―レクイエム―
この儀式をするのも、何度目だろうか。
そんな事をアーノイスは考えていた。
砂漠のど真ん中に造られた巨大なドームの中。先日オルヴスが戦った場所もここだと聞いていたから、破損している入り口の場所や、目には見えないものの未だに残る血の匂いは、彼女も理解はしていた。とはいえ、気にならないわけではない。
だが、そんな事に気をかけている時ではないのが現状だ。
と、彼女は心を入れ替え門の前に立ち、“儀式”をはじめた。後ろから感じるオルヴスの視線に安堵を得ながら。
儀式とはすなわち門の開閉である。門は世界を浄化する為にある。そう、アーノイスは教わっていた。それは、幼き頃王宮で教えられたものと、鍵乙女となってから教会で教えられたものと相違ない。その開閉の鍵となるのが、文字通り、鍵乙女である事も。世界を浄化する。その意味は彼女にはよくわからなかった。だが、鍵乙女が空位の際は、フェルの多発や疫病の蔓延、その他多くの不幸が起きている事を、教会に記録されている書物を読んだアーノイスは知っている。彼女自身の実体験はないが、世界でアヴェンシス教会が指示を得、一国に勝る程の政治力や軍事力を保持し、それでいて尚多くの国に属する数多居る民衆が、鍵乙女という存在を崇拝し、畏敬し、信仰している事それ自体が、その重要性を示唆していると言えるだろう。
そして、もう一つ。鍵乙女である彼女は知っていた。門は今生きている命全てに対してだけではない。死んでいった者達の霊魂に作用しているのだと言う事を。それが救済なのか破滅なのかの判断は、彼女の思考の及ぶところではないが。
アーノイスが儀式を進め、門が開き、色とりどりの光の球が流星の如く飛び出して行く。これが、門の“開”。門の内に閉じ込めていたものを解放しているのだ。
そして、さらに。光輝いて飛び立つ光の次に、門へと集まる無数の暗黒の球。これが、門の“閉”。見るものの精神に穴を開ける様な雰囲気を放つ黒球。アーノイスの元へ届く“声”の主だ。儀式の回数をまだこなしていなかった頃のアーノイスには、この時に聞える声の正体がまるでわからなかった
『生きたい』そう叫び続ける声。それがこの黒い球体群から発せられていると気付いたのは、いつの頃だろうか。『生きたい』純粋にして強固で暗いその想念は、“苦痛”という形で彼女に届く。幾千の嘆き。幾万の想い。それが耳をつんざき、胸をざわつかせ、心を砕く。この声が届く間は、まるで烙印が反応しているかのように痛む。熱く、冷たく、鋭く、鈍く。多種多様の痛みを生み出す烙印のそれを、彼女は未だにどう表現していいかわからない。
黒球の襲来が終える頃に、彼女は門を元に戻す。いつも、そこから先は覚えていない。わかるのは、次に眼が覚めた時にはどこかの部屋か馬車の中。運んでくれたのがオルヴスであるということだけだ。アーノイスとて、意識を自ら手放してるわけではないが、声が伝える苦痛からの解放の瞬間にどうしても己を保っていられなくなる。死ぬ、というのはこういう感覚なのかもしれない、と彼女は考えた事もあった。
『生きたい』儀式を終えた鍵乙女の心へ、声はまた届く。それを幻聴だと割り切れたら、どれだけいいだろうと、アーノイスは何度も思った。思う中で、苦痛に意識を手放した。