―雷火―
宿屋の店主をちゃんと起こし、軽く治療を施して、二人はようやく目的地へと近づいていた。
「うむ。そろそろだな。近いぞ」
「とは言ってもだなぁ」
相変わらず頭に乗ったままのメルシアの言葉に、グリムは辺りをぐるりと見回す。が、目に映るのは見渡す限りの青い海。日差しが眩しく、先程居た海岸はもうどの方向かもわからない。霊呪陣はあるが、来た道の途中で消失している。
「世門は最重要地だからな。不可侵の結界が張ってあるのさ。お父さんだって知らないんだぞ?」
「へぇ、成る程ねぇ。つーか、お前なに人の糞親父をお父さん呼ばわりしちゃってんの?」
「いずれは挨拶に行かなければと思っているさ」
「そうじゃねぇよ」
グリムの言葉を意に介さず、メルシアが飛び降りて陣の上に立った。
「さて、レツァーンに上陸――の前に」
台詞を切り、真上、青い空と雲しかない空間を見つめるメルシア。つられてグリムも見上げるが、何も見えない。
「招待出来るのはここまでだ。そろそろ出てこい」
そう、上空に向かって少し声を張り上げて言うメルシア。
何の返答もなく、流石にグリムがメルシアの頭を心配した頃。丁度彼女が見つめていた空間が“裂け”た。
「気付かれていたか。いやはや流石だ。時紡ぎの魔女よ」
どこか芝居がかった、それでいて背筋を冷たくなぞる暗さを纏った男の声が響く。空間の裂け目、そこから現れたのは深緑髪の仮面の男、それと鎌を手にした眼帯の女だった。
「ずっと見ていたな。どうせあのナツとかいうのも仲間だろう?」
メルシアの言葉に男は応えない。ただ静かに、海の上、グリムらと同じ高度に降りてきた。
「もう一度言う。お前らに見せられるのはここまでだ。失せろ」
睨む彼女に反応し、眼帯の女が持つ鎌がピクリと動く。しかし、それを男は手振りで制止した。
「我も興味本位でここまでついてきたわけではない。どうしてもレツァーンを見たいんでな。そこでどうだ? 交渉と行かないか?」
「交渉だと?」
グリムが大剣の柄に手をかける。先程の女と恐らくは仲間。ならば、何が起きてもおかしくはない。
「ああ。我々はここを見せてもらう。その代わり……」
男の口元が凄絶な笑みを形作る。間を置き、凍てつく声音で言葉が紡がれた。
「担保として、貴様らの命は救ってやろう」
「あー、やっぱそうなるのな」
宣言を受けたと同時、グリムが大剣を構える。
「さっきは戦えなかったからなぁ。今度は俺にやらせろよメルシア」
「気を抜くなよグリム」
交渉をまるで聞きいれるつもりのないグリムとメルシア。その反応が予想通り、果ては楽しいとでも見えるか、仮面の男は笑みを一層深くする。
「話にならなかったか……ユレア、手は出すな。どちらにも、だ」
「御心のままに」
男の命令に眼帯の女は鎌を終い、数歩後ろに下がった。
「本当は“魔女”か“魔狼”と手合わせして見たかったが……まあ、貴様にも多少は興味がある。せいぜい楽しませてくれ」
「へっ、いいな、その余裕。でもいいのか? 丸腰でよぉ。さっきの鎌借りといた方がいいんじゃねぇか?」
グリムが男を見やる。その手はいくつかの指輪をしているだけで、武器と呼べるものは身につけていないように見えた。かといって、指輪をしている手で徒手空拳とも思えない。
「ああ、武器ならば、あるさ」
ゆっくりと、男が手招きの動作をする。瞬間、グリム背後に違和感を感じ身を大きく逸らした。そこには、一本の剣が空間の歪のようなものから現れて、飛び出してきた。
「はっ、今日は随分と不意打ちされるぜ」
「それは貴様が隙だらけだからではないかな?」
空間の歪に視線を取られていたグリムのすぐ側に、男が一瞬の内に詰め寄っていた。
「なっ」
「もっと本気でやってもらわねば困るな」
グリムの首根っこを鷲掴みに、そのまま共に遥か上空へと昇る。雲も間近といった高度に達したところで、グリムがその腕を強引に引き剥がす。
