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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
五章 苦痛と悲哀
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―人魚―

ツバリ湖は大陸最大、世界最大とも言われる広大な面積を誇る湖である。その広さはまさに海の如くで、まだ地図もなく、大陸が今よりも謎に包まれていた頃にはここはツバリ湖ではなくツバリ海と呼ばれていたという。湖の端に立っても反対側は水平線の向こうで見えなくなっている程だ。その周囲には様々な樹々が生えており、時期なると赤や黄に紅葉する彼らのお陰で、絶景を拝む事が出来る。観光地にでもなりそうなものだが、今は紅葉の季節でもなく、またここ最近はエトアールの亡霊の件もあり、教会が立ち入りを制限しているので、今現在人影はなかった。


「何よ、だーれもいないじゃない」


「まあ、フラっと現れて出てきてくれるわけもありませんよね」


それが敵対する勢力に属しているなら尚更である。とはいえ、目撃例が出ているという事は割りと頻繁にここには出入りしていると言えるのだが。


「……いる」


そう声を漏らしたのはガガだった。外套の下から緑色の指を一本だけ見せて、眼前に広がる湖の一点--真正面の浅瀬を指差した。

エメラルドグリーンの水の色に紛れるようにしているのか、半球状の物体がそこには浮かんでいる。水面に広がるのは恐らく髪の毛だろう。似たようなエメラルド色だが、こちらの方が濃く、紛らわしいがわからない程ではない。水表から半分だけ出た白い顔、そこに乗るブルーの鮮やかな双眸はオルヴス達三人の事をしっかりと捉えていた。


「うわっ! 居たっ!」


その姿を確認したアーノイスが驚き声をあげる。先程まで居ない、と不満を漏らしていた事も忘れ、純粋に驚いている様子だった。


「え、ええ……居ますね」


オルヴスもオルヴスで、その一見海坊主にでも見えそうな様相に二の句が継げない。

外套に包まれているガガだけが、呆気に取られていないようにも見えるが、それは恐らく見えないだけだろう。


三人を吟味するように視察していた人魚と思しき青の瞳が、見開き、止まる。この場にいる四人の内誰よりも、それは驚きの色を現していた。


その色のまま、彼女は緩慢な動作で陸へと上がってきた。

エメラルドの長く、少し癖のある髪。目は大海のようなブルーで、身につけているのは人の着ける水着のようなものだけ。そして、腰から下は巨大魚の下半身そのもので、器用に浜を擦り歩いている。まごうことなき人魚であった。


「あ、あなた様は……」


唄うような透き通る声が、少しの震えを混ぜて紡がれる。その瞳は外套に覆われた大男ではなく、鍵乙女であるアーノイスでもなく、ただ一人、オルヴスへと向けられていた。


「やっと……やっとお会いできました……‼」


そして。感嘆の声に身も震わせて、人魚はオルヴスへしなだれかかった。


「なっ……なっ……」


「む……?」


「……えーっと」


個々の反応は様々ながら、往々にして絶句し硬直する三人。ただ一人人魚の少女だけが、抱きついたオルヴスにさらにしがみついている。


「……何、知り合いなの? オルヴス」


普段より2オクターブ程低いアーノイスの声音に、オルヴスの背筋が伸びた。


「い、いえ、人魚の知り合いなんて僕には--」


「そんな! (わたくし)の事をお忘れですか⁉」


弁明しようとした彼の台詞を件の人魚が悲壮に満ちた声で遮る。


「なんの事だか……」


「数年前のバレシアナでのあの一夜……私は思い出さなかった日はありません……」


言って、人魚は頬を赤く染めた。いよいよもって、アーノイスの視線が冷たくなる。


「へぇ……そんな事が。一体いつなの? 私に会う前? それとも旅の最中かしら」


「いやいや、人違いですって!」


「いいえ! 間違いありえません! だって、貴方の匂いは昔とまるで変わってませんもの……」


「ず、ずいぶんと情熱的じゃないの……」


「魔狼、見苦しいぞ」


オルヴスの抵抗も虚しく、アーノイスはより冷ややかな目で抱擁し合う男女(彼女にはそう見えている)を睨み、ガガすらも何処か呆れ調子だ。


「ガガさんまで何をっ⁉ ですから僕には見に覚えも--ん? バレシアナと言いましたか?」


珍しく慌てるオルヴスだったが、どうやら何かを思い出したようで、未だしがみ付く人魚を半ば強引に剥がしてその姿を直視する。


「ええ……。はじめて陸に上がりまだ右も左もわからず、亜人という事で物珍しがられ悪漢に襲われていたところをあなた様に助けて頂きました……。その時はお名前も教えてもらえませんでしたが、その艶やかな黒い髪、吸い込まれるような漆黒の瞳。忘れようがありません」


感極まった様子で頬を染め、再びくっつこうとする彼女をさらりとかわし、オルヴスはアーノイスらの方へと振り返った。


「ああー……ということです。僕自身あの時は急いでいたものでよく覚えていませんが、まあ確かにバレシアナでそんな事もあったなぁ、と」


「恩人、というわけか」


「な、なんだ……そうだったの」


誤解は解けた事に安堵するオルヴスであった。となれば一件落着、というわけにもいかない。三人はここへ来たそもそもの目的を半ば忘れかけていた。


「ああ、それで、二三ご質問があるのですが、よろしいでしょうか?」


いつもの調子を取り戻し、オルヴスは人魚の少女へと声をかける。少女は二つ返事で了承すると共に、せっかくだから自分の家まで、と三人を案内するのだった。

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