―雨宿―
「雨は嫌いだよ、私は」
コルストへ向かう道中の最中、メルシアはいつもの彼女の定位置であるグリムの頭の上で、少しずつ黒雲に蝕まれつつある空を見上げて呟いた。コルストは大陸一の標高を誇る霊峰アングァストの麓にあり、その周辺は天候が変わりやすい。コルスト自体は雪の街とも言われる場所で、寒帯として安定はしているのだが。
それを危惧しているのだろうかと、その目的地コルストへ相も変わらず走り続けながら、グリムは彼女へ言葉を返す。
「濡れんのが嫌だったら馬車ん中入ってろよ。これは降るんじゃねぇか?」
雲の厚さ、色を見てそう判断し、彼の後ろを走る幌つきの馬車を指す。馬車の騎手はスティーゴが務め、荷台にはマロリが偉そうに乗っていた。
「マジかよー? 僕のこのクールな髪形が崩れちゃうじゃないか」
グリムの言葉に、マロリがご自慢の見事なカールがかかった髪に触りながら、嫌そうにのたまう。スティーゴはスティーゴでいそいそと傘の準備をはじめていた。
「……あいつと一緒の馬車とかごめんだな」
心底マロリを嫌っているメルシアはこの上なく嫌悪感を押し出した声音で、そう呟き、グリムの頭にさらにしがみ付いた。やれやれ、とグリムは肩を竦めるが、まあ彼女がそうしたいならいい、と放っておく。
「でももう半日も走りっ放しだね。グリムさんはいいかもしれないけど馬がそろそろへばって来たよ。いい加減、何処かで休めないと。ここから少し東に行けばロンドの町がある筈だよ」
「そうだ、こっから東に行ったらロンドって町があったはずだよ! そこに行こう! いい加減休もうじゃないか!」
普段通り、スティーゴの発言が無視されているのはご愛嬌。
「ああー……どうするよメルシア?」
「別にいいぞ。私は構わん」
なら、とグリムの決断で四人は進路を変更し、ロンドの町へと足を進めた。
進路を変えてから小一時間程で一行はロンドの町へと辿り着いた。町が見えるとほぼ同時に雨が降り始めたので、彼等は少し急ぎ足で、濡れたまま手近な酒場へと雨宿りに入る。その酒場は小さいながらも小奇麗で、雨が降る前から居たのか大勢の客の姿も見受けられた。
「うわぁ、混んでるなぁ……」
「結構降りやがったなちくしょう」
「ああっ! 僕の美髪が傷む! きゅーちくるがっ!」
それぞれ服の裾などを絞ったり頭から水を落としているところで、四人の来店に気付いた店員がタオルを持って、一つだけ開いていたテーブル席に誘導する。
「ご注文はお決まりですか?」
全員が席に着いたところで店員が聞いた。
「赤ワイン。デカンタで」
「もう飲むのっ!?」
「ここは酒場だろー? 飲まなくてどうすんのさ! あ、後で君も欲しいな」
「はい、赤ワインをデカンタですね。こちらの銘柄がございますがどちらにしますか?」
マロリのナンパな言葉を華麗にスルーし、ワインの銘柄表を見せるウェイトレス。こういう場所で働く以上慣れがあるのだろう、とグリムとスティーゴは素直に感心していた。
「私はエビピラフで。グリム、お前も何か食べたらどうだ?」
テーブルに置いてあったメニュー表をグリムに手渡すメルシア。グリムをそれをざっと、それも殆ど眺めるにも入らないような速度で。
「じゃあ俺サザンクロス丼」
「……はい?」
「はぁ……またか」
自信満々に応えたグリムだったが、ウェイトレスは頭上にはてなマークである。それもその筈だ。そんなメニューは表の中には勿論、裏メニューにだって存在はしていない。茫然とした店員と同時に溜息を吐いていたメルシアがあきれ顔でグリムに言う。
「あのな、あんなもんが一般の店にあるわけないだろ。てかあれは健康に悪そうだから止めろと言ってるだろ」
「いいだろ? ケチケチすんなよ」
まるで母親のようにグリムを諌めようとするメルシア。その二人を見、そのサザンクロス丼たるものがわからない店員とスティーゴとマロリが疑問の眼でグリムを見た。
「おいなんだよそのイカした名前の食べ物はよ、僕にも教えろよ!」
「……あんまり知りたくないような気もするけど……あ、焼きリンゴお願いします」
「えーっと、じゃあ店員さんよ、丼にライス一杯とマヨネーズとケチャップくれや。そんくらいあるだろ?」
あっさりそういうグリムに店員は首をかしげながらも了解し、注文を読み上げる。スティーゴ注文の焼きリンゴが一度スルーされたりしたが、それはそれで。
数分経って、グリム注文の丼一杯のライスにケチャップとマヨネーズが最初に運ばれてきた。運んできた店員も殆ど目が点で、マロリとスティーゴはこれから何がはじまるのかと興味深々な様子であるが、メルシアだけはもう見たくないとでも言うように眼を背けていた。
「さーて、よしよし。やっぱ注ぎ口は三つ穴だよなぁ」
両手に持ったマヨネーズとケチャップの容器の口が三叉になっている事にうんうんと満足気に頷きながら、徐に立ち上がり、眼下の白い湯気を立てる白米にロックオンするグリム。
「調理開始! ヒャッハー!」
目にも止まらぬ速さで二つの容器を丼の上で交差させるグリム。そんな珍妙な光景が過ぎること数秒。頭を下げ、両手に空になった容器を握りながら広げるポーズで制止。
そして、顔を上げた。
「これが! サザンクロス丼よ!」
スティーゴとマロリ、そして奇妙な一連の動作に目を奪われていたウェイトレスの三人が丼の中身を覗き込む。そこにあったのは黄白色と赤色の芸術。細い赤と黄白の線が幾重に、幾重にも重なり十字を描いている。これがサザン「クロス」の由来だろうと、安直に三人は理解した。
「そ、それ食べるの?」
「い、イケてないっ! イケてないよ!」
理解はしたが納得はしていない様子であるが。対するグリムはしたり顔で、周囲の反応が見えていないのだろう。どこかほくほくとした表情に見えた。
「ケチャップ6、マヨネーズは4。これが黄金比。両手に持ったこの二つをクロスさせ、乱れ撃つ。本当は少量のマスタードがあれば完璧なんだがな」
誰も聞いてない解説をはじめるグリムだったが、他の三人は相手にせず、それぞれ運ばれてきた自分の食べ物に無言で手をつけ始めるのだった。