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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
二章 乙女と孤独
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―舞踏―

――深夜。


アーノイスは一人、鍵乙女の部屋を抜け出して昼間も足を運んだ第十一修練場へと着ていた。

昼間、オルヴスとグリムが散々破壊したその場所は、仕掛けられた巫女の術により、元通りの姿に戻っている。とはいえ、人気のない深い夜、月明かりだけが頼りのこの時間帯の風景は、どこか寂しげに映った。


羽織っていた外套を落とし、アーノイスは徐に二三歩前へ出て、両腕を水平に広げる。

浮かび上がる、全身に刻まれた世鍵の烙印。夜という薄暗さが、その白い光をより一層際立たせる。


そして――彼女は踊り始めた。


その昔、まだ王女だった時に教養として習っていた舞踏。別段、アーノイスに思い入れがあるわけではないが、彼女は時折、殊更ここアヴェンシスに居る時はこうして夜、誰もいない空間を使い、言葉に出来ない想いを踊りにしていた。


烙印に霊力を通して浮かび上がらせるのは、鍵乙女としての試練に耐える為の鍛錬として、自主的にしている事だ。

鍵乙女の烙印術は、その身体に膨大な負担がかかる。この間の村での一件でもそうだ。ただ一つ烙印術を使っただけで、彼女は昏睡し、いつの間にか馬車に乗せられ、同じくアヴェンシスの自室に寝かされていた。

これから先、いつ烙印術を使う事になるともわからない。その度に倒れてオルヴス達に迷惑をかけるのは彼女の望むところではない。

そうでなくとも世界を巡り続ける旅は消して楽なものではないのだ。アーノイスは、彼女が鍵乙女であると自覚したその時から、時間があれば身体と術の鍛練をしてきた。


緩やかに、時折激しく、静かに、時折荒々しく乙女は踊る。

世界を救う、鍵乙女。人々を護る、鍵乙女。それを背負うのは、選ばれてしまったたった一人の少女。

目の前の村一つすら、何も出来ず人任せで、結局は護れなかった。後悔と懺悔と憤りを、彼女は舞いで表す。


やがて少女は踊り疲れ、その動きを止めた。


膝に手を付き、上がった息を整えようとする。汗が滴り落ちて地面に染みをつくる。それを拭いもせずに顔をあげ、まだ荒い息のまま真っ直ぐに背後の見物席の方向を見据えた。


「……そこにいるんでしょ。オルヴス」


「おや、気付いていましたか」


声を掛けられた事に驚きもせず、真っ暗な見物席からオルヴスが出てくる。近づき、持っていたタオルと水をアーノイスに渡した。


「まあ、貴方の部屋の前通るから……気付かれないとは思ってなかったけどね」


それを受け取りながら、特に咎めるつもりはないと告げるアーノイス。


「というか、居るか居ないか見えなかったし……ありがとう」


グラスの水を飲み干し、汗をタオルで拭いてオルヴスに返す。


「でも、黙って見物してるなんて趣味悪いわ。別に見ても面白いものじゃないわよ」


「すみません。ですが、アノ様の舞いは動きには命が籠っていて、見ていると心が安らぐんですよ」


面と向かってそんな事を言ってのけるオルヴスに、アーノイスはそっぽを向いて上気した頬を隠した。


「本当、貴方は時々何を言ってるのかよくわからないわ。大体、出発は明日の朝でしょ? 寝て置いた方がいいんじゃないかしら」


「それはアノ様も同じなのですが……」


「私はいいのよ。別に起きなくたって気付けば馬車の中に運ばれてるんでしょうから」


「あ、はは……」


「でも、そうね。毎度毎度女性の寝込みを襲うのは感心しないわ」


「え、だってアノ様、起こされるとものすごく機嫌悪いじゃないですか……」


困ったような顔をして頬を掻くオルヴスを見て、アーノイスは笑った。いつもいつも余裕のある笑みを浮かべているくせに、少しからかうと素直な反応を返してくる彼との他愛のない会話が、彼女は嫌いではなかった。


