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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
三章 鮮血と意志
31/168

―魔女―

翌日。

結局、メルシアの霊呪術で造ったお手製即席洞窟で一夜を過ごし、風呂だけを民家で借りた二人は、昨日のメルシアの宣言通り、再び宿屋を訪れていた。


「昨日の変なのは?」


「朝から姿が見えませんでさぁ。昨日は何か言ってましたが、流石にいれなくなったんじゃありやせんかね。宿代だと見た事もない金貨を置いて行きやした」


「金貨?」


店主の言葉に反応したメルシアが聞き返す。店主は小さな小包の中から一枚、その置いてあったという金貨を取り出し、見せた。


「ええ。見たこともねぇ代物でさぁ。造りは上等なんでしょうが、換金できるんですかねぇ?」


「これは……店主、その金貨一枚もらって良いか?」


それを眼にした瞬間、メルシアの表情が一瞬強張った。


「ええ。構いやしませんが。なんです? 値打ちものですか?」


「……いや。価値はもう殆どない。だが……」


言葉を言い淀み、受け取った金貨を巫女服の袖の中にしまうメルシア。


「今はよそう。では、行くぞ」


「了解です」


「あ? どこにだよ」


メルシアの宣言に、店主もカウンターから出て一本の剣を手にした。タウ十字、教会の紋様が刻まれているものだった。

一人、流れを読めていないグリムがメルシアに問う。


「海だ。グリム」


「はぁ?」


訳がわからないといった顔をするグリムにメルシアは笑みを返した。


「いいから行くぞ。ほら歩け歩け!」


「ったく、ちゃんと説明しろよなぁ……」


渋々、グリムはメルシアの指す方向に歩いて行った。






「……海、だよな」


「ああ、海だ」


眼の前に広がるはだだっ広い砂浜とそれ以上に広大な海。話が見えず呆然とするグリムを尻目に、メルシアが彼から飛び降りる。


「さあ行こう」


「は? 行くってどこに」


「来ればわかる」


言って、メルシアは靴を履いたまま、海へと足を踏み出した。彼女の足が海へ触れるか否か、突如として海上に浮かび上がる円形の青く光る霊呪陣。そこに、メルシアは乗った。


「はぁ……成る程ねぇ」


感心したグリムがメルシアに続いて陣の上にそっと足を乗せる。


「これは私が許可した者しか乗せないようになっている。そしてこれが、世門に続く唯一の路、というわけだ」


「ああー……そういえばそんな理由で来てたんだったな」


空を眺め、思い出すようにグリムが言う。


「全く、何で目的忘れてるんだ。じゃあ店主。ここの警備頼んだぞ」


相変わらずのグリムに仕方ないなと溜息を吐き、路の警備の為に連れてきた宿屋の店主に命令を下し、次の一歩を踏み出すメルシア。海に落ちると思われたその足は、また突如として現れた霊呪陣により海面と中空の隙間で浮かぶ。


「成る程ねぇー、そういう事だったの」


突然、上空から降る、声。即座に反応したのはグリム。高く昇った日を背に立つ女を睨み、大剣の柄を握る。


「ふむ。やはり来たか」


青天の霹靂たる女の出現も、まるで予期していたと言わんばかりのメルシアの台詞に、女は怪訝そうな顔して、地表ギリギリまで下りてくる。近づいてきた襲来者に宿屋にいた掲剣騎士も剣を抜く。


「まるでわかっていたみたいな口振りね、お嬢ちゃん?」


「お嬢ちゃんとは心外だ。こう見えてもお前よりもずっと永く生きている身だぞ」


「あら、そうねぇ。“時紡ぎの魔女”さん?」


「久々に呼ばれたよその名前は」


千年の時を生きる魔女。そう、彼女は時折呼ばれる。それを伝説化した呼び方が“時紡ぎの魔女”である。

それは経典にも乗る神話の一部、空想とも現実とも信じる者に委ねられる様な語りの中で言われている事であり、真実は定かではない。


一触即発の雰囲気の中、沈黙を破ったのは掲剣騎士だった。


「先に行ってください巫女様! こやつは我々が抑えます!」


剣を振りかざし、女の方へと近づく。巫女と掲剣騎士二人がいるこの場に堂々と降り立って尚、敵意にも似た態度を崩さない不気味な存在にも関わらず、男は戦う意志を示していた。しかし。


