―惨劇―
「こ、これは……一体何が」
轟音が響き渡るのが収まった頃、ドームの入り口からレイクとゴードンが中へ入って来た。オルヴスが門へ向かった後、二人は彼を追い、様子を見てこようと思っていたのだった。
「こいつぁひでぇ……」
血が飛び散り辺りに塗りたくられたドームの中の光景を見て、ゴードンが呟く。崩れている入り口横の壁もそうだが、一面にある血の痕がこの場での異常事態を表していた。
「騎士長! あれは……」
そんな惨劇の中央。門のある場所で二人の少年と少女が居るのを見てレイクがゴードンに呼びかける。少女が少年に抱えられ横たわっていた。少年はそうでもないが少女は赤く染まっている。
「おい! 坊主、嬢ちゃん! 大丈夫か!」
そんな二人に駆けよって行くゴードン。
レイクは辺りを調べようと、まず入り口すぐ横の砂と瓦礫が積まれた場所に近づいた。
「うっ……これは酷い」
その山の所々に人の死骸が混ざっているのを確認したレイクが吐き気を覚え、思わず口元を抑える。嘔吐は何とか堪えたが、人の死骸を見るのはこれが彼にとってはじめてだった。原型が残り過ぎておらず、非現実的な光景にも見えるのが幸いだったかもしれない――と。そんな瓦礫と死体と砂の山から、一本の手が突き破るように天井を差して出てきた。
「うっうわぁぁぁああ!」
悲鳴を上げて腰を抜かすレイク。無理もない。
出てきた手は、山につくとそこから繋がっている体を無理やり引きだした。
「……やれやれ。やられましたよ……」
体に着いた砂を払い、そういえば左腕をやられた、と先のない自分の左腕を神妙な眼で見るオルヴス。
「お、オルヴス殿!? い、一体何を……その怪我は」
立ち上がる事も忘れたまま、突如眼の前に現れたオルヴスに狼狽し、失われた左腕を見る。
「レイクさん? 何故ここに」
最初に会った時とそう変わらない対応をするオルヴスに毒気を抜かれたのか、レイクは一つ咳払いをして立ち上がり、肩を竦めて見せた。
「は、はん。従盾騎士ともあろうお方が。鍵乙女様をお守りする為の腕を失ってどうするんですか。早く街に戻って治療してもらった方がいいと思いますが?」
突き放した言い方をするレイクだったが、オルヴスは彼の方を見てはいなかった。その視線は、門の方へと向けられている。
「ここから早く去れ。レイク」
低い声音でそう告げるオルヴス。
「は? 何を」
「去れと言ってるんだ!」
「ぐわぁぁぁああ!」
次にオルヴスが声を荒げたのと、ゴードンの絶叫が聞えたのはほぼ同時だった。
門のある場所。そこで、座り込んでいた筈の少年が少女を横に寝かせたまま立ち上がっている。その眼前では、彼らの様子を窺いに行ったゴードン、その身体が宙に浮いてもがいていた。
「騎士長!」
「お前も騎士……お前も……僕達を傷つける! お前も悪い奴だ!」
「ぐっ、うおぉぉ!」
少年の声と共にゴードンの苦痛の滲んだ叫びがこだまする。
「死ねぇえ!」
次に少年が叫んだ時。もうゴードンの声は聞えなかった。代わりにオルヴス達の耳に届いたのは、噴水が噴き出したような水音と激しい雨のような音だった。
未だ宙に浮かぶ、力の抜けたゴードンの体。その左胸には丸く削り取ったような風穴が形成され、止めどなく流れる赤い液体が地面を濡らす。
「騎士長! 貴様っ――うわっ!」
激昂したレイクが剣を抜き走りだそうとしたが、それに気付いた少年により吹き飛ばされ、壁に背を打ち付けられて気を失った。
少年の視線が、吹き飛ばした対象の隣に居たオルヴスを捉える。
「お前、まだ生きていたのか!」
「あの程度でやったと思いましたか? 甘いですよ」
少年の方へと歩を進めるオルヴス。少年は浮かせていたゴードンの死体への意識を解いて地面に落とし、迫る青年を見据えた。
「なら今度は!」
霊気が高まり、ジェイの周囲の砂が見えない圧力に押し退けられる。次の瞬間。彼の目線移るオルヴス、その首が千切れた。
頭部を失い、歩みを止めるオルヴスの体と重力に引かれて落ちる首。
「や、やった……うっ……はぁ、はぁっ!」
霊力を使い果たしたか、膝をつき肩で呼吸するジェイ。その側に、意識が戻ってきたマルガが寄り沿う。
「ジェイ、だいじょうぶ?」
「う、うん……」
マルガの視線がジェイから首のないオルヴスの方へと移る。
「気味が悪いよジェイ……まだ生きてるみたい」
頭が無いと言うのに彼の体は崩れ落ちず、二本の足でしっかりと立っていた。まるで、まだそこに命があるように。
「大丈夫だよマルガ。今、あいつもこの前の悪い奴みたいにしてやるんだ。そこのおじさんも、あっちの人も皆まとめて」
『それは歓迎し兼ねますね』
聞える筈のない声がこだまする。どこから聞えているのか、ドームの中では反響しているのか二人にはわからなかった。言い様のない恐怖に震え、双子はその身を寄せ合う。声は明らかにオルヴスのものであった。だが、彼は死んだ筈だった。首が千切れて生きている生き物なんかいない。それは幼い二人でも当たり前のように知っている事だった。
「あ、あれ……!」
首のない体を指差すマルガ。その瞳に映るのは、死体から滲み出る漆黒の靄。闇そのもののような暗さのそれは近くに転がる首を巻き込み、死体を覆い隠して、まるで生きているように集まる。
