―主従―
机に突っ伏して魂が抜けてしまったアーノイスに、オルヴスはなんとか昨晩の出来事を話し、先遣隊がマイラに到着した後、万全を持して旅立つ事になった、という事伝えた。
事情を知ると、はじめは自分の空回り加減に落ち込んでいたものの、ふと気付いたように顔を上げてオルヴスを睨んだ。
「オルヴス、もしかして昨日修練場に来てたのは、その侵入者がいるってわかったから?」
「ええ、まあ。少し離れて様子を見ようと思っていたら、ちょうどアノ様が出てこられまして。焦りましたよ」
軽く笑って言うオルヴスに対し、アーノイスは怒りテーブルを叩いて立ち上がった。
「どうして早く私に言わなかったの!」
その突然の剣幕に、オルヴスも言葉を失ってしまう。
「早く言ってくれれば……私だって貴方の邪魔をせずに済んだのに……」
アーノイスは昨晩の自分の行動を後悔した。大切な旅路の途中。わざわざ呼び戻された理由をもっとよく考えるべきだったのだ。それを、いつものように、アヴェンシスだからと軽率な行動であった。
「邪魔だなんて、そんな。僕は貴方の騎士ですよ? 主に余計な心労をかけずに物事を解決するもの甲斐性の内です」
「貴方が強いのも、頭がいいのも、分かってる。でも……もっと楽な方法があるなら、私に遠慮しないで。昨日みたいに、何かあるってわかってるなら先に伝えて頂戴」
アーノイスは思う。昨日の侵入者は何を狙ってきたわけでもなかったらしいが、それがもし、自分の命を狙ったりして来ていたものだとしたら。それが、手段を選ばないような存在だったとしたら。考えれば考えるほど、昨日の事は運が良かっただけの話なのではないかと思ってしまう。
そうでなくとも、警備も万全の筈の教会総本山であるこの場所に立ち入られたという大問題なのだ。
オルヴスは事も無げに言っているが、アーノイスは楽観出来ない。
「本当は私が、そういうの気付ければいいんだけれど……私だって、貴方には余計な苦労はさせたくないって思ってるんだから」
心の内を言い切ると、椅子に力なく座り込み、俯いた。
そんなアーノイスに優しく語りかけるように言葉を紡ぐオルヴス。
「ありがとうございますアノ様。そのお気持ちだけで、本当に救われます」
いつもの頬笑みを一層深くしながら、真摯な眼差しを、顔を上げた、アーノイスの何処か泣きそうな瞳に向ける。
「でも、あまり思い詰めないでください。でないと僕の仕事がなくってしまいますしね」
「う、うん……」
この話は終わり、とでも言うようにオルヴスが立ちあがった。
「それではお昼ご飯にしましょうか。何かご希望はありますか?」
「貴方が作るの?」
「ええ。厨房お借りしてきますよ」
「ええと……じゃあ、アンバタで」
普段通りの注文をするアーノイスにオルヴスは苦笑する。バターはまだしも餡は日持ちしない為、旅の間は町に立ち寄った時、その後数日程度しか食べられないので、こうやって街に滞在している時は食べる物と言えばアンバタを要求するアーノイスであった。
「わかりました。では、食後にアンバタのラスクを準備しておきますね。主食はでは軽いものを用意しましょう」
「お願いするわ」
少々歯噛みするように告げるアーノイス。自分が作ると言えればいいのだが、彼女は料理に自信がなかった。先天的に不器用なのを彼女も自覚しており、簡単な料理でもどこか失敗してしまう。下手に自分がやるとここで言ってしまうと、結果また彼に迷惑をかけると考えたのだ。
「ああ、そうだ」
一先ず部屋を出て行きかけたオルヴスがアーノイスの元に戻り、ポケットから何かを取り出してテーブルに置いた。
「……これは?」
ピンポン玉程度の大きさのガラス玉を手に取るアーノイス。光に通すと赤であったり、青であったり、緑であったり複雑な色を覗かせる。
「今朝メルシアさんが出立前に渡されまして、常に持ってろと言われました。アノ様預かっておいてくれませんか?」
「ええ、構わないけれど。一体何かしらね」
ガラス玉のとりどりに変化する色を楽しむようにコロコロと掌の上で転がしながら、アーノイスは聞いた。
「さて……詳しくは調べていませんが、微弱な霊力は感じます。まあ、持っていろと言われたので、そうしておきましょう。何か考えがあるのかもしれませんし。では、少々お待ちくださいませ」
曖昧な答えを返しながら、オルヴスは部屋を出て行く。
「メルシア……どうしてるかしらね」
ガラス玉を弄びながら、アーノイスはそう呟くのだった。