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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
三章 鮮血と意志
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―各思―

レイクを起こし、ドーム内の清掃を軽く済ませた二人は、亡骸となってしまったゴードンと共に学術教会へと戻った。

始祖教会の先遣隊にマイラの騎士、そして騎士長の死。さらには門の場所に現れた三人の襲撃者について、教会は騒然となり、マイラの詰め所からすぐに始祖教会に向けての使者が送られ、死んでいった騎士たちの追悼の準備もはじめられた。今回の件で死者は17人。フェルとの戦闘に匹敵する損害であった。


オルヴスは現場の状況の説明や襲撃者の特徴等を挙げる為に拘束されてしまい、宿屋に戻れたのは日もすっかり暗くなってしまってからだった。

静かに、借りている部屋へと戻ったオルヴスだったが、その中央にはアーノイスが仁王立ちしており「遅い!」と第一声にお叱りを受けてしまった。

本来ならば今晩儀式を行う予定であり、オルヴスは夕方になる前には戻ると言ってあったのだ。だが、オルヴスの顔を見るなり怒鳴ったアーノイスだったが、次の瞬間には彼の首元と左腕が視界に写り、顔面を蒼白にして近寄った。オルヴスの首元と腕の部分はジェイに引きちぎられた際の出血が服を染めており、一目に無事だと思えるようなものではなかったからだ。オルヴスはとにかく、動揺するアーノイスを宥めながら、昼間に起こった事態の説明と弁解をはじめた。


「……そう。大変だったのね……」


話を聞き終わり、オルヴスに怒っている場合ではなかったと反省したように俯くアーノイス。


「すみません。本来ならすぐに報告に向かうべきだったのですが」


「さ、さっきは怒鳴ってごめんなさい! でも、その……無事で良かった」


謝罪を述べながら、アーノイスの視線がオルヴスの左腕を見る。どう怪我をしたのかは聞かされていないが、彼の白いシャツに上半分と左側が血に染まる程だったのだ。今はちゃんと着替えてもらったものの、先程の血塗れの姿は彼女の眼に焼き付いて離れなかった。


「アノ、様……?」


オルヴスが心配そうな目つきでアーノイスを見る。俯き、両の手を握り締めている彼女の肩は震えていた。


「どうかなされましたか? お体の具合でも悪いので?」


「悪いに決まってるでしょ!」


顔を上げ、潤んだ瞳がオルヴスを睨んで怒声が室内に響く。


「私、貴方が帰ってこない間、どこで油売ってるのかとか……何かトラブルでもあったのかとか、考えてた。でも、貴方が怪我をしてるかもなんて全然思ってなかった!」


彼女の瞳には憤りと後悔、それと恐怖の色が覗いていた。


「だけど、今……帰って来て、血塗れでっ、もしかしたら貴方もグリムみたいにっ――」



門を巡る旅をはじめて数年。アーノイスはオルヴスが負傷したのを見た事がなかった。幾度となく戦いはあったが、その度に彼は余裕のある態度のまま、傷一つなくそれを終わらせてきた。しかし、今回はそうではなかった。その不安を感じた心を曝け出すアーノイスの口をオルヴスの指が塞ぐ。


「大丈夫です、アノ様。大丈夫ですよ」


不安に泣く子供をあやすような声音でオルヴスが語りかけ、指を離した。


「儀式は明日にしましょう。何か食べ物買ってきますね。グリムとメルシアさんの様子も見てきます」


「……メルシアはまだ寝てると思うわ。昼間、グリムが一瞬だけ眼を覚まして……。それで安心したみたいで、あっちの部屋で一緒になって寝ちゃったから」


「おや、そうですか。目を覚ましましたか……良かったです」


アーノイスの言葉を聞いたオルヴスが、立ち止まりそう言って微笑んだ。そんな彼の元に、荷物から外套を引っ張りだしてアーノイスが近づく。


「アノ様?」


「ご飯、私が買ってくるわ。貴方だって疲れている筈よ。部屋で休んでて頂戴」


「い、いけませんよアノ様」


「い、い、の!」


先程の不安を拭いきれていない眼をしたまま、アーノイスは強くオルヴスに詰め寄った。否と唱えさせない剣幕に言葉を失くすオルヴス。彼女の厚意は有難いが、騎士として受けるわけにはいかないのだ。


どう説得しようかと言い淀むオルヴスを尻目に、アーノイスは部屋の扉に手をかけていた。


「大丈夫。すぐ近くで買ってくるから。それに、何かあったら大声で助けを呼ぶから。ご飯も買ってくるんだし、ちゃんと起きててよねー?」


「あっアノ様」


上手い返答の言葉が見つからないながらも伸ばしたオルヴスの手を、アーノイスはひらりとかわして扉の向こうへと行ってしまう。所在なさげに伸ばしたオルヴスの手は虚空を掻き、また一瞬、彼の思考も止まる。

だが、次の瞬間にはその部屋から彼の姿は忽然と消えていた。戦闘でもないのにかなりの速度を用い、今まさに階段を降りようとしているアーノイスの横を通り過ぎ、宿に居た他の客にも、店番をしている暇そうな店員にも気取られる事なく、そよ風だけを残して、オルヴスは宿の屋根の上に降り立つ。