「弱い人に……興味はないわ」


冷ややかな、声。同時、砂浜の中から巨大な白い手が現れ、騎士の男を掴み、無造作に投げ飛ばした。


「おいおっさん!」


グリムが叫ぶものの、返事はない。


「てめぇ!」


大剣を抜き放ち、砂浜に叩きつけて炎を巻き起こすグリム。その視線の端には、吹き飛ばされて動かない騎士の姿。


「落ち着けグリム! 霊気は無くなっていない! 恐らく気を失っているだけだ!」


「話に聞いてた通りね。熱い男の子だわ……クッキー」


女の呼びかけに応え、砂地から出ていた白い手が、地面を掴むように指を突き立て、埋まっていたその身体を引き抜いた。

小動物のような饅頭のような愛らしさがあるのかもしれない顔。それを支える人大きさを遥かに超えた、筋骨隆々とした体躯。

全体的に造り物の白さをしており、つぶらな紅い瞳が、その異様さをさらに引き出す。


「な……」


「貴方の相手はこの子がするわ」


「きゅきゅ?」


5mはあろうかという巨体の上の顔が、小首をかしげながらグリムを見る。感情の読み取れないただの丸い玉のような眼が、同じ色した少年を写している。


「こいつと……戦え、だと?」


どんな敵が相手でも、それこそ自分より実力が上とはっきり認知しているオルヴスが相手の時でさえ一歩も引く様子を見せなかったグリムが、苦渋の表情をした。


「ええ、そうよ」


「こいつはゴーレムか?」


「ええ、そうよ。可愛いでしょ。クッキーっていうの。名前、覚えてあげてね」


「……趣味が悪いな。グリム、さっさと焼き払ってしまえ。…………グリム?」


呼びかけても返事のないグリムを怪訝に思い、メルシアが疑問符を浮かべる。


「おい、どうした? 戦闘だぞ? お前の得意分野じゃないか?」


「……ねーだろ」


「は?」


「こんな愛らしい生物と戦えるわきゃねーだろぉぉぉお!!」


それは、咆哮だった。両の拳をいつになく力強く握り絞め、腹の底の底から声の限り叫ぶ。あまりの声量に海が逆立ち、砂が彼を中心に同心円で動いた。


「……………………は?」


盛大に自信満々にぶちまけたその言葉に、メルシアはただただ呆れる事しか出来ない。


「おっまえあれの可愛さがわかんねぇのか!? あの愛くるしい顔、目、耳! それに加えてムキムキの巨体! 言わば造形美と肉体美の結晶っと言っても過言じゃ――」


「何こんな時だけ普段使えない様な難しい言葉を並び立てられるんだお前は! 大体あれが可愛いとか趣味悪いだろ!」


「あんだとぉ!? やるかてめぇ!」


「敵とやれ敵と! お前の眼の前にいる白いのだよ!」


「僕にはできないぃぃぃぃいー!」


まるで関係のないところで論争をはじめる二人に、女は少々気圧されながらも、ずれた眼鏡の位置を直し、二人を見据えた。


「あ、あなた達……ちょっと、状況わかってるのかし――」


「何だお前! そんな趣味があるとは私は知らなかったぞ! 私に隠し事してたのか!?」


「知るかっ! 俺は今眼が覚めた気分だ! これは一目ぼれなんかじゃねぇ……もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ」


