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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
五章 苦痛と悲哀
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―友達―

「すみません。本当は私がおもてなしするつもりでしたのに……」


「いえいえ構いませんよ。お家に泊めて頂いているのは此方ですからね」


夕闇も過ぎた頃、三人はオルヴスが作った夕飯に舌鼓を打っていた。


「料理というものは最近はじめたばかりでして……」


申し訳なさそうに小さくなるリシェーナ。聞くところによれば、人魚というのは普通海中ないし水中で生活している為か、料理などせず基本的に生食が普通だという。それでも彼女は地上に上がって料理という物を知り、それに魅せられて目下修行中との事。


「それにしてもオルヴス様の手際には見惚れてしまいました。魚とはあのように短剣は使って捌くものでしたのね」


「あれは包丁というんですよ。まあ、ナイフでも出来ない事はないですが」


三人分の準備をする片手間ではあるが、料理の基礎である包丁の使い方をリシェーナに教えていたオルヴス。なんでも、今までは水霊術頼みだったらしいが、毎度毎度素材が水浸しになってしまうので何か良い方法があるのかとリシェーナが聞いたのが事の始まりだ。因みにその間アーノイスは仲睦まじくキッチンで料理をする二人の姿を、不機嫌そうな半ば泣きそうな、かと思えば空虚な視線で見つめていた。彼女は先天的に至極不器用で、包丁を握らせれば具材に指が混じりかけ、火を使わせればうっかり忘れて鍋を焦がしたりする。故に、厨房には入りたくとも入れなかったのだ。


「料理をするのであれば、やはり幾分か道具も必要になるかと思いますよ。安物でいいとは思いますが」


リシェーナの家は流しはあれど道具類は食器程度しかなく、家の中には人魚だから必要ないらしく暖炉もない。加熱調理の際にはわざわざ外で火を起こしていたらしい。唯一、火の呪術を用いたポットだけがあり紅茶はそれで淹れていた。


「成る程……。凄いですオルヴス様!」


「いや、人間はそうしないと生きる事が出来ないだけでして」


「やっぱり旦那様にするならお料理の上手い方でないと! ねぇアーノイスさん?」


「そ、それは普通お嫁さんの方なんじゃ……」


「人魚の里では皆そう言ってましたよ?」


「……私も人魚に産まれてくればよかったかも」


苦笑いの口元を傾けた食後のお茶のカップで隠すオルヴスと、楽しそうにはしゃぐリシェーナに自嘲気味な笑みをしながら項垂れるアーノイス。賑々しく、夜は更けていった。






――深夜のツバリ湖。

アーノイスは一人、その畔に立っていた。といっても、儀式を執り行うわけではない。今日は元々旅の疲れを一時癒す予定だったからだ。

おもむろに履いて居た靴とその下も脱ぎ捨てて素足になり、静かに水面に足を付けた。何も、投身自殺を測ろうというのではない。水面には同心円の小さな波紋が走り、そして彼女の足はその上に乗っていた。夜という事で少し冷ややかなその感触を楽しみながら、アーノイスはゆっくりと歩を進める。一歩、また一歩と湖面を踏み締める度に、波紋が増えていく。やがて、おおよそ湖の中心に着きそして--乙女は舞いはじめた。


音がする。

リシェーナはツバリ湖の水中で目を覚ました。廃墟と化していた山小屋を一人で修繕して使っている「自宅」はあるものの、そこで眠るという事はあまりしていなかった。人魚の性か、やはり水の中での方が落ち着くからとの理由だ。深夜の水中を覗き込む人間なんてのもそういやしない。当初、オルヴスと一緒のベッドで寝るなどと言っていたが、オルヴスにやんわりと断られ、アーノイスに怒られたという経緯があったりするのだが。そんな事はどうでもいい。水面を叩く、リズムを持った軽やかな音。水の中に響くそれは一つの音楽に彼女には聞こえた。人魚はその音色に誘われるかのように水上へと、音楽を邪魔しないように上がる。その正体が舞い踊る乙女である事を確認するが早いか、人魚は唄いはじめた。