「強い霊力を持っていますね。正直驚きましたが……少々おいたが過ぎましたね」
次の声は靄に創られた闇の中から聞えた。闇が晴れて、現れる“魔狼”。満月のような双眸が、怯える双子を見据える。それから、手のない左腕を見やると、その先からまたしても闇が滲み、失われた筈の左手を形成した。握り、開いてその感触を確かめるオルヴス。そして、視線を元に戻した。
数瞬の沈黙が流れる。それを破ったのは言葉ではなく、大気が吹き飛ばされた衝撃音だった。
オルヴスとジェイの姿が同時に消え、先程までジェイが居た場所にオルヴスが現れて、右側の壁が砕ける。蹴り飛ばされ叩きつけられたジェイの体が一瞬めり込み、地面に落ちた。
「ジェイーっ!」
叫ぶマルガの方へと向きを変え、冷たい眼で見降ろすオルヴス。
「うっ、お、折れろ!」
後ずさりながらも力をぶつけるマルガ。だが、効果はない。力を受けているように、マルガが放った霊力が当たったと思われるオルヴスの箇所に瞬間歪みが見えるが、それも何事もなかったかのように消える。それはまるで、霊力自体が効力を成す前にオルヴスに吸い込まれているようにも見えた。
「な、なんで……来ないで……来ないでぇ!」
「マルガに近づくなぁあ!」
マルガの方へと静かに歩み寄るオルヴスの背後から、ジェイが突進する。そのまま激突するつもりであったが、しかし避けられると同時に胸倉を掴まれ、一回転して飛んできた勢いのまま地べたへと投げ捨てられた。
「うわっ!」
「……逃げられるのも面倒ですね」
吐き捨てるように言い放つと、うつ伏せに転がっていたジェイの左膝の裏に足を置くオルヴス。そのまま、踏み砕いた。
「うわぁぁぁぁぁあああああああっ! ああああぁぁぁあっ!!」
「喚くな。こちらの問いかけに答えろ。そうすれば生かして返す」
「う、ううっ……!」
絶望と恐怖で、言われるがまま唇を噛んで声を抑えようとするも、痛みがそれを漏らさせる。マルガはもはやあまりの戦慄に声を出すことすら忘れ、失神する寸前であった。
「君たちをここに寄越したのは誰だ? その目的は?」
「……言う、もんかっ……!」
問いかけに対する答えは反抗。この状況にあって尚、ジェイは自分を何とか保っていた。だが。
「あ゛あああああっ!」
容赦なく、オルヴスは砕けた膝を踏みにじり、その答えを否として伏した。一度足を放して体に当てると、そのまま仰向けになるよう転がす。
「その気概は立派です、が。良いんですか? 君が喋らなければ、先にそちらの少女から死んでもらう事になりますが」
「マルっ、ガに……近づくな」
やれやれ、とオルヴスは溜息を吐いた。
「児童虐待は趣味じゃないんですがねぇ……」
「そこまでやっておいて何を言っているのじゃ」
オルヴスの独白。それに応えたのは、ジェイでもなくマルガでもなくましてやレイクでもない。声音は成熟した男の声で、年齢で言えばゴードンが最も近いが、それは有り得ない。新たな侵入者だった。オルヴスの倍はあろうかという巨躯を持つその男は、音もなく、オルヴスの背後に立っていた。
「三人目……ですか」
「ボーヴ……なんで、ここに……」
「お主らが心配になってな。見に来てみれば案の定じゃて」
「おじさん……」
「ジェイを連れて下がっておれマルガ。こ奴の相手はワシがしよう」
ボーヴの言葉に従い、マルガがジェイの側へと恐々として近づく。オルヴスを警戒しての事だが、彼は新たな侵入者の方へ向き直っており、双子の方は既に見てもいなかった。
双子がドームの端までなんとか移動するのを見届けてから、ボーヴは口を開く。
「従盾騎士というのは残虐な性格でなくては勤まらんのか? 魔狼よ。それほどの力を持ってする事が、年端もいかぬ子供を虐げるというのはどうかとワシは思うのだがの」
「僕は彼らを敵と見なしました。それについて子供だからと、妥協を許すつもりはありません。僕には護らなければならない人がいる」
相手をすると宣言して置きながら、問答を始める男。オルヴスはそれに少々の煩わしさを覚えながらも、それに付き合っていた。
「ワシも、その子らを救いに来た。ワシらはここは退く。それを邪魔してもらいたくはない」
「それを許すと思いでも? ふざけないでもらいたいですね」
逃がしはしないと言わんばかりにオルヴスが霊気を放つ。
「そう言うと思ったわい……」
そう残念そうに呟いたボーヴの口元が微かに歪んだ。そこではじめてオルヴスは、眼前の男の異変に気が付いた。ボーヴの姿が霞み、霧散する。霊気を探り、彼の位置を再度探り、振り返った。
「霊気の探知は素晴らしいものだな。だが、強過ぎる能力は過信を生み、そこに隙が生まれる。利用させてもらった」
「幻影か……こざかしい」
ボーヴの姿は既に退避した双子の元にあった。先程までオルヴスの眼の前にいたのははじめから霊塊の幻影。霊気の探索を頼りにしていたオルヴスは裏をかかれたのだ。
「では去らばじゃ、魔狼よ」
ボーヴと双子を包みかのように厚い竜巻が巻き起こり、彼らを覆い隠す。暴風が止んだ頃には、既に三人はいなかった。