「クッキーが可愛いのは仕方ないけど、でも、そのぉ……」


「良い顔して何わけのわからない事言ってるんだ!」


まるで自分の言葉が届かない。それを少し悲しみながら、女は額に手を当てる事数秒。冷ややかな声で、小さく呟いた。


「……クッキー」


「きゅきゅう!!」


自らのゴーレムに命を下す。応えた白い生物は任せたと言わんばかりに快活な返事をすると、その巨体をねじり、その巨大な拳を振り上げた。


「ほら聞いたか? 声だってめちゃくちゃかわい――」


「きゅう!」


グリムの身体よりも巨大な拳が、彼を襲う。完全な不意打ちに対応出来なかったグリムはまともにそれを喰らい、空の彼方へ吹き飛ばされた。

若干の間を置き、天高く舞ったグリムの身体が重力に引かれ、沖合に落ちる。


「グリム!」


「ごめんなさーい? でも、気を抜いてたあの子が悪いのよぉ?」


「くっ」


眼を閉じ、瞬時にグリムの霊気を探るメルシア。


「よし、生きているな」


確かにその存命を感知すると、メルシアは一人、女とゴーレムの前に立ち塞がった。


「あらん? お嬢ちゃんが戦うつもりかしら? やめておきなさい。怪我したらどうするのよぉ。それよりも彼、助けに行った方がいいんじゃなぁい?」


年端も行かない少女が取り乱しもせずに居た事を怪訝に思う女。しかし、メルシアの口元に浮かぶのはどこか余裕のある微笑であった。


「不意打ちでその程度の威力。笑わせるな。私のグリムはそんなに柔じゃない」


挑発的なメルシアの言葉に、女は舌打ちをする。


「言ってくれるじゃない……後悔しても遅いわよ!」


右手を高々と上げ、己のゴーレムに指示を出す。白い巨体が、小さなメルシアを叩き潰さんと組んだ両拳を降り下ろした。

しかし。その拳は届くことなく、メルシアに触れる1m程手前で何かに遮られ、止まった。半透明のシャボン玉のような光る膜が、メルシアを覆っている。


「私は自分の気に入った奴以外に触られるのが一番嫌いなんだ」


「何、この子っ……クッキー!」


「きゅきゅきゅう!」


女の叫びに合わせ、白い化物がメルシアを覆う膜を破こうと拳を叩きつける。弾かれては殴りを繰り返す、が効果はない。


「お嬢ちゃんだのこの子だの、誰に向かって口を聞いている」


不敵な笑みで笑うメルシアの周囲に、七色の光を放つ帯が現れる。


「私は巫女、時紡ぎの魔女。“刻まれた時よ開け。永久の牢獄に囚われし記憶、我許すが故に我に満ちよ”」


詠唱と共に、光りの帯が展開し、そこから七つの“本”が現れる。七色それぞれに染まった、霊呪印が刻まれた内の一冊――緑の本をメルシアは手に取った。


「お前程度なら、一冊分で十分だろう」


片手で、その“本”を無造作に開く。同時、眩い緑色の光が放たれ、辺りに満ち、纏わりついていたゴーレムを弾き飛ばす。


「くっ、一体何を!」


あまりの光量に顔を抑える女。

やがて光が収まると、女は眼を開けようと手をどかし――息を飲んだ。額から脂汗が噴き出すのが彼女にもわかった。それは畏怖。先程まで眼の前に居たのは年端の行かない童女だった筈、それなのに、そこから感じられる霊気は、凡そ比べ物にならない。


「ふむ。やはりこちらの姿の方がしっくりくるな」


それはメルシアの声。だが、少しトーンが低い。

女は眼を見開いた。そこに居たのは童女ではなく、成熟した女性。金糸のような長い髪を風に流し、琥珀色の瞳の高さは、自分と同じくらいの高さだった。


「それが、正体というわけ?」


圧倒的な霊気を放つ眼の前の存在に気圧されながらも、女はそう言葉を絞り出した。


「正体も何も、私はメルシアだ。服を見ればわかるだろ? ううむ、だがやはり胸の辺りがきついな。丈はなんとかなるが……やはり普段からもう少し長い物を着ておくか」


短くなってしまった、巫女の正装である白い服を眺めながらメルシアは呟く。

自分をまるで意識していない一挙一動だというのに、女はそんなメルシアの小さな動きに精神が削られる想いだった。彼女の放つ霊気の重さ、厚さが恐ろしいからだ。


「ああ、すまんな。久々にこの姿になるとだな。どうも霊力の制御が上手くいかないんだ。許せ」


ス、とメルシアは片手を上げ、指を一本、女の方へ向けた。


「一応、名前を聞いておこうか。エトアールの亡霊」


「はん。ナツ、よ。あらあら、ここの騎士達は気付かなかったみたいだけど、貴方はエトアールの名前、知ってたのね」


「無論だ。私は記憶する者だからな。さて、グリムが戻る前に終わらせたい。あいつはどうにもそのゴーレムに執心だからな」


女――ナツは渇いた声で笑った。


「嘗めるんじゃないわよ……クッキー!」


これまでより強く、ゴーレムへの命を下す。白い巨体は紅い眼を光らせ、猛然とメルシアに突撃していった。


「……“嘆きヅァル”」


メルシアは指先をゴーレムに定め、単一の言葉を呟く。指の先に現れる緑光の術陣。そこから巻き起こる突風がゴーレムを包み、その動きを止める。うねり、纏わりつく風に必死に抵抗しようとする白い化物。しかし指一本動かすという行為すら重々しく、さらに動けば動く程にその風の糸に絡まっていく。


