―ブラインダー―
大樹の街セパンタを出発して数日――。
二人は次の門を目指して再び旅を続けていた。
「アノ様、前方に山小屋が見えますが如何いたしますか? この先は一つ峠を越えなければならないのでこのまま進むと野宿になりますけど」
時は夕暮れ。空は晴れていて風も穏やかなままだが、オルヴスが言う通り、彼らの前方には山道へ続く路とそれに少し逸れて山小屋らしきものが見える。オルヴスは野宿であっても別段問題はないのだが、門の儀式は周期的に行う事にしている為、急ぐ旅でもないのだ。
「寝れる所があるならそっちにしましょう。貴方も疲れてるでしょ」
アーノイスもそれは熟知しているので、そう決断した。
「僕の事はお気遣い無用ですが」
「私がもう馬車に揺られ飽きたのよ。いいから早くその山小屋とやらに行きましょ」
「わかりました」
いつもの微笑を浮かべながらオルヴスは馬を山小屋の方向へと向かわせた。
「割と新しいようですね。誰かが立て直したのでしょうか」
外見は木造の古びた小屋そのものだったが、中は最近補修されたようでまだ木の香りが残っていた。大きめのベッドが奥にあり、右の手前にレンガ造りの暖炉とそれに使う薪が、反対側には毛布等がまとめて置いてある。
「この暖炉、着火の呪術がかけてあるのね。これはまた随分便利な山小屋だこと」
アーノイスが暖炉の中、丁度中央に刻まれている印を見て呟く。
ものに直接印を刻み、大気や大地に満ちる霊力を使って様々な現象を引き起こす術を総じて呪術と呼ぶ。呪術はこの暖炉のみならず、人々の生活に深く根ざし、支えている。
「可燃物を置くと勝手に火が付いてくれるように刻んでありますね。これはまた随分と高尚な……きっと火系術の才に恵まれた方が作っていったんでしょう。アノ様、うっかり踏んでしまわないよう気をつけてくださいね」
「そんなことしないわよ。ちゃんと柵だって付いてるじゃないの」
呪術は印を刻んであればその通りに術が起こるが、効力のある術を刻むには持って生まれた素質が必要になる。高度な術になれば成る程その必要性が高くなるのだ。
「ふむ……少々薪を足して置きますか。僕達が使う分には十分ですが、この山小屋は妙に親切ですからね」
荷物を部屋の隅に置き、小屋を出て行こうとする、が。
「……どうかされましたかアノ様」
歩みを止める、否、止められるオルヴス。視線を足元に送ると、暖炉の前に座り込んだアーノイスが彼の片足の裾をしっかりと掴んでいた。
「待ちなさい。薪なんて明日の出発前でもいいでしょ」
「いや、でもまだ陽が落ちるまで時間がありますし……」
「つ、疲れてるでしょ」
「ええと……僕は別に」
あくまで外に出て行こうとするオルヴスをアーノイスはどうしてか中に引き留めたい様子。
「お腹空いたから先に食事」
「ああ、せっかくですから何か採ってきましょう。山ですから探せばすぐに見つかると思います」
「うー……わ、私がうっかり暖炉の所に毛布でも落として火事になったらどうするのよっ」
「一秒経たずに飛んで来ます」
恥を忍んで捻りだした口調からして最後の一言だったようだが、問題はないとオルヴスに結論づけられてしまう。彼ならば実際に有言実行出来るので尚更何も言えない。
万策尽きたようでも未だ手は放さない主の姿を見、仕方なく、オルヴスは溜息混じりに笑って折れる事にした。
「わかりました。薪割りは明日の出発前にする事にします」
「そ、そう」
素気ない返事ながらもようやく手を離すアーノイス。
「ですが食料は今持っている保存食を使うより現地調達した方が後の為にいいと思うんです。ですから、アノ様もご一緒に参りますか?」
「そうね。たまには散策するのもいいわ」
「はは……散策じゃなくて狩猟採取なんですけど……」
アーノイスの手を取って立たせるオルヴス。
彼女が独りになりたくない理由。それもわかっている手前、無理を強いる事は彼には出来なかった。
「オルヴス、この真っ赤なキノコ美味しそうじゃない?」
「それはあれですね。口にしたら三分で天に昇れます。地獄にも堕ちれます」
「あ、あれ大きな木の実ね」
「あれはアカミノスバチの巣です。木の実に似せた巣を作り、寄ってきた鳥を逆に補食する危険な蜂です。触らないでくださいね」
「お、オルヴス。このモフモフしてるの何?」
「ええと……眠っている熊ですね。大きいな……4mくらいですかね」
元王族の鍵乙女様は100%の天然自然に触れるのは珍しいようで、気の抜けない時間となってしまったオルヴス。山の中に入るのはこれがはじめてというわけではないのだが、彼女自身の足でゆっくりと散策するのは今までなかったかもしれない、と改めて思い直す。いつも馬車の中で寝ているかオルヴスと雑談を交わすか程度だからだ。
フラフラと出歩くのは彼がまずさせないというのもあるが。
鍵乙女である彼女はいつその身を狙われているかしれないのだ。護衛として、従盾騎士として気は抜けない。その事はアーノイスも十分熟知しているだろう。故に、そんな精神の負荷からも守らなくてはと、オルヴスは思うのだった。
「さて、そろそろ戻りましょうか。材料は十分ですし。今夜は熊鍋にしますかねー」
「わ、私……熊は食べた事ないのだけれど……大丈夫かしら」
「美味しいんですよ。手とか」
思わず出会えた巨大な食糧を片手で引きずりながらオルヴスが笑顔でそう語るのを、アーノイスは渋面で見つめていた。




