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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
四章 焔と魔女
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―グロウ―

雨が、降っている。草木一本生えていない裸地の地べたに、穿つが如く叩きつけるが如く、水の滴が落ち続ける。分厚い黒雲が空を覆い尽くし、まだ真昼間だと言うのに辺り一帯は暗がりだ。

生き物の気配を感じさせないその場に、二人の男女と一匹の化物が相対していた。

空まで届く高さにある頭は獅子の如く、その体躯は人間を模しているらしく二本の腕と二本の足があるが大きさはその比ではなく大木のようで、赤胴の色をし金の体毛に覆われている。四肢の先には人の持つ平爪ではなく、獲物を刈り取る為の鉤爪が備わっている。背中には猛禽類の持つような翼がその体躯に見合う巨大さで生えており、獅子の顔にある三眼の赤眼が足元の矮小な二人の人間を睨んでいた。

男女の内、女の方は足を怪我したらしく、服ごと切り裂かれたらしい右腿から鮮血を雨水に混ぜている。男は身の丈をゆうに超える巨大な十字の槍を化物に向けて構えているものの、全身は傷だらけで、腹部には体を支えられているのが不思議な程の大きな風穴をつくり、右目も開かないのか、額から流れる血を拭いもせず閉じたままだ。


「もうやめろ! 逃げるんだグロウ!」


地べたに伏したまま、女が力の限り叫ぶ。そこには悲愴と恐怖の感情が滲み出ている。激しく痛む傷に苦悶の表情を垣間見せながらも、その琥珀色の眼は自分の前に立つ赤髪の男の背を見つめて離さない。自分のせいだった、自分が気まぐれに彼を村の外などに連れていかなければこんな事にはならなかった、そう女は歯噛みしていた。


「逃げるって何処にだよ。俺達にゃ羽はねぇんだ。立てもしないお前背負ってじゃあ、二人まとめておしまいだぜ」


それに対し、グロウと呼ばれた男は何処か余裕があるような声で、振り返らずに応えた。いや、余裕があるわけではない。その声は背後の女にも届くよう張りあげられているものの、言葉尻は荒い呼吸で乱され、肩で息をしているのが明らかだ。それでも自分にまだ余力があると知らしめるべく、グロウはそうしていた。


その声に反応するかのように、化物が巨体に乗った獅子の顔を二人に少し近づけ、喉を鳴らすように鳴く。単一の存在である筈のそいつの声は、何故が複数の音声で聞え、奇妙な和音の鳴き声を出していた。


「お前だけで逃げろと言ってるんだ!」


女が、悲痛な声で叫ぶ。周りに隠れるような場所も、助けを呼べるような相手も、立ち向かう力も、自分達にはない事を彼女は知っていた。大きく負傷した彼女は言うまでもなく足手まといで、その彼女を護る為、グロウはここまで追い込まれていた。それが、彼女の心を酷く痛めつける。自分の責任で、彼を死なせる事は出来ない。そう判断した叫びだった。


「……馬鹿言ってんじゃねぇよ。よしんば俺だけ生き残って、どうすんだよ」


少しだけ弱気に聞える言葉がグロウの口から零れた瞬間、獅子が咆哮を上げた。耳をつんざき、地面を震わせ雨を跳ね飛ばすその雄叫びと共に、凶悪な鉤爪が振るわれる。

グロウはそれに合わせ槍を振りかざし、受ける。接触の瞬間に槍の方から爆発が巻き起こり、爪をギリギリで弾く。だがそれでも威力を殺しきれず、グロウの身体は立ったまま数cm後退させられ、槍を握り締める手が裂けて血が噴き出した。


「グロウ!」


「ちいっ!」


体勢を立て直すと同時、グロウの全身から爆炎が現れ、その身を包んだ。炎の塊となり、槍を獅子の頭部に向けて構え、突撃する。放たれた矢の如き速度で迫るが、無造作に振るわれた片腕に弾き飛ばされ、地面に叩きつけられて砂塵と土片を巻き上げた。しかし、粉塵の中からさらに火炎が巻き起こり、舞い上がった土を、地面を溶かす。


「まだだぞこらライオン頭ぁ!」


今度は地面を走り、閃熱の足跡を残しながら炎を纏わせた槍で足元を崩しにかかるグロウ。だが、獅子の三つの眼はその姿を外さない。


「オォォォオォオオオ!」


先程とは比べ物にならない咆哮が、グロウの弾丸の突撃を止めた。声による衝撃波とそれに伴って生じた霊波の壁がグロウをいとも簡単に跳ね飛ばす。木の葉のように吹き飛ばされたグロウが女の元へと戻された。


「くっそ……ああ、くそっ!」


槍を杖に、悪態と血を吐きながらグロウが立ちあがる。しかしその両足は既に限界を超えているようで、槍の支えなしでは到底、立つ事も出来ないと思われた。だが、開いている左目の光はまだ死んではいない。


「グロウ! もういい、やめるんだ!」


女が、絶望の様相を呈して悲鳴を上げた。死は当に覚悟しているが、それ以上に、グロウの傷つく姿を見ていられなかったのだ。


「やめてたまるかよ。男は昔から女を護る生き物だって決まってんだよ」


息も絶え絶え、だがグロウはそう言い切り、一瞬だけ女の方を振り向いて視線を絡める。そしてこの絶望的な状況にありながら、清々しいまでの笑顔を見せた。


「グ、ロウ……?」


困惑の色を覗かせる呟きに、グロウは反応を返さなかった。まるで、先程の笑顔が別れだとでも言うように。

グロウが槍の穂先を地面に刺し、柄を両手で掴んだ。静かに、されど激しく、霊力の高まりが空気に渦をつくる。


「ようライオン頭。その三つの目ん玉見開いてよく見とけよ。これが、俺の最期の業だ」


一瞬にして集中した霊力が強大な熱を放ちながら、グロウの身体に収束する。それまで立つのがやっとだった彼の身体が、活力を取り戻す。そして、槍から手を離した。

同時、降り下ろされる獣の鉤爪。猛然と襲いかかるそれを、グロウの眼はゆっくりと捉え、そして。交差して降り抜いた拳の一撃で、鉤爪ごとその腕を粉々に打ち砕いた。先程とは違い、苦痛の雄叫びを上げる獅子。三眼は憤怒に塗れ、爛爛と拳を振り上げ、絶大な熱を放つ男の姿を写す。


「じゃあな、メリィ」


「えっ……」


静かに告げられた別れの言葉に、メリィは動揺しか示せない。ただ、彼の背中に縋り着きたかった。その背を掴みたくて手を伸ばすが、怪我を負った体が邪魔をする。


「グロウ!」


声だけでも届けと悲愴に叫んだ言葉。待ってくれと行かないでくれと、そうメリィは想いを乗せて叫んだ。

だが、願いは届かず。閃光のような火炎、まるで焔そのものになったかのような輝きを放つ彼は止まらない。まるでこれが最期の輝きだとでも主張するかの如く光を放ち、彼は彼女を置いていった。

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