「“千切れレビ”」


重ねた言葉に陣が光った。ゴーレムを捉えていた風が文言通り、その巨体を無作為に引き千切る。巨体のゴーレムよりさらに大きな腕とも思える風の塊が襲いかかって行く。為す術もなく、悲鳴すら上げられず、ゴーレムの白い体が霧散し、風が止んだ。


「クッキー……」


「まだやるか? 私としては、今お前を巻き込まずに済んだのは奇跡だ。感謝しろ」


言われて、ナツははじめて自分の頬に触れた。そこには先程の風が掠ったのであろう一筋の傷が出来ている。


「!……来なさいチョコ!」


呼びかけに応え、遥か上空から一体の鳥が降り立った。顔と色は先程のクッキーと一緒だが、その姿は怪鳥と呼ぶにふさわしい巨躯。色はクッキーと同じく白い。それに飛び乗るナツ。


「覚えてなさい時紡ぎの魔女!」


「ああ。記憶しておくよ。少しだけな」


捨て台詞を残し、ナツが飛び去る。


「おぅっ、ゲホゲホっ!」


「おお、グリム、無事だったか?」


その頃になりようやく、沖合まで吹き飛ばされたグリムが戻ってきた。どうやら泳いで来たらしく、水を飲んだのか軽く咳き込んでいる。


「ったく、いきなり殴るなんて過激な奴――ってあら? クッキーちゃん何処行った!?」


上げた視線の先に砂浜しかない事を確認したグリムが右に左にと視線を忙しなく動かすも、彼の望むものは既にそこにはない。


「逃げたよ」


「あん? まさかお前、っつか、うぉっ!」


メルシアの言葉にはじめて彼女の方を向いたグリムが驚いたように二三歩後ずさった。


「む、なんだ? お前はこの姿見るの、はじめてじゃないだろう?」


近づくメルシアの三倍の距離を逃げるグリム。メルシアがキョトンとした表情で見やる。


「いきなりその姿見たら誰だってびっくりするっつーの! ……つーかなぁ」


顔を伏せ、ピ、とメルシアを、詳しくはその胸部の辺りを指差す。


「若干見えてっから」


小さい姿のメルシアはかなりダボダボの服を着ていた。それはこの大人の姿になった際、服に困らないようだったが、先程彼女が語っていた通り布が少なかったよう。今現在それが、先程彼女の放った風の霊術により少しずれ、胸部のとっかかりでギリギリ布が保たれいる状態だった。


「な、ななっ! 仕方ないだろ!」


胸元を隠し、グリムに軽蔑の視線を向ける。


「いいから元に戻れや。下手に服たくしあげると次は下が見えんだろうが」


「変態だなお前は!」


「健全な男子たる証拠だ! いい加減にしねぇと襲うぞてめぇ」


「……そんな度胸ない癖に」


「んだとぉ!」


食ってかかるグリムを無視し、メルシアは光から本を呼び出して閉じる。同時に彼女の身体も光に包まれ、やがて元に戻った。


「うむ。これで文句ないな」


無くなった胸を張り、跳ねてグリムの頭に飛び乗る小さなメルシア。

グリムはバランスを崩しながらもなんとか堪えた。


「そうだな。お前に襲われるなら吝かじゃないが、その、はじめてそういうのする時はだな、ムードとか欲しいな……とかな」


「はいはい……マセたガキだな」


いつもの調子で頭上のメルシアをからかうグリム。彼としてはこちらの姿の方がしっくりきているらしい。


「誰がガキだ!」


「はいはい! じゃあ乙女なババアだなぁ!」


「ババアでもない!」


相変わらずの痴話喧嘩を繰り広げながら、グリムは海へと歩を進めた。その先には、先程展開していた陣がしっかりとある。


「これ真っ直ぐ行けばいいのか?」


「うむ。気をつけろよ。私の機嫌を損ねると海に落ちるからな」


「別にいいよ……もうずぶ濡れだからな」


「頭を下げるなら乾かしてやらん事もない」


「いや、それなら俺でも出来るわ」


言って、自分の足元から軽く炎を起こすグリム。すぐに服や体に着いた水分が蒸発し、蒸気を上げる。


「あっつあつ熱い! こらグリム! 私も焼くつもりか!」


「だーいじょうぶだって。レアにしといてやる」


「食べるのか!? 食べてもいいがそっちの方向は嫌だ!」


「馬鹿かてめぇは!」


数歩進み、グリムがふと思い出して足を止めた。


「ん、どうした?」


「宿屋のおっさん忘れてたわ」


「…………あ」

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