「冗談よ冗談。いや、感心しないのは本当だけど……ともかく、貴方がそういう事しないのはわかってるわよ」


悪戯な笑みを浮かべてアーノイスはオルヴスの横を通り過ぎて教会へと向かう。


「湯浴みは準備出来てるの?」


「ええ。今頃ちょうどいい温度になっていると思われます」


「そ。御苦労さま。お休みなさいオルヴス。明日もよろしくね」


「おやすみなさいませアノ様」


背を向けたまま、主人が教会の中へ戻っていくのを礼をして見送るオルヴス。

扉が閉まる音がして、ようやく彼は顔を上げた。そのまま数秒。そしてその顔から笑みを消した。


「黙って見物なんて趣味が悪い――だそうですよ?」


と、夜闇に向けて独白する。同時、オルヴスの背後の空間が裂け、鈍く光る刃が彼に襲いかかった。

半身逸らすだけでそれを交わし、振り向くオルヴス。そのすぐ横には巨大な鎌の刃が地面に深々と突き刺さっていた。


「寝込みを襲うのも失礼だそうですが」


「貴方は女性ではないし、眠ってもいないでしょう」


空間の裂け目から、冷ややかな女性の声が返る。そしてゆっくりと、その割れ目から大錬を手にした女が現れた。


「気付かれていたとは。魔狼の二つ名は伊達ではありませんね」


女は鎌を抜き、回転させて闇に消すと、碧色の隻眼でオルヴスを写した。左の目は眼帯に覆われて見えない。


「奇跡的な再会だというのに随分な挨拶ですね、ユレアちゃん――いえ、ユレアさんとお呼びした方がよろしいですか?」


「……何の事でしょう」


無表情を崩さずに平然とそう答える女をオルヴスは鼻で笑う。


「姿形は変える事が出来ても、霊気だけは変えられない。そういうものなんですよ。まあいい。それで? 何の用ですか」


オルヴスの問いにユレアは黙秘を通す。その代わりに彼を値踏みするかのような視線を、足元から頭頂までを一瞥した。


「やれやれ、黙っていられると困ってしまうんですがね。お冷で良ければすぐにお注ぎしますよ? 喉も潤えば舌も滑りやすく――」


呪印交霊カース・イヴォル


そそくさと水の準備をしようとしたオルヴスをユレアの言葉が止める。オルヴスに顔から笑みが消えた。


「どこでそれを?」


「答える義務はありません。貴方も、呪印交霊をされていると聞きましたので。本日はそれを確かめに参りました」


「も、という事は貴方の知り合いの方も施されているので? 人の事を言えた身ではありませんが、あまり利口とは思えませんね」


そう、オルヴスが言葉を切るとほぼ時を同じくして、ユレアが大錬を闇から振り抜き彼の首を狙う。

咄嗟にオルヴスは左手での防御を試みる、が、刃が触れる寸前でそれを止めて身を屈め鎌を避けた。


「これは……!」


「主への愚弄は許しません」


「その鎌……魔具ですね」


「答える義理はありません」


特別な儀式により造られた道具が、世界各地にはあるという。その中でも特に強力な術が掛けられているものを神具または魔具と称す。それらは単体で膨大な霊力を内包しており、時にはそれを巡り国同士の戦争にまで発展するという、それだけの力を持つものなのだ。


ユレアはその魔具である鎌を、オルヴスへと突きつけた。


「そういえば一つ、問いたい事があります」


「呪印交霊の事とアノ様の事以外でしたら、何でも」


そんな状況であっても尚、オルヴスは余裕のある態度を崩さない。しかしユレアも気にせずに言葉を続けた。


「貴方は何故、鍵乙女を守るのですか? 名誉だからですか? 力が有り余っているからですか?」


その台詞に、再びオルヴスは苦笑する。馬鹿馬鹿しい、と一笑に伏しているようにも見えた。


「残念ながら外れです。ですが正解はお教え出来ませんね」


「そうですか……ならば」


言って、ユレアは右手で鎌を盛ったまま、左手を眼帯に宛がう。


「視せて、いただきます」


そのまま、眼帯を剥ぎ取ろうとした、その時だった。


「あーらあら。駄目よぉユレアちゃん。それは使っちゃだーめ」


そんな、妖艶な女の声が夜闇に響き、オルヴスとユレアの間に白い何かが落ちる。


「きゅきゅ?」


距離を取った二人の間で、そのナニカは、小動物のような愛くるしい鳴き声をあげ、オルヴスを見た。

猫とも犬とも狸とも取れない、白い饅頭に動物の耳をくっつけたような頭。目はつぶらで小さな丸い赤。口元は線一本で書かれているだけにも見える。何かのマスコットに誰かが書いたようなそんな顔。だというのに、その頭部はオルヴスよりも遥かに高い場所にあった。


「きゅきゅきゅ?」


何故か疑問符を語尾につけた鳴き声でオルヴスを見下ろすそれ。異様なのは、その位置にある顔を乗せている体躯だ。

彫刻のような造り物の白さの人間の身体。細身ながら妙に筋骨隆々とした身体が、無駄に愛くるしい頭部を乗せている。


「どーお? あたし自慢のクッキーちゃんよぉ。可愛いでしょ?」


「……可愛い、ですか。カルチャーショックです」


クッキーという名前らしい謎の生物の真上に、眼鏡をかけた女が一人。新たな侵入者を睨みながらも、オルヴスは“可愛い”と称された謎の生命体がどうも気になり、視線が上に下にと移動した。


「ナツ! 貴方がどうしてここに」


「あーらぁ、怒っちゃやーよユレアちゃん。貴方のご主人様の命令で来たんですもの。『ユレアが無茶しそうになったら止めてくれ』って。やーん、愛されちゃってるー」


仲間のユレアに若干の殺意を向けられながらも、ナツはふざけた調子を崩さず、今度はオルヴスへと視線を戻す。


「というわけだから色男さん。うちの可愛い盛りのユレアちゃんとの密会はここまでって事で。クッキー、帰るわよ」


「きゅきゅ!」


主人に命じられた謎の生命体が、快活な返事をしてユレアを肩に乗せて上昇し、ナツが反対側の肩に立った。


「それじゃあね。アデュー!」


「きゅっきゅー!」


オルヴスにウインクを見せて、二人と一匹の侵入者が飛び去って行く。それを追う事もせず、オルヴスは彼女らが夜空に吸い込まれて行く様をじっと眺めていた。


「……いや、本当に……カルチャーショックとはこの事ですね」


あれが本当に現在の常識で可愛いと言われるのかしかし――などなど、ぶつぶつと疑念を呟きながら、オルヴスは落として割ってしまったグラスの後片付けをはじめるのだった。

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