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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
五章 苦痛と悲哀
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少女と黒猫

高台での出会いから数日。アーノイスはロロハルロント国の精鋭の兵士と世話役の侍女数名と共に滞在している教会の一室にて、独り頬杖をついていた。その瞳はまだ童女のものだというのに嫌に物憂げで、開きもしない窓と取れないレースカーテンの向こう側の陽光に照らされた外を恨めしそうに眺めている。

アーノイスは、ここレラの村に鍵乙女としての力の試験へ赴いていた。彼女がその力に目覚めたのはちょうど一年前。祖国であるロロハルロントから単身、教会の総本山であるアヴェンシスへと連れていかれ、今日こうしてその力の試験運用に実際に門のあるこの場所へやってきたのである。この場にロロハルロント国軍の騎士が同席しているのは、彼女の父なりのけじめとでも言おうか。世界の誰よりも孤独な存在となる鍵乙女、それに選ばれてしまった娘への手向けのつもり。そう、アーノイスは解釈していた。彼女の父は、そんな人間であった。


そんな事は、今更どうでもいい。アーノイスはそう考えていた。それよりも問題だったのは教会の方だ。ここレラの村の門で力の試験をすると言ったのは教会の人間であり、アーノイスは一度祖国に寄ってからこの村に着いたと言うのに、教会の一団はまだ来ていなかったのだ。レラの司祭の話ではもうすぐ到着するだろうとの事だが、今居なければ話にならない。数日前まで、アーノイスはそこに歯噛みして、自由もないこの身で不平と不満しか抱いてなかった。だが、ここ最近はそうでもない。基本的には前述のような不機嫌な様相で見づらい外を眺めている。だがそれは外への羨望と同時に、ある物をずっと逃さないよう探している為だ。


そして、アーノイスの藤色の眼が、目的物を見つける。それは、今日は猫の姿をしていた。穏やかな雰囲気の村の中では、少し気品があり過ぎて浮いてしまいそうな黒猫。だが、たかが猫一匹、村の人々が別段気に留める筈もない。その黒猫は周囲を見回し、自分に視線が集まっていない事を確認すると、一足で、アーノイスの覗く窓の縁に飛び乗った。殆どスペースのないそのとっかかりに、加えて民家の三階相当という高さをものともせず。

レースと窓越しに、黒猫とアーノイスの眼が合い、少女は破顔した。そして小さく何かを呟き、窓に向けて手を翳す。小さな光の粒子が空間に現れて環を描き、まるでそこに飛び込むように黒猫が窓とレースのカーテンを透り抜け、アーノイスの足元に着地した。あらゆるものを“開閉”する力。それが鍵乙女の力であり、それを利用して今窓の内と外の空間の通り道を“開いた”のである。


「全く、遅いわよ。待ってたんだから」


腰に手を当て、不満を黒猫にぶつけるアーノイス。猫も猫で、言葉がわかっているのか申し訳なさそうに床に向けて頭を下げる。


「ま、いいわ。ちょうどお昼過ぎたばかりだし。それじゃ行きましょ。今日はどこから抜け出すの?」


ベッドの脇に置いてあった白いフードを被って顔を隠し、地に足が着いていない様子のアーノイス。黒猫は同意を示すように小さく一声鳴くと、部屋の出入り口の方まで歩いて行った。










猫が示す道筋をついて行き、侍女や神父その他修道女らの眼を上手く逃れてアーノイスは教会の外へと出る。まるで壁の向こう側はおろかこの教会全体の人の位置を把握しているんじゃないかと思える程に、その猫の案内は絶妙で誰の目につくこともない。以前、それをわからずにアーノイスが案内を無視して近道へ至った際にはしっかり見つかってしまっている。それから彼女に向けられる監視のような眼も厳しくはなったが、こうして案内役が居る時は安心そのものだった。


外へ出るとアーノイスは太陽の光に誘われるように揚々と足早に駆けていく。村を外れ森の中、獣道を進んでいくと木々が段々と少なくなり、少しずつ傾斜が現れ始める。その小さな山道をさらに進んで光差す、小さな原っぱへとアーノイスは辿り着いた。再び陽の下に出て、上がった息と上下する肩を整えながら、視線を小さく広がる草原へ向けた。何かを探しているかのように見えるその視線は、足元から駆け出した黒猫へと移り、そして止まった。


「ありがとう。お疲れ様」


飛びかかってきた猫と戯れる、草原に腰かけた少年。黒い子猫に黒髪で黒い衣装の彼はどこか似た者同士で、アーノイスは微笑んだ。


「大丈夫だった? アノ」


少年がアーノイスへ声を掛けながら黒猫の頭を撫でると、光の粒子となって消える。それはいつもの光景なので今更アーノイスも驚いたりはしなかった。


「ええ、お陰様でね……う、うぅーんっ」


軽く伸びをして高台からの景色を眺めるアーノイス。少年の猫――時には鳥、またある時は犬であるのだが――に導かれて、この高台に来るのが彼女にとって今唯一の楽しみと安息の一時であった。


「本当、この村はこんなにものどかなのに、教会はどうにも厳粛なのね。これはきっと何処へ行っても変わらないのでしょうけど」


村よりも少しだけ強く吹く風を心地よく思いながら、独白のように紡がれる言葉。


「やっぱりそうなんだろうね。僕はあまり教会に行ったことがないんだよねぇ、実は」


それにも少年は律儀に答えを返す。特に何をするわけでも、取り分け同年代の子供たちのように遊ぶという事もしない二人は、こうして他愛もない会話を草原に並んで座り込んでしていた。


「あらそうなの? まあ、あまり信心深そうにも見えないものね」


くすくすと楽しそうに少女は笑う。


「ひどいなぁ。そう言うアノはどうなの?」


「うーん……どう見える?」


「そうだなぁ、どっちでもないんじゃない? しきたりとしてミサには出たり、そういうのは守ってそうな感じかな」


「うわぁ……しっかり当てられ過ぎてつまらないわ」


「えっ、そんな」


アーノイスはそんな事を言いながらもより一層の笑みを見せた。今、彼女の周囲にいる人間が全く見ることのないその屈託のない笑顔。少年はそれを知ってか知らずか、優しさを湛えた瞳で彼女を見つめるのだった。時にお互いの事について、時に家族について、二人はずっと日が暮れるまでの数刻を殆ど毎日共に過ごしていた。

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