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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
五章 苦痛と悲哀
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少女と星空

「さて、そろそろ帰らなきゃね」


少女にとっての安寧の時はいつも決まって、少年の一言により終わりを告げる。夕闇が濃くなり、空の橋が蒼に染まり始める頃、少年は必ずと言っていい程そう切り出していた。


「そうね……そろそろ戻らないと、怒られちゃうわ」


正直、勝手に抜け出している事がバレるだけでも大問題なのだが、アーノイスはあまり気にしない。鍵乙女という重要人物を外に連れ出しているという点でチアキもこの事が露見すると大変な事になるのだが、アーノイスは未だ自分が当代の鍵乙女である事を告げられずにいた。それを口にしてしまったら、今の彼とのこのささやかな一時ですら瓦解してしまうような気がしていたからだ。


「それじゃ、送って行くよ。といっても一緒に行くのはこの仔だけど」


そんなアーノイスを知ってか知らずか、チアキは手の中に何処からか光を生み出し、それを一匹の黒犬に仕立てた。


「ええ。ありがとう。十分よ。貴方がうちの人達に見つかったりなんかしたらきっと大変な事になっちゃうんだから」


言って、アーノイスは立ち上がった。その足元に黒の仔犬が擦り寄る。


「それじゃまたね、チアキ」


「うん。またねアノ」


言外に、再会の約束をして、少女と仔犬は帰路につく。少年はその背中が見えなくなるまで、優しげな微笑みをたたえて見送っていた。





--その日の、夜。アーノイスが無事自室へと辿り着き、夕食を済ませてすぐの事だった。

始祖教会からの一団がようやく到着し、早速今夜に儀式を執り行う事が決定したと、彼女は侍女に告げられた。

決行は深夜。人々が寝静まった頃にそれをはじめるとのことだった。突然と言えば突然。待たされたといえばそうに違いないが、アーノイスはとにかくその返事に是と答えるしかなかった。その為に、彼女はここに居たのだから。


湯浴みで身を清め、鍵乙女の正装とされる法衣に着替え、独り自室にて儀式のはじまるその時を待つアーノイス。その心は酷く不安に駆り立てられていた。儀式の工程も方法ももはや暗唱出来る程繰り返し、始祖教会の巫女にも鍵乙女たると認められている。しかし、だからと言って万事が上手く行くとは微塵も思っていなかった。両肩にのしかかるは、多過ぎて重過ぎる数多の人々の救済を求める意志。


思わず、少女は窓の外を眺めていた。かの少年に結局、自分が鍵乙女である事を明かせなかった、儀式の結果がどうなるにしても、恐らく明日にはここレラの村を立つ事になるだろう。突然やってきた別れ、いつ来るとも知らず、いつまでも来ないんじゃないかと思っていたその時。会いたい。自分の事だから、いずれわかってしまうことだとしても、自分の言葉で伝えたかった。

そう少女は願って夜闇に包まれていく村を、いつもの椅子に腰掛けて見つめていた。






どれほどの時間そうしていたのだろうか。変わりばえもせずただ一つ、また一つと明かりの消えゆく村を眺めているうちに、もしかしたら彼女は眠ってしまっていたのかもしれない。だからか、その“音”に気がつくのが少しばかり遅れた。


コツコツ、コツコツと優しく窓を叩く音。まさかこんな時に雨だろうか、そうアーノイスは思ったが、すぐにそれが間違いである事を知る。

おもむろに空を見上げようとした視線は、天を仰ぐ前に止まった。--夜でも黒という色は分かるものなんだ--そんなことをアーノイスは咄嗟に思った。


『こんばんは』


頭に直接響くような少年の声。会いたいと願っていた彼は、あろう事か自ら、彼女の元へと現れていた。

いつもの動物達を招きいれるのと同じように外と内の道を開くアーノイス。窓のへりに片手で掴まっていたチアキは律儀にも器用にも、外履をもう片方の手で抜いでから部屋の中に降り立った。