今ここでアーノイスに着いて行っても、戻れと言われるだけだろう。気配を殺して尾行をしてもいいが、彼女は着いて来るなといったのだ。その意志は彼としては尊重したい。


宿の出口から、フードを被ったアーノイスが出てくる。例え外套を羽織っていたとしても、オルヴスが彼女を見紛う事も、人混み紛れたからといって見失う事もない

アーノイスが、どこか食べ物を売ってそうな店を探して右往左往する。砂漠の夜は冷えるが、ここマイラは温度変化を激しくしないよう、ある程度気温の上下を抑える結界が張ってある為、街中はそれほどの冷気はなく、家路に着く人や酒場にでも出掛けるらしい人等でそこそこの人混みが出来あがっていた。


「やれやれ……これなら着いて行った方が安心なんですけどね」


アーノイスは勿論、その周囲、近づく人物でさえも逃さずに視認し、その全てを吟味する。いつでも彼女の元へ馳せ参じられるよう、霊力を常に全身に巡らせておく。

そうして彼女とその周囲にのみ集中をしていた為か、オルヴスは、背後から近づく気配に気づくのが、刹那遅れた。


「やぁ! また会ったね従盾騎士君!」


「……貴方は、昼間の」


快活に挨拶をする男の正体を、声と霊気だけで判断し、視線や体の向きも動かさずに返答した。白衣にモノクル、背後には何かの機材か、金属らしき物体で出来た筒状や箱型の何かを置いている。昼間、オルヴスに儀式を見たいと迫った研究者、ゼムケードだった。


「こんなところで何をしているんだい?」


オルヴスが自分の方を見向きもしないのを気にも留めず、機材をいじりながらそう話しかけるゼムケード。


「貴方こそ。宿屋の屋根なんかに登って何を?」


オルヴスは特に興味もないが、ゼムケードをあしらう上手い言葉も見つからないので、適当な返事をする事にした。


「天体の観測さ! 月の満ち欠けが世界にある霊力に何か関係しているらしい、という記述を古い論文から見つけてね。そして今日は満月! 快晴! 観測には最高さ」


「そうですか」


「もー、相変わらず連れないねぇ、騎士様は。そんなに鍵乙女様が心配かい?」


聞き流していた筈のゼムケードが、話してもいないアーノイスの事に触れて、オルヴスの肩が少し動き、動揺を見せた。彼とは今ここで会話をはじめ、それも二三しか言葉を交わしていない。オルヴスは自分がここにいる理由も何も言っていないというのに。


「おや図星かい? はっはっは! 流石は騎士様だ」


アーノイスは今や店先に並び、群衆とほぼ一体になってその姿が確認出来ない。いつも側で見ているオルヴスならまだしも、彼女の姿を見た事もないゼムケードが認識できるかと言われれば、否だろう。


「鍵乙女様も大変だねぇ。買物に行くのにもこうして、従盾騎士が見守っているわけだ」


作業が終えたのか中断したのか、ゼムケードはオルヴスの隣に座り込んだ。


「……おや? どうかしたのかい? どこか思いつめた顔をしているね」


オルヴスにそんなつもりはなかった。それ以上に、今は突如現れたこの男の存在の方が気がかりであった。男の手が、オルヴスの肩を二回ほど軽く叩く。


「ふーむ……。昼間戦った双子の事でも気にかかっているのかな?」


心の奥底を見抜かれたかのようなその言葉に、オルヴスはほんの一時、横眼でゼムケードを睨んだ。確かに、それは正しい。相対していた時は無情な、彼らの敵として立っていたオルヴスだったが、その実、欠片もその心を痛めていなかったわけではない。ただ、そんな感傷を凌ぐ意志があっただけだ。

自分と同じ黒眼をした男は、その温和な人柄を表すように穏やかな笑みを浮かべている。何故知っている。何故そう思う。疑問ばかりが矢継ぎ早に出て、言葉にならない。


「まあ、確かに君のやった事は、些か残酷だったかもね。でも、そうしなければ彼女を絶対には護れない。ましてやこの世界は、優しい人間に程冷たい」


「……見ていたのですか?」


ゼムケードは昼間、オルヴスに儀式に立ち合わせてくれと懇願していた。その場にレイクが現れたことで、オルヴスは隙を突き、居なくなったわけだが。後にレイクと今は亡きゴードンが追い付くまで、オルヴスはあの双子と戦っていた。そこに彼が居合わせた可能性がないとは言えない。しかし、オルヴスとレイクが門を去った時には彼の姿はなかった。先に帰っていたか、身を隠していたか。後者についてはまずないだろうとオルヴスは思う。先程のように、アーノイスの方向のみに注意をやっていれば、気配を隠す術に長けた者の存在はわからない。この飄々とした男がそうだとは思えないが。ともかく、門の場では常にオルヴスは全ての方向に気を配っていた。その中で、彼が隠れ切れるとも考え難い。ましてや、ドームがあるとはいえ、隠れ切れる場所は殆どない。


「それは秘密さ。理由を言ったら君が怒るかもしれないからね」


言って、ゼムケードは腰を上げた。恐らく、観測とやらに入るのだろう。アーノイスの方も、買物が終わり宿の方へと近づいてきていた。


「君の歩む道は辛く険しい。鍵乙女と同様に。もしかしたらそれ以上に。それでも君は止める気はないのだろう?」


「無論です」


立ちあがり、ゼムケードの言葉に今日はじめて確固たる返答をして、オルヴスは姿を消した。屋根に来た時同様の速度。今度は部屋から一歩も出ていない風を装うつもりだ。


自分以外が居なくなった屋根の上、ゼムケードは嘆息して、これから観測をはじめる月を見上げて呟いた。


「オルヴス……か。そうまでして、お前は……」


その瞳は、何かを憂う色を帯びていた。

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