水の音楽と人魚の唄声と少女の舞踏。月下の湖上という舞台で繰り広げられる小さなミュージカルそのものであった。






「綺麗な声ね、リシェーナ」


短い楽劇が終わり、先に口を開いたのはアーノイスだった。


「アーノイスさんも美しい舞いでしたよ」


賛辞に顔を赤らめる少女は、湖面から陸上へと戻り、靴を履かないままでリシェーナの横に腰を降ろした。


「なんか、起こしちゃったみたいね。ごめんなさい」


「いえいえ。湖に何か心地の良い音が響いてたものですから。ついつい釣られて」


言って、小さく舌を出すリシェーナに再びアーノイスは微笑みかける。


「水の中というのは陸以上に凄く音が通るんですよ。だから、人魚の耳は音に、リズムに敏感なんです」


「リズム?」


「ええ。アーノイスさんの水面を叩く足音です」


「へぇ……足音かぁ……」


ステップを踏むその音を印象づけるタップダンスなるものの存在はアーノイスも知っている。見た事はないけれど。いつか、機会さえあればそれを彼女と見に行くのも面白いかもしれな


い。

――なんて、何を私は。

そう頭を振って思い浮かべて空想の未来を否定する。自分にはそんな時間など早々ない。旅が一通り終わればしばしの休みにはなるが、その時彼女が居るのはアヴェンシスでそこまでリシェーナに来てもらうのは気が引けた。何しろ、今は

襲撃者に追われている身。巻き込む事など許されない。


「アーノイス、さん……?」


アーノイスの所作から陰鬱さを敏感に感じ取ったのが、心配の声をかけるリシェーナ。それにどうにか微笑みを返そうとして--アーノイスは止めた。そんな反応をされ、本当に心配に


なったのか身を乗り出しかけるリシェーナに顔を向けず、低く、消え入りそうな弱い声音で言った。


「ねぇ、リシェーナは……鍵乙女って知ってる?」


数瞬の沈黙。突飛な話題についてこれなかったのか、鍵乙女とい単語が彼女ひいては人魚という存在に対してやはり禁句だったのか、考えが頭を巡る。


「……はい。知ってますよ。里の長からは口酸っぱく聞かされた名前ですから」


「どう思っ――いいえ」


どう思っているか、そんな聞き方は卑怯だと、アーノイスは踏み止まった。何故だか、そんな回りくどい言い方はしたくなかった。再びの静寂の後、アーノイスは立ち上がってリシェーナへと向き直る。


「私が、鍵乙女なの」


誰か個人に、それも個人的に名乗りを挙げたのはこれがはじめてだった。そんな事せずとも素顔を晒せば大体ばれてしまうものだから。だが世情に疎い彼女は恐らく知らなかっただろう。故に、アーノイスは名乗りを挙げた。


「え? アーノイスさんが……?」


その顔は驚愕に彩られ、アーノイスは次にどう色を変えるのか怖くて目を逸らした。人魚と教会には確執がある。これは彼女が昼間はじめて聞いた事だ。そして、はじめて人魚に会った。礼儀正しく優しくて、恩を忘れず、唄が上手く、少しだけ嫉妬深いのかもしれない少女に。その少女に向けられていた綺麗な笑みが、憎悪に染まってしまう様をまざまざと想像してしまい、リシェーナを直視出来なかったのだ。


「……すごい」


何を呟いたのか、最初アーノイスにはわからなかった。その後で脳がようやく音を認識したけれど、その音がどんな単語を意味しているのかを理解するのにさらに時間がかかってしまう。


「すごいですアーノイスさん! だって、鍵乙女って世界で一人しか選ばれないのでしょう?」


何を矢継ぎ早に、とアーノイスはそんな事ばかり思って、リシェーナの台詞の意味も質問も受け取れておらず、思わず返答を忘れていた。


「長や村の教えでは、あまり良い印象は教えてもらえなかったですけど、アーノイスさんのような人が選ばれているなら間違いないですね。だって、陸ではじめての私のお友達ですもの」


「とも…だち……」


まるではじめて聞いた単語であるかのように言葉を反芻するアーノイス。思えばずっと、聞いた事も言った事もなかった言葉だったと気付いた。意識もしていなかった。だからか、彼女は自然と浮かんでくる嬉しさと気恥ずかしさに頬を染めて相好が崩れるのを止められなかった。


「ありがとう、リシェーナ」


「こちらこそ、ですよ」


二人の少女はどうしようもなく綺麗に笑いあった。

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