「よっ、と。夜分に失礼します」


「チアキ……どうしてここに」


人目が少ない夜とはいえ、余りに彼の行動は大胆に過ぎる。


「何でだろうね? 僕にもわからないな」


だが、少年はあっけらかんと笑っていた。それにつられてなのか、アーノイスも笑う。


「来てくれてありがとう……チアキ。あ、あのね、チアキ。私、貴方に言わなくちゃならない事が--」


アーノイスの言葉の続きは、静かに触れたチアキの人差し指に遮られた。困惑の表情を浮かべる彼女を余所に、少年は恭しく片膝をついて頭を垂れた。


「先刻までの無礼、お許しください。アーノイス=ロロハルロント=ポーター姫殿下。いえ、鍵乙女アーノイス様」


「知って……たの?」


「それは、自分とてロロハルロントの民ですから」


困惑から驚愕へと目の色を変えたアーノイスにチアキは微笑みを返す。


「それに僕は、当代鍵乙女様の従盾騎士候補、らしいので」


それは、アーノイスも知っていた事であった。はじめて高台で出会ったあの日、チアキが名乗った名前には覚えがあったのだ。従盾騎士の最有力候補として見られている者の名だと。その時までは、まさか自分より二つ下の少年の事だとは夢とも思っていなかったのだが。


「意地悪なのね、チアキ」


不満気にアーノイスは口を尖らせた。先程までそれを伝えたくてやきもきしていた自分が虚しくなったのだ。


「だって、アノが名乗らないから。僕はただのチアキで、君もただのアノ。それでいいのかと思ってたからさ」


チアキがいつもの、あの高台での時と同じに戻る。それが、アーノイスには嬉しかった。そうあって欲しいと願っていたのが自分自身で、そうなるよう自分が鍵乙女である事を隠していたのだから。

そこで、アーノイスの脳裏に一つの疑問が浮かぶ。では何故、

今になって彼はこうして現れたのだろう、と。

その答えは、少女が問うよりも前に少年が話した。


「今宵、儀式を執り行うと聞きました。それに際し、自分もある術を施します」


「術?」


「はい。貴方をお護りする為の特別な術です。僕はその為に、この最初の門があるレラへ赴いたのです」


それは従盾騎士となるべく、なった後、ありとあらゆる息災から彼女を護る為だとチアキは言った。アーノイスはどんな術かも知りたがったが、それは答えてはくれなかった。


「そっか、じゃあチアキも今夜は大切な日なのね」


「僕はまあ、術を施されるだけだから。それよりも、アノ。大丈夫なの?」


「な、なにが?」


一瞬、アーノイスは言葉に詰まった。


「緊張してるでしょ」


何故、分かったのだろう。自分はそんなにもわかりやすいのだろうか。そんな事が頭を巡り、また数瞬アーノイスは言葉を失っていた。


「そ、そりゃ、ね。だって世界中のたくさんの人達が新しい鍵乙女を、私を……待ってるから」


鍵乙女が人々の目にどう映っているのか、それは彼女とて重々知っている事。自らも、ついこの間まではそっち側だったのだから。


「……ねぇアノ。ちょっと空見てみてよ」


突然のチアキの言葉に戸惑いを隠せないながらも、アーノイスは言われるがままに窓の上、空を見上げた。

今日は新月なのか月は見えず、雲のない夜空に星が小さく瞬いていた。


「空にはね、普段目に見えない流れ星がたくさん隠れてるんだ。大体二兆個だったかな」


「そんなに?」


「うん。ちょっと、失礼するよ」


言って、チアキはアーノイスの背後に回ると、両手の指先を彼女のこめかみの辺りに当てた。

少し冷たい指先から、温かい何かが流れてくるのをアーノイスは感じた。

そして、空が変わる。


「……すごい」


窓を隔てて、遠く広がる蒼黒のキャンパスに描かれていく白い閃光の群れ。現れては消え、消えては現れるその光達。音もなく、過ぎ去って行く一瞬の煌めき。


「こんなにたくさん流れ星があるのに、みんな気づかない。でもたまに見える星に、願いをかけたりするでしょ?」


小さく、アーノイスは頷いた。まだ、城にいた頃に夜な夜な妹と流れ星を探して首を痛くした事もあった。


「アノはきっと、一際強く光る星なんだよ。よく見えるから、皆それに願い事をしたくなる。だけど、あの流れ星達は願われて飛んで来たわけじゃない。だから、アノはアノの思うままに入ればいいんじゃないかな」


「思う、まま……」


す、とチアキの指が離れる。同時に空を絶え間なく走っていた星々も見えなくなった。


「うん。だって、その為に従盾騎士っていうのが居ると思うんだ」


「ふふっ、じゃあチアキは私を護ってくれるの?」


「アノがそれを望むなら」


少年と少女は笑いあった。少女に見える不安の影はもう既に薄れていた。

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