「ちっ、やるじゃねぇか。一応名前聞いとこうか」
「クオンだ」
「あん?」
聞き覚えのある名前にグリムが一瞬固まる。クオンはその隙を逃さず、再びグリムとの距離を零に、今度は背後を取った。
グリムの背中に蹴りが入り、大きく吹き飛ばす。
「隙だらけだと言っている。一々動揺するな。既に二回死んでいるぞ」
「はっ、言うぜ。そういうのはな……実際に二回殺してからほざきやがれぇ!」
ようやくスタートがかかったか、グリムが炎の鎧を形成する。大剣の柄を頭上に、剣先は下げ、両腕を交差する形で構えた。
「そうだ。それでいい」
クオンもそれに応えるように、手にした細身の剣を片手でグリムへと突き出す。
「お前……強いな」
その剣線に強大な霊気が籠っている事を見たグリムがそう口にした。
「自負している」
「……最高だ。なら、遠慮しねぇぜ!」
狂喜とも取れる感情に満ちた笑み、歓喜の声を上げ、グリムが突撃する。彼の足元で爆発が起こり、超音速の加速と共に大剣を打ち込んだ。
けたたましい単一の衝突音と大気を吹き飛ばす衝撃を巻き起こすも、クオンは1mmも押されずにその場で打ち込みを受け切っていた。
「いい一撃だ。だが、まだまだ」
クオンの剣がグリムの大剣を弾く。それに怯まず、再びグリムの大剣が襲いかかる。それを身を逸らして避け、半回転の斬撃を繰り出すクオン。しかしそれは炎によって遮られた。
その瞬間を見逃さず、柄から片手を離したグリムがクオンの服を掴む。
「おらぁ!」
気合と共に爆発が巻き起こる。黒煙の中から、グリムが飛び出した。
「余裕持ち過ぎじゃねぇのぉ? そんなんじゃ足元掬われんぜ」
欠伸混じりに語るグリム。しかし。
「その言葉、自分に言っているのか?」
冷ややかな囁きは、またしても背後から。瞬時に振り向き、突き出された刃を避けようとするが間に合わず、剣は炎の鎧も肩当てもものともせずにグリムの肩に傷をつけた。
「ちぃっ!」
「ふむ、浅かったか。反応は悪くないな」
「いいぜいいぜ、そうじゃなくっちゃなぁ!」
雄叫びと共に、先程の初撃よりも遥かに速くグリムが突撃する。
が、またしても大剣は止められた。しかしそれを見越していたか、さらにグリムは攻勢に出る。彼の纏う炎の一部が防御を解いてクオンに襲いかかり、その身を焼いた。
「まだ足りねぇだろぉ!?」
かち合っている剣を無理やり突き飛ばし、距離を離したグリムが大剣を腰だめに構えなおす。巨大な刀身を覆い尽くす、それよりも大きな炎の渦。
「持っていきな!」
空をも焦がす灼熱の炎渦が、降り抜かれると同時に打ち出される。グリムの視界全てを焼き払うかの業炎が、火に包まれていたクオンへと追撃を加えた。骨すらも蒸発させる程の熱を放つ。
「悪いが、お断りだな」
それはまるで、直接耳に響くかの如くグリムに聞えた。気を抜いていなかったといえば嘘かもしれない。だが、クオンの存在は動きは、グリムの知覚の向こう側で起こっていた。
冷たい感触が彼を貫く。冷たい気がするが、熱い感覚もしていた。正体不明の感触の正体を知ろうと、違和感を感じた己の腹部を見る。そこからは、銀白の刀身が、嫌に紅い液体と共に抜き出ていた。それを確認したところで、ようやくグリムの耳に、刃が肉を貫く嫌な音が届く。同じく、痛みも。大剣がグリムの手から滑り落ちていった。
「ふむ。この程度か。残念だ」
「ぐっ……! 痛ってぇなコラぁ!」
仕留めたと溜息を吐いたクオンの隙を逃さず、グリムは剣を失った手で、己に突き立てられている刀身を掴む。これまでで最も大きな爆発を引き起こし、生まれた火炎をさらに自分の元へ集め、クオンごと自分を包み込む、紅蓮の炎球を作り上げた。
「貴様っ!」
「まだだ……もっと上げんぜぇえ!」
炎の勢いがさらに増し、火炎の球体はさらに大きく、厚くその姿を為す。それはまるで、太陽のようであった。
