―力―
べちゃり。熟過ぎた果実を落としてしまった時のような、はたまた溶けかけの積雪を潰した時のような水音が、アーノイスの胸の当たりで響いた。嫌に生暖かく、それなりに重たい何かが彼女に張り付いている。それはゆっくりと胸元をずり落ちて、やがて地べたにてまたさっきと同じような音を出した。自然と、アーノイスの目線が足元のそれに移る。草原と似た色で広がるウェーブのかかった、ほつれた毛糸玉。その中心は濡れているようでぐちゃぐちゃだ。
ゆっくりとアーノイスの顎が持ち上がり、再び正面を向く。そこにあるのは何かを守ろうと両の腕を広げたまま立ち尽くす人型の残骸。頭部があった筈のその場所は雑に削られ、敗れた皮膚から首の骨が除き、そこから上がない。その代わり、先ほど地面に落ちていた糸の束を口から垂らした巨大な蛇の頭が浮いていた。そして、人型は最期の姿をアーノイスに焼き付けた事に満足したのか崩れ落ちる。力無く倒れ行く、がそれを許さないとでもいうか、四方から飛来した無数の蛇がもはや骸である肢体を貪った。為すがまま、一瞬の内に蹂躙されていくリシェーナのものであった筈の躯。乱雑に食い散らかされた欠片が、
アーノイスも足元へいくつも飛んで行き、そのうちの何かが彼女の頭に当たる。それ程の衝撃があったとは思えないが、大きく仰け反った。天を仰いだ彼女の瞳は虚ろなガラス玉。硝子の写す空には、複数の異形と、それに対峙する自分の従者の姿が入り込む。
--自分に、彼のような強さがあったなら。
異形も彼すらもが彼女の視界を外れて行く。背後の景色を半ば映しかけ、アーノイスの動きは止まった。
--強さ。力。力なら。
「力なら、ある」
それは、全ての命を救う術だと教えられた。千年もの昔から、世界のあり方さえ変えた、そんな力。何故そんなものが自分に背負わされてしまったのか、未だに彼女はわからない。けれど、その運命に皮肉ながら今、彼女は感謝した。
「ディ・オフ……」
紡がれる言霊。輝き出す刻まれし烙印。
「ネイクロウ」
掌に生まれた光の剣を、アーノイスは振り翳した。