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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
五章 苦痛と悲哀
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―赤く―

「ふぃー。間一髪ってところかぁ?」


間の抜けた、不真面目そうな男の声がし、てアーノイスは瞳に映るだけで意味を成していなかった景色に再度意識を通して確認する。地べたに座り込むリシェーナの眼前に、何か見えない力とせめぎ合い、中空に浮かぶ一本の手斧がある。


「……バーンさん!」


「ご機嫌麗しゅう鍵乙女サマ。危ないから下がってておくんなまし、っと!」


ばちり、と電流が弾けたような音を響かせて手斧が空を飛んでバーンの手元へと返る。翳刃騎士隊長たる彼はいつも通りのどこか気だるげな雰囲気を漂わせているものの、一応やる気はあるらしい。その隣には同じく翳刃騎士のアンナが己の得物である鎖付きの鉄球を構えていた。


「全く、逃げるなら逃げるで敵の結界くらい避けて逃げてよね。おかげで探すの手間取ったじゃない」


結界。愚痴るようにアンナが言った台詞の中のそれに、アーノイスはハッとした。恐らく、あの異形から逃げる際にまんまと敵の結界の中に入ってしまったのだろう。その証拠にか、自分達を追ってきたのは少年と少女だけだ。


「術士の方はガガが探してるからな。時間の問題だろ。んじゃまあ俺達はお子様の相手をすりゃいーかな?」


言いながら、バーンは手斧をもう一丁取り出し、両手でジャグリングをはじめた。一見ふざけているのかと見受けられるが、それが彼の戦闘スタイルだ。


「なんだか邪魔が増えてきたねマルガ」


「うん。でも、皆遊んでくれるんだよね? ジェイ」


「そうだねマルガ。あのおじさん、つよそうだね」


新たな闖入者に一瞬だけ不服そうな顔をした双子らであったが、すぐに狂気の笑みにその幼顔を歪める。


「おいおい。俺はまだおじさんなんて年じゃねーんだけどなぁ」


「子供から見たらおじさんでしょ」


「うん。お髭ある人はおじさんなんだって、ナツが教えてくれたの」


「ナツっていうのはさっきのメイド服の人の事かしら?」


突然ながら現れてくれた味方に、アーノイスは幾分か冷静さを取り戻しながら口を開いた。


「ううん。あっちはユレアさんだよ」


「あら、そうなの」


答えながら、アーノイスはゆっくりと歩を後ろへと運んでいる。会話などただのブラフだ。味方が来たということに慢心し、余裕があると見せかける為の。翳刃騎士は教会の中でもすぐれた騎士にしか勤まらない役目故に、いくらなんでも子供相手に遅れを取るとはアーノイスは思っていないが、よしんばそうでも今現在どこに潜んでいるかわからないユレアというらし女、そしてそれ以上に先程現れたフェルが相手では安心など出来る筈もない。


「でもいいのかしら貴方達。そのユレアさんとやらの近くに行かなくて」


視線は決して双子らから外さずに、言葉を盾にしてアーノイスは気付かれないよう、リシェーナの手を取って立たせ、背後へと匿った。


「大丈夫。この結界はユレアさんが作ったものだから。結界の中で起きる事は全部筒抜けなんだ。ね? ジェイ」


「うん。マルガ」


成る程、とアーノイスは心中で得心した。だから、この双子は結界の術者でもないのにこの深そうな森の中で的確に自分達を追ってこれたのだ。という事は、ユレアは案外この近くに隠れているのかもしれない。


「だから逃げようとしても無駄だよ。すぐに、ユレアさんが教えてくれる。入口はあっても、この結界には出口がない」


「それはどうかしらね」


語るジェイの言葉をアーノイスは一笑に伏した。確かに、結界の中に囚われているのならば、逃げ出す事は不可能だろう。恐らく、そういうように有効な術式で組み上げられている筈だからだ。だが、ただ逃げるだけ、それも結界の外へ行くのならば、話は簡単だった。

アーノイスは右手でリシェーナに手を掴んだまま、残った方の左腕を水平に横へ伸ばす。


「……アーペナ・ティクレ」


紡がれた詠唱に反応して光放つ鍵乙女の烙印。伸ばした手の先に現る渦巻く光の円。結界の外への路を“開いた”のだった。鍵乙女の烙印術はこの世全ての霊呪術よりも高位な術だと彼女はずっと言い聞かされてきた。だからこそ重用されるのだとよく理解もしていた。故に、彼らが結界の話を持ち出し始めたその瞬間から、アーノイスはとる手段を決めていた。例え、その高位な烙印術が多大な心身の負担を強いるものだとしても。


「バーンさん、アンナさん。悪いけど頼みますね」


「あいよ」


「さっさと行きなさいな」


「ありがとう」


彼ら二人を共に結界の外へと連れ出してもいいが、それでは意味が無い。ガガが結界の術者たるユレアを見つけているのならば、とも思うがそれを確認する術はない。ならば、戦力にならない自分達がこの場を退避するのが一番の得策だとアーノイスは判断した。


「開き通せ」


次に紡がれた言霊が光渦を動かす。大きく広がった外へと通ずるその“穴”は一瞬にしてアーノイスとリシェーナを呑み込み――世界は赤く弾けていた。







「アーノイスさん危ないっ!」


それは、突然の出来事だった。

ユレアの張ったという結界の外へと出る為にアーノイスが唱えた烙印術は彼女本人とリシェーナを光に包んで外へと運んだ。道を開くという事はすなわち瞬間移動とほぼ同義で、負担はそれほどでもないが、術が完了したその瞬間。アーノイスは襲ってきた頭痛に瞬間的に気をやってしまっていた。それがなければ、否、なかったとしてもこの場合どうしようもなかったか。“それ”にいち早く気が付いたのはリシェーナ。先程まで恐怖に身を震わせていた筈の彼女は、アーノイスが事態の把握をするより機敏に、膝をついていた彼女の前へと立ちはだかっていた。月明かりを受けて目を奪う輝きを放つエメラルドの髪が踊って、アーノイスの視界を隠す。だが、彼女は見た。その翠色のビロードの隙間から覗く、醜悪な異形の姿を。

後悔などしている間もなく対策を練る余裕などなく。あちらにとってもこちらにとっても想定外な場面の筈なのに、異形はまるでそれが予定調和であったかのように的確に俊敏に残酷なまでに淡々と動いていた。

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