剣を引き抜き、クオンが脱出しようとするも、剣身はピクリとも動かず、グリムの手により固定されている。柄から手を放して逃れようにも、既に退路は灼熱に包まれていた。
「この男……」
「さあ、消し炭になんな!」
「くっ、仕方あるまい!」
二人を包んだ炎流が迫りくる直前、クオンの持つ剣、グリムの身体を貫いているそれが光る。
同時、グリムが放ち続けていた炎の動きが止まった。消えたのではなく、そこにありながら、爛爛とした光りを放ちながら、しかし動かない。それはグリムも同じだった。
静かに、クオンが剣を引き抜き、炎陽の中から脱出する。その身は炎の中を突っ切ったというのに、焦げてすらいない。
「我に魔具を使わせるとは。褒めて使わすぞ、紅蓮の騎士よ」
言って、クオンはまだ光を放ったままの剣を中空に刺す。そのまま手を放し、翳した先に現れる空間の歪み。そこから黄金に煌めく三叉の槍を取り出した。
手にしたそれを振り翳す。風切り音に呼び出されたかのように、黒雲がどこからともなく現れ辺りを暗黒が包み、風が吹き、豪雨が降り始める。
「では、お別れだ」
クオンが槍を天へと掲げた。グリムが創り上げた太陽の真上の黒雲が割れ、そこから、炎球さえも呑み込む太さの雷が落ちる。炎掻き消し、海を砕く天雷。霧散する炎、落ちるグリムの身体。
「グリムーっ!」
海上からメルシアが飛び出し、雷を受けて煙を上げるグリムの元へ飛び立ってその身体に飛び付く。しかし、反応がない。腹部からは血を流し、眼は開いていなかった。
「グリムっ、グリム!」
術で彼の身体を浮かし、必死に呼びかけるがグリムは黙したままだ。
「時は紡げても時は戻れぬか、魔女よ?」
「お前ぇえ!」
クオンの台詞に一にも二にもなくメルシアが激昂の雄叫びをあげる。既に七冊の光る本を呼び出し、眼は血走っていた。雨と涙に濡れた顔を上げて。
「お前……お前お前お前ぇぇえ!」
「我はこのまま貴公と戦ってもいいのだがな? 彼はいいのか? まだ息はあるぞ」
クオンが指を差すグリムは確かに、絶え絶えだがまだ息はあった。それを確認し、二三秒歯噛みして、本の展開を納めるメルシア。
「この借りはいつか返す……!」
「さっさと行くがいい。間に合わないかもしれんぞ。ここで死ぬには、惜しい男だ」
強く噛んだ唇の端から血を滴らせながらも、メルシアは静かにグリムの手を取り、何事が詠唱を唱えると光に包まれて何処かへと一瞬で消えた。
その場に、光の粒子と戦いの痕の匂いだけを残して。
「クオン様。よろしかったので」
メルシアが瞬間移動を成した痕の光子さえも消え、ユレアがクオンの元へと上がってくる。
「ああ。当初の目的はナツが果たしていたからな。それに世門がこの辺りに有る事はわかった。あの騎士の力もな」
「クオン様がお相手するほどの男には見えませんでしたが」
ユレアのそんな言葉にクオンが苦笑を返した。
「しかし、手傷を負わされた。自分にも血が流れていると久々に実感したよ」
言って、クオンは自分の両腕を見下ろす。長袖に覆われているが、その手の先は両方とも真っ赤に染まり、肩か腕からか大きく出血しているのがわかる。
グリムの最後の一撃の際、包まれた熱に体が耐えきれなかったのだった。
「お怪我を!? 今治療致します!」
それを見て珍しく青ざめた顔をしたユレアがクオンの手を取り、治癒術の詠唱をはじめた。
「頼む。……グリム、とか言ったな。あやつどうにかこちら側に与させる事は出来ないものか」
喉の奥でクオンは笑う。
「賛同し兼ねます。クオン様に手傷を負わせた者など……」
吐き捨てるようにユレアは呟く。血を拭ってもらい、治った片方の腕で、クオンはユレアの頭を撫でた。
「怒るなユレア。奴もそうだが、それ以上に魔女だな。あの形相……奴は次に我を見たら地獄の果てまで追いかけてくるだろう。それに交渉も一瞬で蹴られるくらいだからな」
そう言って、クオンはまた喉の奥で笑うのだった。