宿主以外の二つの命を襲った。上から、まるで押し潰すように男と女を覆い尽くしたかと思いきや、その体を“崩す”。二人の体は、肉体という入れ物のたがを外されたように、個体とも液体とも取れない形に融解して床にゲル状の水たまりを形成していた。その光景を見る少年の眼は確かに悲しみが浮かんでいるというのに何処か無機質で、冷たかった。






時は既に深い夜となっていた。少年は、まるで胸部から生え、また今も尚次々と這い出るその手に引きずられるかのように屋外へと出ていた。“手”は命を求めているようで、地べたに生える草ですら襲い枯れさせて、彼の歩く地べたは生気を失って罅割れて行く。


「く、来るな、来るな化物っ!」


「なんだ、なんなんだよこれは!」


老若男女を問わず、彼の耳と心の中に人々の阿鼻叫喚の声が響き渡り突き刺さる。“手”はまるで生きている存在そのものに怨恨でもあるのか、宿主たる彼自身が感知出来る範囲に何かしらの生命体が入ると共に襲いかかり、その度に空気を震わす悲鳴と胸中に木霊する悲鳴が続いていた。草木が地面が人が、死んでいく。自分の意志ではないのに自分の所為で。そんな光景を体感し続ける少年の瞳にももはや生気はなかった。虚ろで、困惑と諦観と絶望とを入り混ぜた色をしていた。


――そして少年は、彼女の元へと辿り着いてしまった。


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